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洗心洞箚記 / 跋湯川幹

昔宋王元之嘗草李繼遷制送馬五十匹以備濡潤元之却之及出守滁州閩人鄭褒徒步謁元之愛其儒雅乃別爲買一馬或言買馬虧價者太宗曰彼能却繼遷五十匹顧此肯虧價哉先生之鞭撻苞苴不納鬻獄錢如此而今自售書而貪細利則非却五十匹而虧價者乎是理之所無也幹在先生之門僅一年于茲矣雖未能窺其室家之好然於其議先生者之言則幹嘗聞之久矣隨聞隨辨未肯讓他人焉故今於斯書之出也不得不復辨晰之也如夫論道之根柢與學之淵源則升堂者之責耳非幹之所敢當也然而於太虛良知之義旣徹耳而存乎心啞子不能告苦李之味而獨自知之焉耳謹跋

新字:昔宋王元之嘗草李継遷制送馬五十匹以備濡潤元之却之及出守滁州閩人鄭褒徒歩謁元之愛其儒雅乃別為買一馬或言買馬虧価者太宗曰彼能却継遷五十匹顧此肯虧価哉先生之鞭撻苞苴不納鬻獄銭如此而今自售書而貪細利則非却五十匹而虧価者乎是理之所無也幹在先生之門僅一年于茲矣雖未能窺其室家之好然於其議先生者之言則幹嘗聞之久矣随聞随弁未肯譲他人焉故今於斯書之出也不得不復弁晰之也如夫論道之根柢与学之淵源則升堂者之責耳非幹之所敢当也然而於太虚良知之義既徹耳而存乎心唖子不能告苦李之味而独自知之焉耳謹跋

書き下し

昔宋の王元之嘗て李継遷の制を草す。馬五十匹を送りて以て濡潤に備ふ。元之之を却く。出でて滁州に守たるに及び、閩人鄭褒徒歩して元之に謁す。其の儒雅を愛し、乃ち別に為に一馬を買ふ。或ひと馬を買ひて価を虧く者と言ふ。太宗曰く、彼能く継遷の五十匹を却く、顧つて此れ肯へて価を虧かんや、と。先生の苞苴を鞭撻し、獄を鬻ぐの銭を納れざること此くの如し。而るに今自ら書を售りて細利を貪らば、則ち五十匹を却けて価を虧く者に非ずや。是れ理の無き所なり。幹先生の門に在ること僅かに一年茲に于てす。未だ其の室家の好を窺ふ能はずと雖も、然れども其の先生を議する者の言に於いては、則ち幹嘗て之を聞くこと久し。聞くに随ひて辨じ、未だ肯へて他人に譲らず。故に今斯の書の出づるに於いてや、復た之を辨晰せざるを得ざるなり。夫の道の根柢と学の淵源とを論ずるが如きは、則ち升堂者の責のみ。幹の敢へて当たる所に非ざるなり。然り而して太虚良知の義に於いては、既に耳に徹して心に存す。唖子は苦李の味を告ぐる能はずして独り自ら之を知るのみ。謹んで跋す。

現代語訳

昔、宋の王元之(王禹偁)が、李継遷を任じる詔書の草案を書いたとき、継遷が馬五十頭を送って謝礼にあてようとしたが、元之はそれを退けた。のちに滁州の知事に出たとき、閩の人鄭褒が徒歩で元之に面会に来た。元之はその儒者らしい雅びを愛し、別に彼のために馬を一頭買ってやった。ある人が「馬を買って値を値切った者だ」と告げると、太宗は「彼は継遷の五十頭を退けた男だ。どうしてこんなことで値を値切ろうか」と言った。先生が賄賂を鞭打って退け、裁判を売って得た銭を家に入れなかったことはこのとおりである。それなのにいま自分で書を売って小さな利をむさぼるなら、五十頭を退けておきながら値を値切る者ではないか。そんな道理はありえない。私幹が先生の門にいるのは、わずかに一年になるばかりである。まだ先生の家の奥の美しさをうかがうことはできないが、先生を論じる者の言葉については、久しく聞いてきた。聞くたびに弁じて、他人に譲ろうとしなかった。だからいまこの書が出るにあたって、また弁じて明らかにしないわけにはいかないのである。道の根底と学の淵源を論じるようなことは、堂に昇った高弟の責任であって、私幹があえて引き受けることではない。しかし太虚と良知の義については、すでに耳を通って心にとどまっている。口のきけない者は苦い李の味を人に告げられず、ただ自分だけが知っているのである。謹んで跋を記す。

解説

湯川幹は宋の王禹偁(元之)の故事を引く。李継遷の馬五十頭を退けた人が、一頭の馬の値を値切るはずはないと太宗が言ったように、賄賂を退けた中斎が書を売って細利を貪るはずはないという論法である。入門わずか一年の幹は、道の根柢を論じるのは高弟の役目と控えつつ、太虚良知の義は心に存し、唖者が苦い李の味を独り知るようだと結ぶ。言葉にできなくても確かに得たものがあるという謙虚な表現が印象深い。大きな誘惑を退けてきた実績は、小さな疑いへの何よりの反証になる。信頼は日々の小さな筋目の積み重ねで築かれる。

この章句が説くこと

太虚良知廉潔義利陽明学王禹偁

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