洗心洞箚記 / 跋湯川幹
信疑毀譽仁人君子之所不免也然而信疑有眞有妄故毀譽有公有私明者必察焉識者必辨焉我中齋先生門人嘗刻先生之箚記先生藏之高嶽獻諸勢廟以質其神而所以質其神之意與太史公藏名山亦不同矣故上自高官下至吏胥苟與政敎者則必呈且贈焉於是信先生者則譽曰是爲世也疑先生者則毀曰是爲名也然此則屬旣往不辨而可今茲乙未之夏因書肆之請以示海內之士亦惟汲汲遑遑事於覺者也於是信先生者復譽曰是爲道也疑先生者復毀曰是爲利也嗟乎夫一信一疑一毀一譽幹未知其孰眞孰妄孰公孰私也要之皆未必知先生者之言也夫固不足輕重先生矣先生之嘗在仕途也其淸德廉行鞭撻苞苴家不納鬻獄錢海內之士識與不識皆能熟聞之然則至若夫俗論不容喙乎其間而淸濁義利居然可見矣而今呶呶不已者何也此特爲目先生以利之數者而發耳
新字:信疑毀誉仁人君子之所不免也然而信疑有真有妄故毀誉有公有私明者必察焉識者必弁焉我中斎先生門人嘗刻先生之箚記先生蔵之高嶽献諸勢廟以質其神而所以質其神之意与太史公蔵名山亦不同矣故上自高官下至吏胥苟与政教者則必呈且贈焉於是信先生者則誉曰是為世也疑先生者則毀曰是為名也然此則属既往不弁而可今茲乙未之夏因書肆之請以示海内之士亦惟汲汲遑遑事於覚者也於是信先生者復誉曰是為道也疑先生者復毀曰是為利也嗟乎夫一信一疑一毀一誉幹未知其孰真孰妄孰公孰私也要之皆未必知先生者之言也夫固不足軽重先生矣先生之嘗在仕途也其清徳廉行鞭撻苞苴家不納鬻獄銭海内之士識与不識皆能熟聞之然則至若夫俗論不容喙乎其間而清濁義利居然可見矣而今呶呶不已者何也此特為目先生以利之数者而発耳
書き下し
信疑毀誉は仁人君子の免れざる所なり。然り而して信疑に真有り妄有り、故に毀誉に公有り私有り。明者は必ず焉を察し、識者は必ず焉を辨ず。我が中斎先生の門人嘗て先生の箚記を刻す。先生之を高岳に蔵し、諸を勢廟に献じて以て其の神に質す。而して其の神に質す所以の意は、太史公の名山に蔵すると亦同じからず。故に上は高官より下は吏胥に至るまで、苟も政教に与る者には則ち必ず呈し且つ贈る。是に於いて先生を信ずる者は則ち誉めて曰く、是れ世の為なり、と。先生を疑ふ者は則ち毀りて曰く、是れ名の為なり、と。然れども此れ則ち既往に属して辨ぜずして可なり。今茲乙未の夏、書肆の請ひに因りて以て海内の士に示す。亦惟だ覚に事ふるに汲汲遑遑たるなり。是に於いて先生を信ずる者は復た誉めて曰く、是れ道の為なり、と。先生を疑ふ者は復た毀りて曰く、是れ利の為なり、と。嗟乎、夫れ一信一疑、一毀一誉、幹未だ其の孰れか真孰れか妄、孰れか公孰れか私なるかを知らざるなり。之を要するに皆未だ必ずしも先生を知る者の言ならざるなり。夫れ固より先生を軽重するに足らず。先生の嘗て仕途に在るや、其の清徳廉行、苞苴を鞭撻し、家に獄を鬻ぐの銭を納れず。海内の士、識ると識らざるとと、皆能く之を熟聞す。然らば則ち夫の俗論の若きに至りては、喙を其の間に容れずして、清濁義利、居然として見るべし。而して今呶呶として已まざる者は何ぞや。此れ特に先生を目するに利を以てするの数者の為にして発するのみ。
現代語訳
信じられ疑われ、そしられほめられることは、仁人君子でも免れないものである。しかし信疑には真と妄があり、だから毀誉には公と私がある。明らかな人は必ずそれを察し、見識ある人は必ずそれを見分ける。わが中斎先生の門人が、かつて先生の『箚記』を版に刻んだ。先生はそれを高岳(富士山)に納め、勢廟(伊勢神宮)に献じて神に問うた。その神に問う意図は、太史公(司馬遷)が著書を名山に納めたのとはまた違う。だから上は高官から下は小役人まで、かりにも政治と教化に関わる者には、必ず差し上げ贈った。すると先生を信じる者はほめて「これは世のためだ」と言い、先生を疑う者はそしって「これは名声のためだ」と言った。しかしこれはすでに過ぎたことで、弁じなくてもよい。今年乙未(天保六年)の夏、本屋の願いによって、これを国内の士に示すことになった。これもただ人を目覚めさせることに懸命で休む暇もないからである。すると先生を信じる者はまたほめて「これは道のためだ」と言い、先生を疑う者はまたそしって「これは利のためだ」と言った。ああ、一方で信じ一方で疑い、一方でそしり一方でほめる。私幹には、そのどれが真でどれが妄か、どれが公でどれが私かわからない。要するにどれも必ずしも先生を知る者の言葉ではない。そもそも先生の重さを左右するに足りない。先生がかつて仕官の道にあったとき、その清らかな徳と廉潔な行いは、賄賂を鞭打って退け、裁判を売って得た銭を家に入れなかった。国内の士は、先生を知る者も知らない者も、みなよく聞き知っている。そうであれば、あの俗論のようなものは口をはさむ余地もなく、清濁と義利ははっきりと見て取れる。それなのに今くどくどと言いやまない者がいるのはなぜか。これはただ、先生を利のためと見なす数人のために言っておくのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『洗心洞箚記』箚記跋(松浦誠之)同門の友嘗て吾が師中斎先生の箚記二巻を家塾に刻して、今や将に之を世に伝へんとす。其の義は則ち先生の自述に在り。而して復た誠之等に命じて之に跋せしむ。誠之質鈍く材劣り、加ふるに不文を以てす。何ぞ敢へて先生の書を汚さんや。然れども師門に親炙すること凡そ十年なり。先生の出処進退及び其の学術の変化純熟、見て之を知る者、誠之等に如くは勿し。故に又之を余人に譲る能はざるなり。是を以て遂に拝手して跋して曰く、嗚呼、先生の嘗て仕路に在るや、勤慎廉潔、風節徳威、諸を天地神明に質して愧ぢざる者なり。其の衙長を佐けて以て強を抑へ弱を救ひ、邪を挫き正を扶く。人過激と謂ふと雖も、然れども宿弊立ちどころに袪かれ、積蠹直ちに滅ぶ。功を明に建てて化を幽に延べ、忠を国に尽くして孝を家に致す。身名両つながら全くして、富貴栄寵を貪らずして勇退す。諸を若水銭公諸先輩に較ぶれば何如ぞや。人皆以て是れ其の天資聡明果毅の決に出づと為して、未だ嘗て其の学問の力に在るを知らざるなり。
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『洗心洞箚記』箚記自述余対へて曰く、誠に然り誠に然り。而るに子等此の五者を以て先賢の成語と為すか。又我の創説と謂ふか。我の創説ならば、則ち宜しく後の慮り有るべし。先賢の成語にして、吾特に之を発揮するのみならば、則ち又何ぞ患ふるに足らんや。況んや此れ刮目の一経を釈するの比の如きに非ず。是を以て未だ嘗て経を賊ひ儒先の経を解するの累ひを貽すの罪有らざるなり。要は一家の言なるのみ。故に縦ひ百毀千謗我に萃まるとも、亦何を以てか避けん。必ず我に益有る者あらん。世の我を教ふる良き師友は、其の百毀千謗に過ぐる莫し。是れ余が人に望むこと尚し。子等決して之を梓せよと。是に於て我が社の二三子資を捐てて遂に諸を家塾に刻す。日ならずして工竣る。因りて簡端に題して、其の彼を舎てて此を梓する所以の由を説き、而して巻は上下二編に分かつと云ふ。
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『洗心洞箚記』跋(松本乾知)吏治学術無くんば、人の上に倡ふるを俟ちて趨向する者は、乃ち庸常なり。人の上に倡ふるを俟たずして、奮挺振励し、忠を職に尽くし、道を世に伝ふる者は、豪傑に非ずんば能はざるなり。吾が師中斎先生、吏材は趙広漢に類似して、幾を知り物を愛すること或いは之に過ぐる有り。其の理学は乃ち姚江に源づく、而して姚江を忌む者天下滔滔として皆是れなり。先生嘗て人の眠ること羊の如き時に於いて、身を殺して仁を成すの志を立て、以て独り吏群に振ひ、天下の至険を犯し、天下の奇勲を建てて身退く。身退きて又将に斯文を以て後覚を覚さんとす。是の故に其の独り得る所の太虚良知の義を以て、乃ち之を書に筆し、或いは生徒に授け、或いは同志に伝ふ。而して今書肆の請ひに応じて、以て遂に公に諸を世に示す。世の孝子忠臣仁人君子、之を観て以て玩味せば、則ち本と姚江を忌む者と雖も、当に必ず益々其の志を立て其の徳を明らかにする者有るべし。然らば則ち天下に無かるべからざるの書なり。嗚呼、先生倡ふる者無き時に当たりて、進みては独り忠を職に尽くし、退くと雖も志後覚に在ること廼ち此くの如し。然らば則ち斯の人豪傑に非ずして誰をか豪傑と為さん。乾知等に命じて其の巻尾に跋せしむ。乾知適々病に嬰りて、深く思ひて文を綴る能はず。故に纔かに是の数字を書して以て命に逆らはざるのみと云ふ。
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『洗心洞箚記』跋(湯川幹)昔宋の王元之嘗て李継遷の制を草す。馬五十匹を送りて以て濡潤に備ふ。元之之を却く。出でて滁州に守たるに及び、閩人鄭褒徒歩して元之に謁す。其の儒雅を愛し、乃ち別に為に一馬を買ふ。或ひと馬を買ひて価を虧く者と言ふ。太宗曰く、彼能く継遷の五十匹を却く、顧つて此れ肯へて価を虧かんや、と。先生の苞苴を鞭撻し、獄を鬻ぐの銭を納れざること此くの如し。而るに今自ら書を售りて細利を貪らば、則ち五十匹を却けて価を虧く者に非ずや。是れ理の無き所なり。幹先生の門に在ること僅かに一年茲に于てす。未だ其の室家の好を窺ふ能はずと雖も、然れども其の先生を議する者の言に於いては、則ち幹嘗て之を聞くこと久し。聞くに随ひて辨じ、未だ肯へて他人に譲らず。故に今斯の書の出づるに於いてや、復た之を辨晰せざるを得ざるなり。夫の道の根柢と学の淵源とを論ずるが如きは、則ち升堂者の責のみ。幹の敢へて当たる所に非ざるなり。然り而して太虚良知の義に於いては、既に耳に徹して心に存す。唖子は苦李の味を告ぐる能はずして独り自ら之を知るのみ。謹んで跋す。
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『洗心洞箚記』後自述而して始め其の刻の成るや、諸を弟子に授け、又以て有志の人に贈るのみ。而して敢へて諸を世に公にせんと欲せざるなり。頃者書肆積玉圃来りて曰く、世既に洗心洞箚記有るを知る。故に間ま書肆に就きて以て之を購求せんと要むる者有り。願はくは諸を世に公にせよ。独り書肆利を得るのみならず、学人も亦当に必ず大いに益有るべしと。予因りて再び之を思ふ。其の世に示すは、固より素志に非ず。然れども世に示さずんば、則ち其の及ぶ所自ら広からず。及ぶ所広からずんば、則ち道徳太虚の微を覚らずして終はる者も、亦自ら少なからざらんか。同胞にして之を坐視するに忍びんや。是に於て幡然として改め、蔵刻の板を出だして以て之に与へ、又之に謂ひて曰く、汝等意に随ひて以て之を購ふ者に售れ。如し利を獲ること有らば、其の利を以て乃ち別に舶来の聖賢の書を翻刻し、却つて復た吾が輩に嘉恵せよ。則ち其の益を得るや、財貨に踰ゆること万倍ならんと。
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『洗心洞箚記』箚記自述故に子弟転写の労を省かんが為に、胥ひ謀りて諸を梓に上せ、家塾に蔵して世に公にせずんば、則ち安んぞ之を許さざるを得んや。請ふ者曰く、諾。彼を舎てて此を梓し、将に教へに従はんとす。然りと雖も将来恐らくは世に漏れ出でば、則ち百毀千謗、必ず此れ彼より甚だしからん。何となれば則ち先生学に於て人情に愜はざる者五つ有り。一に曰く太虚。二に曰く致良知。三に曰く変化気質。四に曰く一死生。五に曰く去虚偽。夫れ太虚は釈老に似たり。致良知は朱学に敵す。変化気質は客気勝心なる者の難しとする所。一死生は凡庸怯惰の輩の忌む所。而して虚偽は則ち中人已下、抑も無始の妄縁の其の血肉の間に攙和せざる者鮮し。故に一として其の意に逆らはざる無し。世の悪みを免れんと欲するも得んや。百毀千謗、此れ彼より甚だしきの云ひは此を以てなり。先生宜しく三思すべし。
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