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洗心洞箚記 / 跋松本乾知

無吏治學術俟人倡乎上而趨向者乃庸常也不俟人倡乎上而奮挺振勵盡忠乎職傳道乎世者非豪傑不能也吾師中齋先生吏材類似趙廣漢而知幾愛物有或過之焉其理學乃源乎姚江而忌姚江者天下滔滔皆是矣先生嘗於人眠如羊時立殺身成仁之志以獨振乎吏羣犯天下之至險建天下之奇勳而身退矣身退而又將以斯文覺後覺也是故以其所獨得太虛良知之義乃筆之書或授生徒或傳同志而今應書肆之請以遂公示諸世也世之孝子忠臣仁人君子觀之以玩味則雖本忌姚江者當必有益立其志明其德者焉然則天下不可無之書也嗚呼先生當無倡者時進不獨盡忠乎職雖退志在于後覺廼如此然則斯人非豪傑而誰爲豪傑命乾知等跋其卷尾乾知適嬰病不能深思而綴文故纔書是數字以不逆命耳云

新字:無吏治学術俟人倡乎上而趨向者乃庸常也不俟人倡乎上而奮挺振励尽忠乎職伝道乎世者非豪傑不能也吾師中斎先生吏材類似趙広漢而知幾愛物有或過之焉其理学乃源乎姚江而忌姚江者天下滔滔皆是矣先生嘗於人眠如羊時立殺身成仁之志以独振乎吏羣犯天下之至険建天下之奇勲而身退矣身退而又将以斯文覚後覚也是故以其所独得太虚良知之義乃筆之書或授生徒或伝同志而今応書肆之請以遂公示諸世也世之孝子忠臣仁人君子観之以玩味則雖本忌姚江者当必有益立其志明其徳者焉然則天下不可無之書也嗚呼先生当無倡者時進不独尽忠乎職雖退志在于後覚廼如此然則斯人非豪傑而誰為豪傑命乾知等跋其巻尾乾知適嬰病不能深思而綴文故纔書是数字以不逆命耳云

書き下し

吏治学術無くんば、人の上に倡ふるを俟ちて趨向する者は、乃ち庸常なり。人の上に倡ふるを俟たずして、奮挺振励し、忠を職に尽くし、道を世に伝ふる者は、豪傑に非ずんば能はざるなり。吾が師中斎先生、吏材は趙広漢に類似して、幾を知り物を愛すること或いは之に過ぐる有り。其の理学は乃ち姚江に源づく、而して姚江を忌む者天下滔滔として皆是れなり。先生嘗て人の眠ること羊の如き時に於いて、身を殺して仁を成すの志を立て、以て独り吏群に振ひ、天下の至険を犯し、天下の奇勲を建てて身退く。身退きて又将に斯文を以て後覚を覚さんとす。是の故に其の独り得る所の太虚良知の義を以て、乃ち之を書に筆し、或いは生徒に授け、或いは同志に伝ふ。而して今書肆の請ひに応じて、以て遂に公に諸を世に示す。世の孝子忠臣仁人君子、之を観て以て玩味せば、則ち本と姚江を忌む者と雖も、当に必ず益々其の志を立て其の徳を明らかにする者有るべし。然らば則ち天下に無かるべからざるの書なり。嗚呼、先生倡ふる者無き時に当たりて、進みては独り忠を職に尽くし、退くと雖も志後覚に在ること廼ち此くの如し。然らば則ち斯の人豪傑に非ずして誰をか豪傑と為さん。乾知等に命じて其の巻尾に跋せしむ。乾知適々病に嬰りて、深く思ひて文を綴る能はず。故に纔かに是の数字を書して以て命に逆らはざるのみと云ふ。

現代語訳

吏治(役人としての治政)であれ学術であれ、人が上で唱えるのを待ってからそちらへ向かう者は凡庸である。人が上で唱えるのを待たずに奮い立ち励み、職に忠を尽くし、道を世に伝える者は、豪傑でなければできない。わが師中斎先生は、役人としての才は趙広漢(前漢の名京兆尹)に似ており、物事の兆しを知り人や物を愛することでは、あるいは彼にまさるところがある。その理学は姚江(王陽明)に源を発するが、姚江を忌み嫌う者が天下に満ちあふれている。先生はかつて、人々が羊のようにおとなしく眠っている時に、身を殺して仁を成すという志を立て、独り役人仲間の中で奮い立ち、天下の最も険しいことを冒して、天下にまれな勲功を立てて身を退いた。退いてからは、さらにこの学問で後から覚る者を目覚めさせようとした。だから独り得た太虚と良知の義を書に記し、あるいは門生に授け、あるいは同志に伝えた。そしていま本屋の願いに応じて、ついに公に世に示すことになった。世の孝子・忠臣・仁人・君子がこれを読んで味わえば、もともと姚江を忌む者でも、必ずますますその志を立て、その徳を明らかにする者があるはずである。そうであれば、これは天下になくてはならない書である。ああ、先生は唱える者のいない時に、進んでは独り職に忠を尽くし、退いても志は後覚の者にあることがこのようである。そうであれば、この人が豪傑でなくて、だれを豪傑とするのか。先生は乾知らに巻末の跋を書くよう命じられた。乾知はたまたま病にかかり、深く考えて文を綴ることができない。だからわずかにこの数字を書いて、命に背かないようにしただけである。

解説

門人松本乾知の短い跋で、『箚記』全巻の結びである。人の唱えるのを待たずに職に忠を尽くし道を伝える者こそ豪傑だとし、中斎を前漢の能吏趙広漢になぞらえる。陽明学を忌む者が多い中で、人々が眠るような時に殺身成仁の志を立て、与力として奇勲を建てて退き、のち太虚良知の義を書に記して世に示したという。この跋の二年後、中斎は大坂で乱を起こすことになるが、ここで語られるのは書と教育を通じて後覚を覚ます志である。誰も声を上げないときに自ら動くことの難しさと尊さを、現代の職場にも問いかける一段である。

この章句が説くこと

太虚良知志豪傑陽明学大塩中斎

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