孫子 / 始計篇
利而誘之,亂而取之,實而備之,強而避之,怒而撓之,卑而驕之,佚而勞之,親而離之。
新字:利而誘之,乱而取之,実而備之,強而避之,怒而撓之,卑而驕之,佚而労之,親而離之。
書き下し
利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれを撓し、卑にしてこれを驕らしめ、佚にしてこれを労し、親にしてこれを離す。
現代語訳
敵が利を欲すれば餌で誘い出し、内が乱れていればつけ込んで奪う。敵の備えが充実していれば防御を固め、敵が強ければ正面からの衝突を避ける。怒りやすい相手は挑発して冷静さを奪い、慎重な相手はおだてて油断させる。休養十分な敵は動かし続けて疲れさせ、団結した敵は仲を裂いて離間させる。
解説
前の「兵とは詭道なり」を受け、敵の状態ごとに手を変える八つの型を並べた一節です。共通するのは「相手をよく観て、その状態の逆を突く」という発想。利を欲する者は餌に弱く、怒りっぽい者は挑発に乗り、結束は離間で崩れる——敵の強みや性質そのものを、こちらの手がかりに変えていきます。力任せではなく、観察と心理の駆け引きで優位をつくるのが孫子の真骨頂です。仕事でも、競合や交渉相手を一律に扱うのではなく、相手が何を求め、どこに感情の隙があり、何で結束しているかを見極めれば、打つ手はおのずと変わります。相手を力でねじ伏せようとするより、相手の性質に合わせて働きかけるほうが、はるかに効きます。
この章句が説くこと
詭道心理戦駆け引き相手に応じた駆け引き離間
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孫子・始計篇兵とは詭道なり。
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