洗心洞箚記 / 卷上・第百五十一條
熟讀論孟、然後其疑始釋然矣、子曰、不得中行而與之、必也狂狷乎、狂者進取、狷者有所不爲也、又曰、鄕原德之賊也、孟子曰、孔子不得中道而與之、必也狂獧乎、狂者進取、獧者有所不爲也、孔子豈不欲中道哉、不可必得、故思其次也、又曰、孔子曰、過我門而不入我室、我不憾焉者、其唯鄕原乎、鄕原德之賊也、而詳述其所以爲狂獧、與其所以爲鄕原、如眼見彼此相反之狀態也、嗟乎、當春秋時、孰非閹然媚於世者哉、孰非同乎流俗合乎汚世者哉、孰非居之似忠信、行之似廉潔者哉、孰非亂德者哉、而曰古之人古之人、是誰歟、踽踽涼涼、是誰歟、然則狂狷鮮乎晨星矣、而鄕原卽天下滔滔皆是也耳、孔子開道立敎、特取其鮮乎晨星之狂狷、而不願入其室者、天下滔滔之鄕原也、宜乎當時受其敎者之寥寥焉、吾亦奚疑哉、嗚呼、道之所貴在此矣、道之所不行亦在此也夫、
新字:熟読論孟、然後其疑始釈然矣、子曰、不得中行而与之、必也狂狷乎、狂者進取、狷者有所不為也、又曰、郷原徳之賊也、孟子曰、孔子不得中道而与之、必也狂獧乎、狂者進取、獧者有所不為也、孔子豈不欲中道哉、不可必得、故思其次也、又曰、孔子曰、過我門而不入我室、我不憾焉者、其唯郷原乎、郷原徳之賊也、而詳述其所以為狂獧、与其所以為郷原、如眼見彼此相反之状態也、嗟乎、当春秋時、孰非閹然媚於世者哉、孰非同乎流俗合乎汚世者哉、孰非居之似忠信、行之似廉潔者哉、孰非乱徳者哉、而曰古之人古之人、是誰歟、踽踽涼涼、是誰歟、然則狂狷鮮乎晨星矣、而郷原即天下滔滔皆是也耳、孔子開道立教、特取其鮮乎晨星之狂狷、而不願入其室者、天下滔滔之郷原也、宜乎当時受其教者之寥寥焉、吾亦奚疑哉、嗚呼、道之所貴在此矣、道之所不行亦在此也夫、
書き下し
論孟を熟読して、然る後其の疑始めて釈然たり。子曰く、「中行を得て之に与せずんば、必ずや狂狷か。狂者は進みて取り、狷者は為さざる所有り」と。又曰く、「郷原は徳の賊なり」と。孟子曰く、「孔子は中道を得て之に与せずんば、必ずや狂獧か。狂者は進みて取り、獧者は為さざる所有り。孔子豈に中道を欲せざらんや。必ずしも得べからず、故に其の次を思ふなり」と。又曰く、「孔子曰く、我が門を過ぎて我が室に入らずとも、我憾みざる者は、其れ唯郷原か。郷原は徳の賊なり」と。而して詳らかに其の狂獧たる所以と、其の郷原たる所以とを述ぶること、眼に彼此相反するの状態を見るが如し。嗟乎、春秋の時に当りて、孰か閹然として世に媚ぶる者に非ざらんや、孰か流俗に同じ汚世に合ふ者に非ざらんや、孰か之に居ること忠信に似、之を行ふこと廉潔に似たる者に非ざらんや、孰か徳を乱る者に非ざらんや。而して「古の人、古の人」と曰ふは、是れ誰ぞや。踽踽涼涼たるは、是れ誰ぞや。然らば則ち狂狷は晨星よりも鮮く、而して郷原は即ち天下滔滔として皆是れなるのみ。孔子道を開き教を立つるに、特に其の晨星よりも鮮き狂狷を取りて、其の室に入るを願はざる者は、天下滔滔たる郷原なり。宜なり当時其の教を受くる者の寥寥たること。吾亦奚ぞ疑はんや。嗚呼、道の貴ぶ所は此に在り、道の行はれざる所も亦此に在るかな。
現代語訳
『論語』『孟子』を熟読して、その後ようやく疑いが解けた。孔子は言う、「中庸を行う人を得て共にできないなら、必ず狂者か狷者であろう。狂者は進んで取り、狷者はしないことがある」と。また「郷原(村の善人ぶった者)は徳の賊である」と。孟子は言う、「孔子は中道の人を得て共にできないなら、必ず狂者か獧者をとった。狂者は進んで取り、獧者はしないことがある。孔子がどうして中道を望まなかったろうか。必ずしも得られないから、その次を思ったのだ」と。また「孔子は、わが門を通り過ぎてわが部屋に入らなくても残念に思わないのは郷原だけだ、郷原は徳の賊だ、と言った」と。そして狂獧である理由と郷原である理由とを詳しく述べ、両者が正反対である様子を目の当たりに見るようである。ああ、春秋の時代に、こっそり世に媚びない者がいたろうか。流俗に同調し汚れた世に合わせない者がいたろうか。身の置き方は忠信に似せ、行いは廉潔に似せる者でない者がいたろうか。徳を乱す者でない者がいたろうか。そうした中で「古の人よ、古の人よ」と(郷原にあざけられて)言うのは誰か。ひとり寂しく世に合わないのは誰か(狂狷である)。そうであれば、狂狷は明け方の星より少なく、郷原は天下にあふれてみなそれである。孔子が道を開き教えを立てたとき、明け方の星より少ない狂狷だけを取ったのであり、その部屋に入ることを願わないのは天下にあふれる郷原なのだ。当時教えを受ける者が寥々としていたのは当然である。私はもう何を疑おう。ああ、道の貴ぶところはここにあり、道が行われないわけもまたここにあるのだなあ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『弁名』德朱子解して曰く、「徳の言為る得なり。道を行ひて心に得る有るなり」と。夫れ道は先王の道なり。伝に曰く、「苟も其の人に非ざれば、道虚しく行はれず」と。則ち其の徳未だ成らずして、安んぞ能く道を行はんや。是れ其の意道を以て当然の理と為す。故に是の解有るのみ。且つ徳は固より心を離れて言ふべからず。然れども僅かに心を以て之を言はば、烏んぞ以て徳と為すに足らんや。
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『洗心洞箚記』卷上・第百五十一條楊凝斎曰く、「時に淳澆有り、俗に美悪有り。故に泰伯は夷に居りて化し、孔子は魯に在りて、七十子の外多く之を譏る。亦其の自ら立つ者を視るのみ。若し位を得ば則ち風草上を行かん」と。楊氏の此の説、必ず感ずる所有りて云ふのみ。吾も亦嘗て説有りて曰く、孔子は大聖人なり。天下は大なり、四海は広し、皆其の徳を仰望せざるは莫く、尽く其の道を尊尚せざるは莫し。然れども此れ孔子没して後、数十百年にして乃ち然り。其の生ける時に当りては、孔子より長ずる者、孔子より貴き者、未だ嘗て一人の誠に其の徳を仰ぎ、真に其の道を尊ぶ者有るを聞かざるなり。
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『長短経』定名夫れ道なる者は、人の蹈む所なり。居りては為す所を知り、行きては之く所を知り、事えては乗ずる所を知り、動きては止まる所を知る。之を道と謂う。〔又た曰く、道なる者は、人の蹈む所にして、万物をして其の由る所を失わざらしむるを謂うなり。〕徳なる者は、人の得る所なり。人をして各々其の欲する所を得しむる、之を徳と謂う。仁なる者は、愛なり。利を致し害を除き、兼ねて愛して私無き、之を仁と謂う。〔又た曰く、仁なる者は、人の親しむ所にして、慈悲惻隠の心有りて、其の生成を遂げしむ。〕
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『呻吟語』内篇・修身・有道の言と有德の言有道の言は、之を心悟に將ふ。有德の言は、之を躬行に得。有道の言は弘暢なり、有德の言は親切なり。有道の言は萬貨の肆に遊ぶが如く、有德の言は萬貨の商を發するが如し。有道者は言はざるを容れず、有德者は言を俟つ無し。然りと雖も、未だ嘗て言はずんばあらず。故に曰く、「德有る者は必ず言有り」と。
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『弁名』道一変して道に至ると曰ふは、先王の道行はるるの世を謂ふなり。与に道に適くべしと曰ふは、身の先王の道に合ふを謂ふなり。至道と曰ひ、大道と曰ふは、先王の道を尊ぶの辞なり。道に志すと曰ひ、朝に道を聞くと曰ひ、天下道有りと曰ひ、国道有りと曰ひ、国道無しと曰ひ、無道の君と曰ひ、有道に就きて正すと曰ふ。凡そ単に道と言ふ者は、皆先王の道を以て之を言ふ。道無しとは先王の道全く亡ぶるなり。道有りとは必ずしも全く有るにあらざるなり。有道の士の如きは、身に道芸有るを以て之を言ふ。先王の道は外に在り、六芸も亦た先王の道なり。故に古は道芸を以て並び称す。大小の分のみ。其の人徳有りと雖も、然れども先王の道を知らざれば、則ち有道の士と称するを得ず。後世道徳の名混ず。学者其れ諸を審らかにせよ。
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『翁問答』上卷之末夫軍法の本意は国家安穏武運長久にして万民を恵まん為なるにかへつて万民も其毒にあたり、其身の運もつき国家も絶滅する基となれば、軍法に達し軍功をたつるも、畢竟は無益のいたずら事なり、其上陰謀をのみもつはらとし、詐力に任して仁義の徳なきは、たとへ韓信項羽の才ありといふとも、節制の敵にさへ楯つくことあたはず、まして仁義の師に敵せん事、立車にむかへる螳螂に異ならず、太白陰経に斉の伎撃は魏の武卒にあふべからず、魏の武卒は秦の鋭士に勝ことあたはず、秦の鋭士は桓文の節制にあたるべからず、桓文の節制は湯武の仁義に敵す可からずといへるこゝろよく玩味あるべし、しかるゆへに孫子の五事はみちを第一とし、呉子の兵法は和をもつて先とす、道といへるも和といへるも、みな仁義の徳のことなり、儒門の心学の外に此徳を明かにすべき道なければ、心学をつとめてその徳をあきらかにしてのちに、軍法をまなびたるがよしといふ事分明なり、とても軍法を学ばんとならば天下に敵なき仁者の軍法をまなびたるがよろしきか。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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