洗心洞箚記 / 卷上・第百六十二條
然奸人以曲學僞學抹殺之、何故也、吾請以一言辨其由、夫聖賢言行、大反俗情矣、俗情者何、盜跖所云是也耳、其言曰、人之情、目欲視色、耳欲聽聲、口欲察味、氣欲盈、人上壽百歲、中壽八十、下壽六十、除病瘦死喪憂患、其中開口而笑者、一月之中不過四五日而已矣、天與地無窮、人死者有時、操有時之具、而託於無窮之間、忽然無異騏驥之過隙也、不能說其志意、養其壽命者、皆非通道者也、丘之所言、皆吾之所棄也、此雖莊子之寓言、今古貴賤上下之所心口相期者、不出斯數語也、而聖賢之道則反之、非禮勿視聽言動、而志氣常收乎內以不放、雖在病瘦死喪憂患之中、以皆盡其心爲道矣、而未嘗爲以是累也、而常人開口而笑者、莫非淫戲放逸之事也、聖賢遭之則決不笑、却有蹙頻攢眉、以憂愁悲哀者多矣、
新字:然奸人以曲学偽学抹殺之、何故也、吾請以一言弁其由、夫聖賢言行、大反俗情矣、俗情者何、盗跖所云是也耳、其言曰、人之情、目欲視色、耳欲聴声、口欲察味、気欲盈、人上寿百歳、中寿八十、下寿六十、除病痩死喪憂患、其中開口而笑者、一月之中不過四五日而已矣、天与地無窮、人死者有時、操有時之具、而託於無窮之間、忽然無異騏驥之過隙也、不能説其志意、養其寿命者、皆非通道者也、丘之所言、皆吾之所棄也、此雖荘子之寓言、今古貴賤上下之所心口相期者、不出斯数語也、而聖賢之道則反之、非礼勿視聴言動、而志気常収乎内以不放、雖在病痩死喪憂患之中、以皆尽其心為道矣、而未嘗為以是累也、而常人開口而笑者、莫非淫戯放逸之事也、聖賢遭之則決不笑、却有蹙頻攢眉、以憂愁悲哀者多矣、
書き下し
然れども奸人曲学偽学を以て之を抹殺するは、何の故ぞや。吾請ふ一言を以て其の由を弁ぜん。夫れ聖賢の言行は、大いに俗情に反す。俗情とは何ぞ。盗跖の云ふ所是れなるのみ。其の言に曰く、「人の情、目は色を視んと欲し、耳は声を聴かんと欲し、口は味を察せんと欲し、気は盈たんと欲す。人上寿は百歳、中寿は八十、下寿は六十、病瘦死喪憂患を除けば、其の中口を開きて笑ふ者、一月の中四五日に過ぎざるのみ。天と地とは窮まり無く、人の死する者は時有り。有時の具を操りて、無窮の間に託す、忽然として騏驥の隙を過ぐるに異なる無し。其の志意を説ばしめ、其の寿命を養ふこと能はざる者は、皆道に通ずる者に非ざるなり。丘の言ふ所は、皆吾の棄つる所なり」と。此れ荘子の寓言なりと雖も、今古貴賤上下の心口に相期する所の者は、斯の数語を出でざるなり。而して聖賢の道は則ち之に反す。礼に非ざれば視聴言動すること勿く、而して志気常に内に収めて以て放たず。病瘦死喪憂患の中に在りと雖も、皆其の心を尽くすを以て道と為し、而して未だ嘗て是を以て累と為さざるなり。而して常人の口を開きて笑ふ者は、淫戯放逸の事に非ざるは莫きなり。聖賢之に遭へば則ち決して笑はず、却つて蹙頻攢眉して、以て憂愁悲哀する者多し。
現代語訳
それなのに奸人が「曲学」「偽学」という名で程朱を抹殺しようとしたのはなぜか。私が一言でそのわけを明らかにしよう。そもそも聖賢の言行は、俗情に大いに反している。俗情とは何か。盗跖の言うところがそれである。盗跖は言う。「人の情として、目は色を見たがり、耳は音を聴きたがり、口は味を求め、気は満ち足りたがる。人の寿命は上で百歳、中で八十、下で六十、病気、やつれ、死別や喪、憂いや患いを除けば、口を開けて笑えるのは一月のうち四、五日にすぎない。天と地は窮まりがないが、人の死には時がある。限りある身で窮まりない世に身を託すのは、駿馬が戸の隙間を走り過ぎるのと変わらない。自分の心を楽しませ、寿命を養えない者は、みな道に通じた者ではない。丘(孔子)の言うことは、みな私が捨てたものだ。」これは荘子の寓言であるが、昔も今も、貴い者も賤しい者も、上の者も下の者も、心と口でひそかに望むところはこの数語を出ない。ところが聖賢の道はこれに反する。礼にかなわなければ見ず聴かず言わず動かず、志と気をいつも内に収めて放たない。病気、やつれ、死別や喪、憂いや患いの中にあっても、心を尽くすことをすべて道とし、それを苦の種とはしない。また普通の人が口を開けて笑うのは、淫らな戯れやだらしない遊びのことばかりである。聖賢はそれに出会えば決して笑わず、かえって顔をしかめ眉を寄せて憂え悲しむことが多い。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・八佾篇子、太廟に入り、事毎に問う。或曰く、『誰か鄒人の子を礼を知ると謂うや、太廟に入りて事毎に問う。』子これを聞きて曰く、『是れ礼なり。』
-
論語・八佾篇子曰く、『夏の礼、吾能く之を言う。杞は徵すに足らず。殷の礼、吾能く之を言う。宋は徵すに足らず。文献足らざる故なり。足らば、則ち吾能く之を徵せん。』
-
論語・学而篇有子曰く、「礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯を美と為す。小大之に由れども、行われざる所有り。和を知りて和すれども、礼を以て之を節せざれば、亦行う可からざるなり。」
-
論語・八佾篇孔子季氏を謂う、「八佾庭に舞わす。是れをも忍ぶ可くんば、孰れをか忍ぶ可からざらん。」
-
論語・八佾篇子曰く、君に事えて礼を尽くせば、人以て諂いと為すなり。
-
論語・八佾篇林放礼の本を問う。子曰く、「大なるかな問いや。礼は其の奢らんよりは、寧ろ倹せよ。喪は其の易めんよりは、寧ろ戚めよ。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る