士道要論 / 士風・気質は学びと日ごろの工夫で変えられる
泰山前にくづるとも色變ぜざるべし、むかしより武士といふかぎりは、此風にてありしを、太平久しくうちつゞき、この風いつしかうすらぎ、士の子どもも寒暑勞苦をさへ甚しくいとひ、或は婦女子のごとく、蛇をおそれ雷をおどろくものもあり、齋藤實盛が西國の士をあざけりて、罪にいづるに、夏はあつしといひ、冬はさむしときこふといひしよりも甚し、士は同じ人なれば、寒熱疾痛の苦に畏驚くともかはることなけれど、名をくだし職を辱しむるを恐るればこそ、かくはつゝしむなれ、然るにかくつゝしむものをみては、我慢なりといひてわらひのゝしる者もあり、いかなるこゝろにや、いといぶかし、士の風俗は國家の盛衰にかゝり、大切なることなれば、たれ〳〵も强毅の風にうつり、たとひ身は虛弱なりとも、心は萬夫に雄なるべし、宋儒氣質變化の說あれば、常〻の心掛にて、弱さもつよくなるべければ、近くは謝顯道が克己須從性偏難克處克將去といへることを守り、遠くは尙書の沈潛なれば剛にて克といへる事を行ひ、朝夕にわすれずば、遂には强毅堅忍の風となるべし、近世後光明帝つねに雷を恐れたまひけるに、程朱の學を遊ばされ、氣質變化の御工夫ありしかば、つゐにおそれたまはぬことになりぬ、いとたふとし、
新字:泰山前にくづるとも色変ぜざるべし、むかしより武士といふかぎりは、此風にてありしを、太平久しくうちつゞき、この風いつしかうすらぎ、士の子どもも寒暑労苦をさへ甚しくいとひ、或は婦女子のごとく、蛇をおそれ雷をおどろくものもあり、斎藤実盛が西国の士をあざけりて、罪にいづるに、夏はあつしといひ、冬はさむしときこふといひしよりも甚し、士は同じ人なれば、寒熱疾痛の苦に畏驚くともかはることなけれど、名をくだし職を辱しむるを恐るればこそ、かくはつゝしむなれ、然るにかくつゝしむものをみては、我慢なりといひてわらひのゝしる者もあり、いかなるこゝろにや、いといぶかし、士の風俗は国家の盛衰にかゝり、大切なることなれば、たれ〳〵も強毅の風にうつり、たとひ身は虚弱なりとも、心は万夫に雄なるべし、宋儒気質変化の説あれば、常〻の心掛にて、弱さもつよくなるべければ、近くは謝顕道が克己須従性偏難克処克将去といへることを守り、遠くは尚書の沈潜なれば剛にて克といへる事を行ひ、朝夕にわすれずば、遂には強毅堅忍の風となるべし、近世後光明帝つねに雷を恐れたまひけるに、程朱の学を遊ばされ、気質変化の御工夫ありしかば、つゐにおそれたまはぬことになりぬ、いとたふとし、
書き下し
泰山前にくづるとも色變ぜざるべし、むかしより武士といふかぎりは、此風にてありしを、太平久しくうちつゞき、この風いつしかうすらぎ、士の子どもも寒暑勞苦をさへ甚しくいとひ、或は婦女子のごとく、蛇をおそれ雷をおどろくものもあり、齋藤實盛が西國の士をあざけりて、罪にいづるに、夏はあつしといひ、冬はさむしときこふといひしよりも甚し、士は同じ人なれば、寒熱疾痛の苦に畏驚くともかはることなけれど、名をくだし職を辱しむるを恐るればこそ、かくはつゝしむなれ、然るにかくつゝしむものをみては、我慢なりといひてわらひのゝしる者もあり、いかなるこゝろにや、いといぶかし、士の風俗は國家の盛衰にかゝり、大切なることなれば、たれ〳〵も强毅の風にうつり、たとひ身は虛弱なりとも、心は萬夫に雄なるべし、宋儒氣質變化の說あれば、常〻の心掛にて、弱さもつよくなるべければ、近くは謝顯道が克己須從性偏難克處克將去といへることを守り、遠くは尙書の沈潛なれば剛にて克といへる事を行ひ、朝夕にわすれずば、遂には强毅堅忍の風となるべし、近世後光明帝つねに雷を恐れたまひけるに、程朱の學を遊ばされ、氣質變化の御工夫ありしかば、つゐにおそれたまはぬことになりぬ、いとたふとし、
現代語訳
泰山が目の前で崩れても顔色を変えないようでなければなりません。昔から武士という者はすべてこの風でしたが、太平が久しく続いて、この風はいつしか薄らぎ、士の子どもも寒さ暑さや苦労をひどく嫌い、あるいは女や子どものように蛇を怖れ雷に驚く者もいます。斎藤実盛が西国の士を嘲って、罪に出るに際して夏は暑いと言い、冬は寒いと言うと聞くと言ったよりも甚だしいのです。士も同じ人間ですから、寒暑や病痛の苦しみに怖れ驚くことは変わりませんが、名を汚し職を辱めることを恐れるからこそ、このように慎むのです。ところがこのように慎む者を見て、我慢だと言って笑い罵る者もいます。どういう心なのか、まことに不審です。士の風俗は国家の盛衰にかかわり、大切なことですから、誰もが強くたくましい風に移り、たとえ身は虚弱でも、心は万人にまさる雄々しさを持つべきです。宋の儒者に気質変化の説がありますので、日ごろの心がけで、弱さも強くなるはずです。近くは謝顕道の「己に克つには、性の偏っていて克ちがたいところから克っていけ」という言葉を守り、遠くは『尚書』の「沈潜なれば剛にして克つ」ということを行い、朝夕忘れなければ、ついには強毅堅忍の風になるでしょう。近世の後光明天皇は常に雷を恐れておられましたが、程朱の学(程顥・程頤・朱熹の学)を学ばれ、気質変化の工夫をされたので、ついに恐れられなくなりました。まことに尊いことです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『士道要論』・士風・弱さを恥じ動じない気風を幼少から養う士大夫は四民の首となり、上は君に事へ、下は民に臨むものなれば、その風正しかるべきなり、士風正しといふは、禮義廉恥をむねとするにあり、近世士風日に下り、まづ驕奢にながれ、つゐに懦弱におちいり、ほと〳〵禮義廉恥のこゝろを失ふにいたれり、この弊風を正さんとには、まづ質朴强毅の風を尙んで後、禮義廉恥の風にもなるべし、且質朴强毅は武士の本色にて、國家の爪牙となることもこゝにあれば、いつもかくあるべし、さて風といふことは、なべてのならひなれば、士林にあるもの、三歲の童子たりとも、弱さを恥らひ强きをよろこぶ習ひとし、畏れ驚くなどいふことは、臆病と云ていたく恥しめこらすべし、人は强きも弱きもみな生質なれど、士たるものは、ひたぶるに强きをむねとし、弱さをきらひ、おそれ驚べきとも、こらへしのびて、口にも色にもいださぬこそたのもしけれ、若平生さまでもなきことにも驚き怖れては、霰たばしる矢玉のさきに向ひて、槍をいれ太刀をふるひて、かたきをしりぞくることはかなふまじ、士たるものかゝるときは一足もひかず、君の馬前にてうち死するを、第一の職分ともし、第一の面目ともすれば、常にこの風をまもつて、勇氣をやしない、雷霆を聞て驚かず、風波をふんで疑はず、
-
『士道要論』・士氣・外見より内に満ちる気力が働きを決める士風既に正しかりし上は士氣をやしなふをもて簡要とす、士風を守るも士氣を養ふためなれど、風は外面のことなれば、いかめしといへども、ふかくたのみとはなりがたし、氣は體中にみちあふれて、火の燃るありさまなればやゝたのもし、されば、士氣振ひてこそ士風もまことに剛なるべけれ、力量普通にすぐれたりとも、氣臆すれば、敵に向ひて働くこと能はず、武藝いかほど巧なるとも、氣臆すれば、敵にのぞんで施すこと能はず、されば、氣みちてこそ智も勇も用をばなすべけれ、ゆへに馬は毛色のよきを貴はずして、かんつよきをよしとす、士はかたちのいかめしきを貴ずして、氣のつよきをもてよしとす、千軍萬馬の中に橫行するもこの氣なり、君の顔を犯して直言極諫するもこの氣なり、平居威風凜々として人におそれらるゝも、此氣中にみつるゆへなり、もし氣中にみたざれば腹ぬくるなり、腹ぬけなば腰もぬくべし、士にして腰ぬけば何の用をかなさんや、近世士風大におとろへ、柔なること婦女のごときものあり、いやしきこと商賣のごときものあり、
-
『士道心得書』・剛強を體とする威勇剛强を以て體とす。曾子曰く、士は以て剛毅ならざるべからず、云云。我が朝往古は公家より天下の政道を司る。然れ共其の身柔弱成るに依りて、世に禍亂止む時なし。其の後賴朝卿より以來、其の政道を武家に司るに依りて、剛强勇猛に恐れ、世に逆亂の志をおさむ。是れ武威に服するにあらずや。當時の武士を見るに、諸侯大夫より輕士に至る迄、治平の德化を蒙り、公家婦人の如くに成り行き、荒き風にも當らず、手足を柔らかに育て、其の上心にも武道を忘れ、當世の慰みのみに泥み、自國の成敗、家中の仕置も、文育成る家人に任せて、得手勝手に仕置なし、家中の怨みも百姓の痛みも顧みず、唯だ己が心の儘に、我意をのみ振舞ふなり、武士たるものは、元來殺伐を司る家に生まれ、手足丈夫に、山川海河事ともせず、寒暑夜月に身を鍛へ、何れにも剛情成るべきに、當時の士は主將士共に顏の色白く、足の裏和らかに、其の上足袋をはき、頭巾をかぶり、形は士にて、體は公卿、心は女子の如し。危ふいかな。能く心得べし。剛强を以て體とし、丈夫を以て心とすべき事なり。
-
『士道要論』・士道・聖人の道を欠く武辺の偏りと学問の功たが定めしといふことはしらねども、おのづから道にかなへることもあれど、私心偏見をまぬかれざることも多し、そのひとつふたつをいはんに、追ひはらきるをもて忠とし、亡命の人をはごくむをもて義とするの類、みな孟子のいへる不義の義といふものなり、もつともいたくそむけたることは、さりとり强盜は武士のならひといへることさへあるにいたれり、士たる□、つよきをもてむねとすといへど、聖人の道によらざれば、おちいりて賊となることもあり、また氣節を立て死をかろんずるとも、勇をやぶり義をやぶる事もあれば、聖人の道をあきらめて、義の至當をもとむるこそ、眞の士道とはいふべけれ、東照宮天下をしろしめさらるはじめ、室町家このかた、人の心あら〱しく、臣として君を弑し、子として父を弑することさへ多かりしを、うきことに思ひたまひて、人々の道をしらんがために儒をまねき、學をすゝめ、經史の類おほく板にちりばめ、ひろく世に行ひたまひければ、宗室大臣をはじめ、外は侯伯の人々までも、學に名ある人多く出來て、遂に今の至治をなせり、室町家など文にくらき代にくらべては、
-
『士道要論』・士氣・欲を断ち恥を知るのが強さの源かくのごときものはいかで干城の用とならんや、とく弓矢刀劒をへし折りて、士の業をやめよかし、其内にさむらひしといはるゝものも、上下を着、大小を佩たるところは、いかにもいかめしくみゆれど、多くは、外麗しく内荏なるやからのみにて、鰥寡の弱きものをばあなどりてとがむれど、强禦の人にあへば、せむべきことをも默しおけり、かくつたなき士は、いかで公侯の腹心とすべきをや、これらのやまひはみな身をかばひて慾ふかきにおこれり、孔子申棖の事を論じ給ひて、棖は慾あれば剛とはいひがたしとあり、されば、氣臆せぬ剛の者とならんと思はゞ、まづ周易にいへるごとく慾をば窒ぐべし、慾の心盛なればこそ、利祿のためあしかりなんと思ひて、上たる人にへつらひ、金錢のためあしかりなんと思ひて、あき人にも頭をさぐるなれ、はづかしき事のかぎりならずや、孟子曰、恥之於人大矣といへり、士たるもの恥をしらざれば士といふべからず、古の士は可殺不可辱といひて、恥辱をとるをもて士の大なる瑕とし、
-
『士道要論』・士氣・恥を知り欲を忘れる気力の根身をころしても辱しめをとらじと思へり、されば、罪ありて殺さるゝも、切腹をゆるさるゝをもて榮とし、繩にかゝるをもて戸の上の辱といひてきらふことなり、おほよそ、罪かふむるほどの人はよからぬ者なれば、榮辱の沙汰あるまじきに、かくけなひなるは、いにしへ士と名づくる程の人は、善惡をいはず、恥をしらず、武道のきつかけなきものはなきしるべし、それ國は士あるをもてたち、士は氣あるをもてたつ、士の氣强からざれば薑の辛からざるごとし、何の味かあらん、かゝる士のみにては士なきこと同じ、國何をもて立んや、さてその氣は、恥をしると慾をわするゝことより生ず、これいわゆる廉恥の心なり、慾をわすれば身のためあしゝといへども、いとわず、恥をしれば身をころしてもかへり見ず、かくありなば、世におそろしと思ふことはあるまじ、つよきことむべならずや、孟子に志士不忘在溝壑。勇士不忘喪其元。といへり、士たるもの常々此要文を護身符としてわすれずば、廉恥の心を失ふまじ、廉恥のこゝろを失はずして禮義の心にもなるべし、

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る