洗心洞箚記 / 卷上・第百七十八條
吾請又說之、趙高之無君、孰與魯三子之無君、當陳恆弑其君也、孔子沐浴朝於君曰、陳恆弑其君、請討之、因君不可、又之三子告焉、三子雖不可、然不能害孔子、却因孔子之告、消沮其無君之心、則孔子雖不遂討齊之事、而誅三子之心嚴矣、由是觀之、則孔子之告、雖如發於一時、其平生愼獨不欺心之工夫、無有少間斷、故其浩然之氣、塞乎天地之間、蘇子之所謂、卒然遇之、王公失其貴、晉楚失其富、良平失其智、賁育失其勇、儀秦失其辨者也、是故三子焉得施其害哉、若常人告諸三子、則陽受而陰誅之、又猶趙高之殺言鹿者然、故使孔子處鹿馬之事、雖徑言鹿、趙高不獨不能害之、却戰其心、沮其謀矣、是決非餘人所及也、
新字:吾請又説之、趙高之無君、孰与魯三子之無君、当陳恒弑其君也、孔子沐浴朝於君曰、陳恒弑其君、請討之、因君不可、又之三子告焉、三子雖不可、然不能害孔子、却因孔子之告、消沮其無君之心、則孔子雖不遂討斉之事、而誅三子之心厳矣、由是観之、則孔子之告、雖如発於一時、其平生慎独不欺心之工夫、無有少間断、故其浩然之気、塞乎天地之間、蘇子之所謂、卒然遇之、王公失其貴、晋楚失其富、良平失其智、賁育失其勇、儀秦失其弁者也、是故三子焉得施其害哉、若常人告諸三子、則陽受而陰誅之、又猶趙高之殺言鹿者然、故使孔子処鹿馬之事、雖径言鹿、趙高不独不能害之、却戦其心、沮其謀矣、是決非余人所及也、
書き下し
吾請ふ又之を説かん。趙高の君無きは、魯の三子の君無きに孰与ぞ。陳恒其の君を弑するに当りて、孔子沐浴して君に朝して曰く、「陳恒其の君を弑す、請ふ之を討たん」と。君の可かざるに因りて、又三子に之きて告ぐ。三子可かずと雖も、然れども孔子を害すること能はず、却つて孔子の告ぐるに因りて、其の君無きの心を消沮す。則ち孔子は斉を討つの事を遂げずと雖も、而して三子の心を誅すること厳なり。是に由りて之を観れば、則ち孔子の告ぐるは、一時に発するが如しと雖も、其の平生慎独して心を欺かざるの工夫、少しも間断有ること無し。故に其の浩然の気、天地の間に塞がる。蘇子の所謂、「卒然として之に遇へば、王公も其の貴を失ひ、晋楚も其の富を失ひ、良平も其の智を失ひ、賁育も其の勇を失ひ、儀秦も其の弁を失ふ」者なり。是の故に三子焉んぞ其の害を施すを得んや。若し常人諸を三子に告ぐれば、則ち陽に受けて陰に之を誅すること、又猶趙高の鹿と言ふ者を殺すがごとく然り。故に孔子をして鹿馬の事に処らしめば、径ちに鹿と言ふと雖も、趙高独り之を害すること能はざるのみならず、却つて其の心を戦かせ、其の謀を沮まん。是れ決して余人の及ぶ所に非ざるなり。
現代語訳
私はさらにこれを説こう。趙高が君主をないがしろにしたのと、魯の三子(三桓氏)が君主をないがしろにしたのとでは、どちらがひどいか。陳恒が自分の君主(斉の簡公)を殺したとき、孔子は沐浴して魯の君主に朝見し、「陳恒がその君主を殺しました。どうか討たせてください」と言った。君主が許さなかったので、さらに三子のところへ行って告げた。三子は許さなかったが、孔子を害することはできず、かえって孔子が告げたことによって、その君主をないがしろにする心をしぼませた。孔子は斉を討つことは遂げなかったが、三子の心を厳しく誅したのである。これから見れば、孔子が告げたのは一時に発したように見えるが、ふだんの、独りを慎み心を欺かない工夫が少しも途切れなかったのである。だからその浩然の気が天地の間に満ちていた。蘇子(蘇軾)のいう「突然これに出会えば、王公もその貴さを失い、晋や楚もその富を失い、張良・陳平もその智を失い、孟賁・夏育もその勇を失い、張儀・蘇秦もその弁舌を失う」というものである。だから三子はどうしてその害を加えることができたろうか。もし普通の人が三子に告げたなら、表では受け入れて裏で誅したであろう。ちょうど趙高が鹿と言った者を殺したように。だから孔子を鹿と馬の場面に置けば、すぐに鹿と言っても、趙高は孔子を害することができないばかりか、かえってその心をおののかせ、その謀を阻んだであろう。これは決してほかの人の及ぶところではない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・憲問篇陳成子、簡公を弑す。孔子、沐浴して朝し、哀公に告げて曰く、「陳恆、其の君を弑せり。請う之を討たん。」公曰く、「夫の三子に告げよ。」孔子曰く、「吾大夫の後に従うを以て、敢えて告げずんばあらざるなり。君曰く、『夫の三子に告げよ』と。」三子に之きて告ぐ。不可なり。孔子曰く、「吾大夫の後に従うを以て、敢えて告げずんばあらざるなり。」
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『洗心洞箚記』卷上・第百七十八條夫れ径ちに鹿と言ふ者は、固より黙する者の比に非ずと雖も、然れども特に一時慷慨の意気を発するのみ。何ぞ平生慎独して心を欺かざること聖人の如き真修実功有らんや。然らば則ち浩然の気、正大の心に非ざるなり。浩然の気、正大の心に非ずして、人を辱むるも猶禍を受く、況や宰臣の言を挫くをや。宜なるかな忠言発して、陰禍臻ること。故に誠に孝悌忠義を倉卒顛沛の間に尽くさんと欲する者は、居常戒慎恐懼して、理と気と合一を為さざるべからざるなり。理と気と合一を為さずして、適々一時一事に発すれば、則ち身を殺すと雖も君父国家に益無く、而して天の我に与ふるの良知良能、未だ尺寸の発露有らずして、身と澌滅せん。豈に惜しむべきに非ずや。
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『洗心洞箚記』卷上・第百七十八條今一事を提げて以て之を験さん。趙高乱を為さんと欲し、群臣の聴かざるを恐れ、乃ち先づ験を設け、鹿を持して二世に献じて曰く、「馬なり」と。二世笑ひて曰く、「丞相誤れるか、鹿を謂ひて馬と為す」と。左右に問ふ、或は黙し、或は馬と言ひて、以て趙高に阿順す。或は鹿と言ふ者、高因りて陰かに諸の鹿と言ふ者を中つるに法を以てす。後群臣皆高を恐る。夫れ事物の心目を移すこと、此に於て見るべし。若し聖人にして此の事に処らば、則ち平生と亦奚ぞ異ならん。只鹿と謂ひて君と心とを欺かざるのみ。或ひと曰く、彼の群臣未だ必ずしも皆馬と言はず、或は黙する者有り、或は径ちに鹿と言ひて君と心とを欺かざる者有り。而して其の君と心とを欺かざる者に在りては、則ち趙高陰かに之を中つるに法を以てす、法を以てすれば則ち必ず殺さる。聖人と雖も径ちに鹿と言はば、乃ち彼と同じく殺されんかと。曰く、夫の黙する者と馬と言ふ者とは、特に五十歩百歩の間のみ、深く弁ずるに足らず。鹿と言ひて殺さるる者に至りては、弁ずること有らずんば、則ち誰か其の惑ひを解かんや。
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孔子家語・正論解斉の陳恒、其の簡公を弑す。孔子之を聞き、三日沐浴して朝に適き、哀公に告げて曰く、「陳恒其の君を弑せり、請う之を伐たん。」公許さず、三たび請う。公曰く、「魯の斉に弱きこと久し。子の伐つや、将た之を若何にせん。」対えて曰く、「陳恒其の君を弑せり、民の与せざる者半ばなり。魯の衆を以て、斉の半ばに加うれば、克つべし。」公曰く、「子季氏に告げよ。」孔子辞し、退きて人に告げて曰く、「吾大夫の後に従うを以て、吾敢えて告げざるべからざるなり。」
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『洗心洞箚記』卷下・第二十條孔子、魯衛に悦ばれず、宋の桓司馬の将に要へて之を殺さんとするに遭ひ、微服して宋を過ぐ。夫れ孔子の聖にして、魯衛用ゐず、桓司馬之を殺さんとするは、実に其の何の謂なるかを知らざるなり。然り而して之を人情に推尋すれば、則ち只群小其の是非の公なるを畏るるのみ。故に乃ち此に至る。況んや吾輩、聖人を学び、一に良知に任せて、以て是非を公にすること狂者の如くせば、則ち其の人禍殆ど測るべからざる者有らん。然りと雖も、徒に人禍を怖れて、終に是非の心を昧ますは、固より丈夫の恥づる所にして、何の面目ありて聖人に地下に見えんや。故に我も亦吾が志に従はんのみ。柔佞狡詐は、皆是れ良知を賊ふの蠹なり。之に加ふるに学力を以てすれば、則ち啻だに己の良知を賊ふのみならず、亦人人の良知を蠹し了るなり。
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孟子・公孫丑章句上公孫丑問いて曰く、「夫子、齊の卿相に加わり、道を行うことを得ば、此に由りて霸王たらしむと雖も異(あやしむ)まず。此の如くんば、則ち心を動かすや否や。」孟子曰く、「否。我四十にして心を動かさず。」曰く、「是の若くんば、則ち夫子、孟賁に過ぐること遠し。」曰く、「是れ難からず。告子(人名)は我に先だちて心を動かさず。」曰く、「心を動かさざるに、道有りや。」曰く、「有り。北宮黝(ユウ)の勇を養うや、膚橈(フ・トウ)せず、目逃せず。一豪を以て人に挫(はずかしめらる)めらるるを思うこと、之を市朝に撻(むちうつ)たるるが若し。褐寬博にも受けず、亦た萬乘の君にも受けず。萬乘の君を刺すを視ること、褐夫を刺すが若し。嚴(はばかる)る諸侯無し。惡聲至れば、必ず之を反す。孟施舍の勇を養う所や、曰く、『勝たざるを視ること猶ほ勝つがごとし。敵を量りて而る後進み、勝を慮って而る後會す。是れ三軍を畏るる者なり。舍豈に能く必勝を為さんや。能く懼るる無きのみ。』孟施舍は曾子に似たり。北宮黝は子夏に似たり。夫の二子の勇、未だ其の孰れか賢れるを知らず。然り而して孟施舍は守り約なり。昔者、曾子、子襄に謂いて曰く、『子、勇を好むか。吾嘗て大勇を夫子に聞けり。自ら反して縮からずんば、褐寬博と雖も、吾惴れざらんや。自ら反して縮くんば、千萬人と雖も、吾往かん。』孟施舍の氣を守るは、又曾子の守の約なるに如かざるなり。」曰く、「敢て問う、夫子の心を動かさざると、告子の心を動かさざると、聞くことを得可きか。」「告子は曰く、『言に得ざれば、心に求むること勿かれ。心に得ざれば、氣に求むること勿れ。』心に得ざれば、氣に求むること勿れとは、可なり。言に得ざれば、心に求むること勿かれとは、不可なり。夫れ志は氣の帥なり。氣は體の充てるなり。夫れ志至り、氣は次ぐ。故に曰く、『其の志を持し、其の氣を暴すること無かれ。』」「既に、志至り、氣は次ぐと曰い、又、其の志を持し、其の氣を暴すること無かれと曰うは、何ぞや。」曰く、「志壹なれば則ち氣を動かし、氣壹なれば則ち志を動かせばなり。今、夫れ蹶く者の趨るは、是れ氣なり。而るに反って其の心を動かす。」「敢て問う、夫子惡にか長ぜる。」曰く、「我、言を知る。我善く吾が浩然の氣を養う。」「敢て問う、何をか浩然の氣と謂う。」曰く、「言い難きなり。其の氣為るや、至大至剛以て直、養いて害すること無ければ、則ち天地の閒に塞がる。其の氣為るや、義と道とに配す。是れ無ければ餒うるなり。是れ集義の生ずる所の者にして、義襲うて之を取るに非ざるなり。行い心に慊からざること有れば、則ち餒う。我故に曰く、『告子は未だ嘗て義を知らず』と。其の之を外にするを以てなり。必ず事とする有れ。正(あらかじめ)めすること勿れ。心に忘るること勿れ。助けて長ぜしむること勿れ。宋人の若く然すること無かれ。宋人に其の苗の長ぜざるを閔えて、之を揠く者有り、芒芒然として歸り、其の人に謂いて曰く、『今日病れたり。予、苗を助けて長ぜしむ。』其の子趨りて往きて之を視れば、苗は則ち槁れたり。天下の苗を助けて長ぜしめざる者は寡し。以て益無しと為して之を舍つる者は、苗を耘らざる者なり。之を助けて長ぜしむる者は、苗を揠く者なり。徒に益無きのみに非ず、而して又之を害す。」「何をか言を知ると謂う。」曰く、「詖辭は其の蔽わるる所を知る。淫辭は其の陷る所を知る。邪辭は其の離るる所を知る。遁辭は其の窮する所を知る。其の心に生ずれば、其の政を害し、其の政に發すれば、其の事を害す。聖人復た起こるとも、必ず吾が言に從わん。」「宰我・子貢は善く說辭を為し、冉牛・閔子・顏淵は善く德行を言う。孔子は之を兼ね。曰く、『我、辭命に於いては、則ち能わざるなり。』然らば則ち夫子は既に聖なるか。」曰く、「惡(ああ)、是れ何の言ぞや。昔者、子貢、孔子に問いて曰く、『夫子は聖なるか。』孔子曰く、『聖は則ち吾能わず。我、學びて厭わず、教えて倦まざるなり。』子貢曰く、『學びて厭わざるは、智なり。教えて倦まざるは、仁なり。仁且つ智なり。夫子既に聖ならん。』夫れ聖は、孔子も居らず。是れ何の言ぞや。」「昔者、竊かに之を聞けり。子夏・子游・子張は、皆聖人の一體有り、冉牛・閔子・顏淵は、則ち體を具えて微なり、と。敢て安んずる所を問う。」曰く、「姑く是を舍け。」曰く、「伯夷・伊尹は何如。」曰く、「道を同じうせず。其の君に非ざれば事えず、其の民に非ざれば使わず。治まれば則ち進み、亂るれば則ち退くは、伯夷なり。何れに事うるも君に非ざらん、何れを使うも民に非ざらん。治まるも亦た進み、亂るるも亦た進むは、伊尹なり。以て仕う可くんば則ち仕え、以て止む可けんば則ち止め、以て久しかる可けんば則ち久しうし、以て速やかなる可けんば則ち速やかにするは、孔子なり。皆古の聖人なり。吾は未だ行うこと有る能わず。乃ち願う所は、則ち孔子を學ばん。」「伯夷・伊尹の孔子に於けるは、是の若く班たるか。」曰く、「否。生民有りて自り以來、未だ孔子有らざるなり。」曰く、「然らば則ち同じき有るか。」曰く、「有り。百里の地を得て之に君たらば、皆能く以て諸侯を朝せしめ天下を有たん。一不義を行い、一不辜を殺して天下を得るは、皆為さざるなり。是れ則ち同じ。」曰く、「敢て其の異なる所以を問う。」曰く、「宰我・子貢・有若は、智は以て聖人を知るに足る。汙なるも其の好む所に阿るに至らず。宰我曰く、『予を以て夫子を觀れば、堯舜に賢ること遠し。』子貢曰く、『其の禮を見て、而して其の政を知り、其の樂を聞きて、而して其の德を知る。百世の後由り、百世の王を等するに、之に能く違うこと莫きなり。生民自り以來、未だ夫子有らざるなり。』有若曰く、『豈に惟だ民のみならんや。麒麟の走獸に於ける、鳳凰の飛鳥に於ける、太山の丘垤に於ける、河海の行潦に於けるは、類なり。聖人の民に於けるも、亦た類なり。其の類より出でて、其の萃に抜く。生民自り以來、未だ孔子より盛なるは有らざるなり。』」
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