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洗心洞箚記 / 卷下・第百四條

張子曰、天地之塞、吾其體、天地之帥、吾其性、謹按、西銘二百五十有三字之要、只在此二句、而此二句之要、亦止在塞帥體性之四字焉而已矣、塞充塞乎兩間、而有形象者也、是卽太虛之用、帥太虛之神、而無形象者也、是卽有形之原也、故塞無帥、則庶乎息矣、帥無塞則無所施焉、要二而一也、然則塞帥非天地之理氣耶、夫人物之體性、皆從天地之理氣生來、本無二矣、猶與子從父母出來一般、故曰、乾坤、人物之大父母也、崇伯子也、潁封人也、舜也、申生也、參也、伯奇也、皆善事其君父而盡吾體性之德、以全大父母所賜之理氣者也、其所賜之理氣、豈止昔人、雖今人及千萬歲後之人皆具焉、學云者、學此而已矣、

新字:張子曰、天地之塞、吾其体、天地之帥、吾其性、謹按、西銘二百五十有三字之要、只在此二句、而此二句之要、亦止在塞帥体性之四字焉而已矣、塞充塞乎両間、而有形象者也、是即太虚之用、帥太虚之神、而無形象者也、是即有形之原也、故塞無帥、則庶乎息矣、帥無塞則無所施焉、要二而一也、然則塞帥非天地之理気耶、夫人物之体性、皆従天地之理気生来、本無二矣、猶与子従父母出来一般、故曰、乾坤、人物之大父母也、崇伯子也、潁封人也、舜也、申生也、参也、伯奇也、皆善事其君父而尽吾体性之徳、以全大父母所賜之理気者也、其所賜之理気、豈止昔人、雖今人及千万歳後之人皆具焉、学云者、学此而已矣、

書き下し

張子曰く、天地の塞は、吾其の体なり。天地の帥は、吾其の性なり、と。謹んで按ずるに、西銘二百五十有三字の要は、只だ此の二句に在り。而して此の二句の要も、亦た止だ塞帥体性の四字に在るのみ。塞は両間に充塞して、形象有る者なり、是れ即ち太虚の用なり。帥は太虚の神にして、形象無き者なり、是れ即ち有形の原なり。故に塞に帥無ければ、則ち息むに庶し。帥に塞無ければ則ち施す所無し。要するに二にして一なり。然らば則ち塞帥は天地の理気に非ずや。夫れ人物の体性は、皆天地の理気より生じ来り、本より二無し。猶ほ子の父母より出で来たると一般のごとし。故に曰く、乾坤は、人物の大父母なり、と。崇伯の子なり、潁の封人なり、舜なり、申生なり、参なり、伯奇なり、皆善く其の君父に事へて吾が体性の徳を尽くし、以て大父母の賜ふ所の理気を全うする者なり。其の賜ふ所の理気は、豈に止だ昔人のみならんや、今人及び千万歳後の人と雖も皆具ふ。学と云ふ者は、此を学ぶのみ。

現代語訳

張子(張載)は言う。「天地に満ちふさがるものが、わたしの体である。天地を統べ率いるものが、わたしの性である」。謹んで考えると、『西銘』二百五十三字の要点はただこの二句にあり、この二句の要点もまた「塞・帥・体・性」の四字にあるだけである。塞とは天地の間に満ちふさがって形あるもので、これは太虚の働き(用)である。帥とは太虚の神妙な働きで形のないもので、これは形あるものの源である。だから塞に帥がなければ、ほとんど息絶えてしまう。帥に塞がなければ、施すところがない。要するに二つであって一つなのである。そうであれば、塞と帥とは天地の理と気ではないか。人や物の体と性は、みな天地の理と気から生まれてきたもので、もともと二つではない。子が父母から出てくるのと同じである。だから「乾坤(天地)は人や物の大いなる父母である」と言う。崇伯の子(禹)、潁の封人(潁考叔)、舜、申生、曾参、伯奇は、みなよく君や父に仕えて、自分の体と性の徳を尽くし、大いなる父母から授かった理と気を全うした者である。その授かった理と気は、昔の人だけのものであろうか。今の人も千万年後の人も、みな備えている。学ぶとは、これを学ぶことにほかならない。

解説

張載『西銘』の核心を「天地の塞は吾が体、天地の帥は吾が性」の二句、さらに塞・帥・体・性の四字に絞り込む条である。中斎は、塞を形あるもの、帥を形なき太虚の神とし、二つにして一つの理気が人の体と性になると説く。禹や舜、曾参ら孝の人々を挙げるのは『西銘』本文に倣ったもので、天地を大父母とする孝の思想である。長い文章の要点を数語に絞る読み方は、現代の仕事で膨大な資料から核心をつかむ力にも通じる。授かったものは今の人にも等しく備わるという結びは、学ぶ者への励ましである。

この章句が説くこと

太虚性理気西銘孝張載

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