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士道心得書 / 詭道は敵に向ける

故に禍亂に及ぶ時、變を治るに至ては、詭道に不有ば、何を以てすべき哉。世の愚者、兵法疎くして、經書の片端を聞はつり、僞といふ事を【さ/き】みわるく思ひて、聖賢の常を治る道の眞似を致したがり、色〻異說を云て、是却て兵道に對して不僞成哉、孫子の心に不有。かくいへば、亦詭道を武士の全體の道と思ひて、不變の常〻君臣父子夫婦兄弟朋友の間に詭道を用る事、是又大に誤れり。詭道は敵に對しての用也、弓箭劍戟に同じ。如何ぞ味方に向て劍戟を用る事有ん。又智計謀の三ッは詭道の事と心得る、是又大に相違す。謀智計は要本也。正にも詭にも、萬物に此三要を以てせずば全かる不可、人々能く勘辨せよ。武士は天下の邪曲を正し、正道正義にせん爲にこそ、しばらく詭道を用ひて、人を隨へ、天下國家を治る。去ば正の爲に僞を用、僞の爲に不僞用。僞を能するものは正道を得る、詭を知て正行ふものは國家を得る、正を知て詭を不知ものは國家を亡す。此に於て門人能心を可付也。

新字:故に禍乱に及ぶ時、変を治るに至ては、詭道に不有ば、何を以てすべき哉。世の愚者、兵法疎くして、経書の片端を聞はつり、偽といふ事を【さ/き】みわるく思ひて、聖賢の常を治る道の真似を致したがり、色〻異説を云て、是却て兵道に対して不偽成哉、孫子の心に不有。かくいへば、亦詭道を武士の全体の道と思ひて、不変の常〻君臣父子夫婦兄弟朋友の間に詭道を用る事、是又大に誤れり。詭道は敵に対しての用也、弓箭剣戟に同じ。如何ぞ味方に向て剣戟を用る事有ん。又智計謀の三ッは詭道の事と心得る、是又大に相違す。謀智計は要本也。正にも詭にも、万物に此三要を以てせずば全かる不可、人々能く勘弁せよ。武士は天下の邪曲を正し、正道正義にせん為にこそ、しばらく詭道を用ひて、人を随へ、天下国家を治る。去ば正の為に偽を用、偽の為に不偽用。偽を能するものは正道を得る、詭を知て正行ふものは国家を得る、正を知て詭を不知ものは国家を亡す。此に於て門人能心を可付也。

書き下し

故に禍亂に及ぶ時、變を治むるに至りては、詭道に有らずば、何を以てすべき哉。世の愚者、兵法疎くして、經書の片端を聞きはつり、僞といふ事をさみわるく思ひて、聖賢の常を治むる道の眞似を致したがり、色々異說を云ひて、是れ却つて兵道に對して不僞成る哉、孫子の心に有らず。かくいへば、亦詭道を武士の全體の道と思ひて、不變の常々君臣父子夫婦兄弟朋友の間に詭道を用ゐる事、是れ又大に誤れり。詭道は敵に對しての用なり、弓箭劍戟に同じ。如何ぞ味方に向ひて劍戟を用ゐる事有らん。又智計謀の三ッは詭道の事と心得る、是れ又大に相違す。謀智計は要本なり。正にも詭にも、萬物に此の三要を以てせずば全かるべからず、人々能く勘辨せよ。武士は天下の邪曲を正し、正道正義にせん爲にこそ、しばらく詭道を用ひて、人を隨へ、天下國家を治む。去れば正の爲に僞を用ゐ、僞の爲に不僞を用ゐず。僞を能くするものは正道を得る、詭を知りて正を行ふものは國家を得る、正を知りて詭を知らざるものは國家を亡ぼす。此に於て門人能く心を付くべきなり。

現代語訳

ですから禍や乱に至ったとき、異変を治めるには、詭道でなくて何を用いればよいのでしょうか。世の愚か者は兵法に疎く、経書のはしばしを聞きかじり、偽りということを気味悪く思って、聖賢が平常を治める道の真似をしたがり、あれこれ異説を唱えます。これは兵の道に対してかえって不誠実であり、孫子の心でもありません。こう言うと、今度は詭道を武士の道の全体と思い込み、常に変わらない君臣父子夫婦兄弟朋友の間で詭道を用いる者が出ます。これも大きな誤りです。詭道は敵に対する用いであり、弓矢や剣や戟と同じです。どうして味方に向かって剣や戟を用いてよいでしょう。また智・計・謀の三つを詭道のことだと心得るのも大きな間違いです。謀智計は肝要の根本です。正にも詭にも、あらゆることにこの三つの要で臨まなければ全うできません。人々よく考えなさい。武士は天下の邪まを正し、正道正義を実現するために、しばらく詭道を用いて人を従え、天下国家を治めるのです。ですから正のために偽りを用い、偽りのために偽りでないものを用いてはいけません。偽りをよくする者は正道を得、詭を知って正を行う者は国家を得、正を知って詭を知らない者は国家を滅ぼします。ここに門人はよく心を付けなさい。

解説

前章を受け、詭道は敵に向ける刃であり、味方に向けてはならないと明確に線を引きます。同時に、謀智計は詭の技ではなく、正にも要る根本だとも述べます。要点は、手段としての策略は、正しい目的のためにのみ用いるという順序です。現代の組織では、策を弄する力を、社内の同僚や部下に向けてしまう誘惑があります。管理職は、競争相手には知恵を尽くし、組織の内側には誠実さを貫くという切り分けを、自分の行動基準として明確に持つべきです。

この章句が説くこと

詭道味方に刃を向けない謀智計目的と手段正道士道心得書

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