洗心洞箚記 / 卷下・第八十條
梁惠王曰、寡人之於國也、盡心焉耳矣、觀其焉耳矣三字、則惠王自以爲十分盡其善心之意、瞭然可見矣、孔子曰、已矣乎、吾未見能見其過、而內自訟者也、惠王之謂也、然人有勝心客氣、各以意見功詐爲道者、亦是後世之惠王也、豈可獨笑他哉、思之則書之精一、學庸之愼獨、不可須臾缺也、
新字:梁恵王曰、寡人之於国也、尽心焉耳矣、観其焉耳矣三字、則恵王自以為十分尽其善心之意、瞭然可見矣、孔子曰、已矣乎、吾未見能見其過、而内自訟者也、恵王之謂也、然人有勝心客気、各以意見功詐為道者、亦是後世之恵王也、豈可独笑他哉、思之則書之精一、学庸之慎独、不可須臾欠也、
書き下し
梁恵王曰く、寡人の国に於けるや、心を尽くすのみと。其の焉耳矣の三字を観れば、則ち恵王自ら以て十分に其の善心を尽くすと為すの意、瞭然として見るべし。孔子曰く、已んぬるかな、吾未だ能く其の過ちを見て、内に自ら訟むる者を見ずと。恵王の謂ひなり。然れども人勝心客気有りて、各意見功詐を以て道と為す者も、亦是れ後世の恵王なり。豈に独り他を笑ふべけんや。之を思へば則ち書の精一、学庸の慎独、須臾も欠くべからざるなり。
現代語訳
梁の恵王は「わたしの国の治め方は、心を尽くしているばかりだ」と言った。その「焉耳矣」の三字を見れば、恵王が自分で善い心を十分に尽くしていると思っていることがはっきりわかる。孔子は「もうおしまいだ。私は自分の過ちを見て、内に自らを責める者に会ったことがない」(『論語』公冶長篇)と言った。恵王のことである。しかし人が勝ちたい心や客気(血気)を持ち、それぞれ自分の意見や手柄、偽りを道とするのも、また後世の恵王である。どうして彼一人を笑えようか。これを思えば、『書経』の「精一」、『大学』『中庸』の「慎独」は、片時も欠いてはならない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『洗心洞箚記』卷下・第七十九條或ひと梁恵王曰く寡人の国に於けるやの章の義を問ふ。曰く、恵王の尽心と、後章の其の心を尽くす者は其の性を知るなりの尽心とは、字同じくして旨異なり。如し先づ之を弁ぜずして、一章の義を解すれば、則ち無数の言語を費して、天理人欲、終に分暁なること能はざるなり。夫れ恵王の尽心は、即ち人心を尽くす者なり。人心は、便ち是れ人欲にして不仁なり。恵王の戦を好むの心は、乃ち人欲の中尤も不仁なる者なり。人欲の中尤も不仁なるの心を尽くして、飢民を転遷し以て其の多少を計較す。要するに一身を肥やして独楽を極めんと欲する者なり。盗賊の心と奚を以て異ならんや。是の故に終に其の民を糜爛し子弟を駆りて以て之に殉ぜしむ。是れ皆自ら人心を尽くす上より来る。然らば則ち人心を尽くすは、断絶せざるべからざるなり。
-
『洗心洞箚記』卷下・第七十九條聖賢の尽心は、即ち道心を尽くす者なり。道心は、便ち是れ天理にして仁なり。真に天理に率へば、則ち父に事へて孝、兄に事へて弟、其の孝弟の心を一国に推せば、則ち一国の人其の教化に服して、入りては孝、出でては弟、卒に五十にして帛を衣、七十にして肉を食ひ、須白の負戴せざるの仁化に至る。而して又魚鼈草木の微も、其の恩波に浴せざる莫し。是れ皆自ら道心を尽くす上より来る。然らば則ち道心を尽くすは、勉強せざるべからざるなり。而して人心を尽くすの験乃ち彼の如く、道心を尽くすの効即ち此の如し。嗟夫、初め纔かに源を一心に岐ちて、治乱を国家に致すこと、実に霄壌の如し。孟子王道を以て諄諄として斉梁の君に告ぐる、此を以てせざらんや。後の人独りを慎み心を洗はずして、徒に尽心と云へば、則ち大抵其の人心の危き者を尽くして以て是と為し、而して道心の微なる、日に論胥して以て亡びん。而るに猶ほ世に誇りて我善く吾が心を尽くすと曰ふ。亦左ならずや。
-
『講孟余話』盡心下 首章章 「不仁なるかな、梁の恵王や」。首の一句、是れ全章の主意なり。是れを承くるに、仁者・不仁者の両股を以てし、其の下公孫丑の問ひに因りて梁の恵王の不仁なる訳を云ひて、不仁の一股を釈す。仁の一股は言外に蘊するのみにて敢へて発顕せず。然れども其の落着却つて発顕せざる処にあり。恵王の事実は梁恵王上篇第五章を考ふべし。又仁の訳も同章に云ふ所を以て知るべし。「仁政を施し、刑罰を省き、税斂を薄くし」、入りて事へ、出でて事ふるの類是れなり。
-
『講孟余話』盡心下 第十一章千乗の国を譲るは思ひ設けたることなり。簞食豆羹も色に見るるは心ならずの事なり。孔子の「過ちを観て仁を知る」と宣ふも同理にて、過ちは心ならずのことなり。都て人は心ならずの処に真情は発する者なり、慎まざるべけんや。是れを慎まんとならば、亦平素独りを慎み誠を積むにあるのみ。譬へば戦の如し。大敵猛勢に遇ふ時は、味方にも其の覚悟ある故、却つて後れは取らぬ者なれども、全体の節制法度緩怠なる陣は、小々の奇伏夜襲等に遇ひて、大不覚を取ることある者なり。其の不覚なからんと欲せば、平素の戒備にあることなり。
-
『洗心洞箚記』卷下・第四十四條伐(ほこ)れば則ち憂へて寐(い)ぬること穏かならず、是れ乃ち功の心を累はすなり。良知を致さば、則ち奚ぞ区区の功を誇るに足らんや。孟之反の如き者は、奔りて之に殿(しんがり)するの一事に於て、良知を欺かざるの大丈夫と謂ふべし。故に夫子其の勇にして譲れるを取る。文章筆墨の小技を誇る者は、宜しく此の章、及び註中謝氏の説を見て、以て恥を知るべし。
-
『慎思録』巻之一自ら賢とし自ら是とする者は、行ひて得ざること有るも、反りて己に求むることを知らず、唯人を責むるを務むるのみ。是れ小人の情状なり。故に曰く、己を責めて人を責めざる者は、君子なり。人を責めて己を責めざる者は、小人なりと。豈に啻だ君子小人の由りて分かるる所のみならんや。国の興亡治乱と雖も、亦此に繋る。左伝に臧文仲曰く、禹湯は己を罪す、其の興るや勃焉たり。桀紂は人を罪す、其の亡ぶるや忽焉たりと。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る