洗心洞箚記 / 卷下・第百三十五條
先生三十一歲嘗移居西湖、往來南屏虎跑間、有僧禪坐三年、不語不視、先生喝曰、這和尙終日口巴巴說甚麼、終日眼睜睜看甚麼、僧驚起、先生問其家、對曰、有母在、曰、起念否、對曰、不能不起念、先生卽指愛親本性諭之、僧涕泣拜謝、挈鉢而歸、夫陽明先生之學、只止於中庸所謂語大天下莫能載焉、語小天下莫能破焉二義而已矣、故能一以貫之、豈如通於此而礙於彼、明於上而暗於下者也哉、而世以先生爲庶乎禪、不獨在語大天下莫能載焉上爲然、以又其有疑於語小天下莫能破焉之或不管、故誣毀一至此、
新字:先生三十一歳嘗移居西湖、往来南屏虎跑間、有僧禅坐三年、不語不視、先生喝曰、這和尚終日口巴巴説甚麼、終日眼睜睜看甚麼、僧驚起、先生問其家、対曰、有母在、曰、起念否、対曰、不能不起念、先生即指愛親本性諭之、僧涕泣拝謝、挈鉢而帰、夫陽明先生之学、只止於中庸所謂語大天下莫能載焉、語小天下莫能破焉二義而已矣、故能一以貫之、豈如通於此而礙於彼、明於上而暗於下者也哉、而世以先生為庶乎禅、不独在語大天下莫能載焉上為然、以又其有疑於語小天下莫能破焉之或不管、故誣毀一至此、
書き下し
先生三十一歳、嘗て居を西湖に移し、南屏・虎跑の間を往来す。僧の禅坐すること三年、語らず視ざるもの有り。先生喝して曰く、這の和尚終日口巴巴として甚麼をか説く、終日眼睜睜として甚麼をか看る、と。僧驚き起つ。先生其の家を問ふ。対へて曰く、母在る有り、と。曰く、念を起こすや否や、と。対へて曰く、念を起こさざる能はず、と。先生即ち親を愛するの本性を指して之を諭す。僧涕泣して拝謝し、鉢を挈げて帰る。夫れ陽明先生の学は、只だ中庸に所謂大を語れば天下能く載する莫く、小を語れば天下能く破る莫きの二義に止まるのみ。故に能く一以て之を貫く。豈に此に通じて彼に礙げられ、上に明らかにして下に暗き者の如からんや。而るに世先生を以て禅に庶しと為すは、独り大を語れば天下能く載する莫き上に在りて然りと為すのみならず、又其の小を語れば天下能く破る莫きの或いは管せざるに疑ひ有るを以て、故に誣毀此に至る。
現代語訳
先生は三十一歳のとき、住まいを西湖に移し、南屏山と虎跑泉のあたりを行き来していた。三年も坐禅して、ものも言わず目も向けない僧がいた。先生は一喝して言った。「この和尚は一日じゅう口をぱくぱくさせて何を説いているのか、一日じゅう目をかっと見開いて何を見ているのか」。僧は驚いて立ち上がった。先生がその家族を尋ねると、「母がおります」と答えた。「思い出すことはあるか」と問うと、「思い出さずにはいられません」と答えた。先生はすぐに親を愛する本性を指し示して諭した。僧は涙を流して拝謝し、鉢を手に家へ帰った。そもそも陽明先生の学は、ただ『中庸』にいう「大を語れば天下もそれを載せきれず、小を語れば天下もそれを割り砕けない」という二つの意味に尽きる。だから一つのものでこれを貫くことができる。どうしてこちらに通じてあちらに妨げられ、上に明るく下に暗いような者であろうか。ところが世の人が先生を禅に近いとするのは、ただ「大を語れば天下も載せきれない」という高い面についてそう言うだけでなく、「小を語れば天下も割り砕けない」という身近な面に行き届いていないのではと疑うからで、それでこれほどまでにそしるのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『徂徠先生答問書』卷中其内にも孝弟を専らと相見え候は、幼少なる人のいまだ親の家内に居候内は、君臣朋友の上はさしあたらぬ事故に候。孝弟の内に孝を第一といたし候は、兄弟なき人は候へども父母なき人は無之故に候。孝弟の教は幼少なる人にも入やすく。是よりしては忠信五倫の道もをのづからに得候事故、先王の教にも殊に専一に被成候事に候。扨是を中庸の徳行と名付候事は、いかなる愚なる人も、又才智すぐれ候人も。たれにてもなり申候事にて、別に高妙なる儀にて無御座候故名付候事に候。
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『翁問答』下卷之末之末体充曰、さやうに候はゞ、今時の物よみ坊主衆のかみをそりて出家のまねをめさるゝも、道理にかなひたる事にて候や。師の曰、俗儒の作法は無案内なれば、何とも了簡に及がたし、定て日本にての俗儒は、かみをそらではかなはぬ子細ありての事ならんか、真儒の道にて論ずれば、中庸の神理にだにかなひぬれば、かみをそりても苦しからず、泰伯は孝行の為に髪を断身を文にしたまひたり、しかるを孔子、泰伯は其れ至徳と謂ふべきのみと嘆美したまふかみをたち身を文にしたまふをほめたまふにあらず、
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『翁問答』下卷之末之末全孝の心法をよく受用して得ことあれば、其心ひろく体胖に広大高明精微中庸の神道を服膺して、人の子となりては孝に止り、人の臣下となりては忠に止り、人の親となりては慈に止り、人の君となりては仁に止り、人の兄となりては恵に止り、人の弟となりて恭に止り、人の朋友となりては信に止り、富貴に素しては富貴を行ひ、貧賤に素しては貧賤をおこない、夷狄に素しては夷狄をおこなひ、患難に素しては患難をおこなひ、境遇に意必の累なきこと水のながるゝ如く、心の安く静なる事は山の定れるが如く暴君汚吏も志を奪ことあたはず天災地妖も殺ことあたはざるものなり、もしまた聖胎純熟の時至り、脱胎神化して神聖の位に至ときは、天地と其徳をあはせ、日月と其明をあはせ、四時と其序をあはせ、鬼神と其吉凶をあはせ、四表に光被し上下に格る、しかる故に南面の位にありては帝堯の君たるなり、北面の位にありては帝舜の臣たる也、位を得ずして下にありては玄聖素王の道なり、孔子曰、夫れ聖人の徳、又何を以てか孝に加へんや。
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『都鄙問答』卷之四・或人神詣ヲ問之段答ふ、親の心に適ふやうにせらるべし。曰く、親はなきゆへに、問ふこともならず、親の心、いかゞしてしるべきや。答ふ、都て親の心は、子の身の上能きことを願ふものなり。親の心は、子を思ふに致らざる所なし。然れば、身の汚れなき以前に、産神へ参らるべし。親存生の時に、汝在所へ往かば、先づ産神へ参るべしといはるゝに非ずや。然らば先づ社参して神を敬はゞ、是親の心に合ふといふものなり。父母の心に合ふほど、宜きことあらんや。范氏曰く、子能く父母の心を以て心と為せば則ち孝なり。中庸に、死に事ふること生に事ふるが如しといへり。今は父母なしといへども、此意味を得心して事へば、孝行と成るべきことなり。
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『徂徠先生答問書』卷中一孝行の儀御尋に候。成程聖人の教には孝弟忠信を中庸の徳行と名付け、是を貴賤によらず人たる者の勤め行ふべき事といたし申候。君子の道も、是を土台にいたし不申候得ば、高きにのぼるに楷梯なきがごとくに御座候。舜の契を司徒の官になされ、五倫を教へしめ給ふも、孔子の民に中庸の徳なき事を御なげき被成候も同意にて御座候。孝は父母によくつかへ候事、弟は兄長によくつかへ候事、忠は君につかゆるにても、又たれにても、人のためになし候事をば我身の事のごとくに如在なく身にかけ申候事に候。信と申候は、朋友其外あまねくの人にまじはり申候には言語を慎み偽り違候事なきやうに致し候を申候。是にて父母兄弟君臣朋友の道こもり申候故、五倫と申候も、中庸と申候も、孝弟忠信と申候も、ひとつ事にて御座候。
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『弁名』孝悌孝弟忠信は、孔門蓋し之を中庸と謂ふ。其の甚だしくは高からず、人皆行ふべきの事為るを以てなり。故に先王の道を学ぶは、必ず孝弟より始む。諸を辟ふれば、高きに登るは必ず卑きよりし、遠きに行くは必ず邇きよりするがごとし。孟子曰く、「堯舜の道は孝弟のみ」と。是れ之の謂なり。其の以て仁賢の徳に馴致すべきを謂ふなり。然りと雖も、後儒論説を喜ぶこと甚しく、遂に仁孝を以て之を一にす。非なり。孝は自ら孝、仁は自ら仁。君子は一を挙げて以て百を廃するを悪む。仮使一孝にして足らば、則ち江革・王祥既に聖人為らん。故に孔子曰く、「行ひて余力有れば、則ち以て文を学べ」と。孝弟有りと雖も、学ばずんば未だ郷人たるを免れざるを言ふなり。是れ又学者の当に知るべき所なり。然りと雖も、周官の師氏、既に至徳・敏徳を立てて、以て一切を尽くすに足れども、更に孝徳を立てて以て之を教ふ。見るべし、它の不善有りと雖も、苟も孝徳有らば、則ち先王の取る所なるを。先王の孝を重んずること是の若きかな。
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