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洗心洞箚記 / 卷上・第百五十一條

楊凝齋曰、時有淳澆、俗有美惡、故泰伯居夷而化、孔子在魯、而七十子之外多譏之、亦視其自立者而已、若得位則風行草上矣、楊氏此說、必有所感而云爾也、吾亦嘗有說曰、孔子大聖人也、天下大也、四海廣也、莫皆不仰望其德、莫盡不尊尙其道、然此孔子沒後、數十百年而乃然、當其生時、長孔子者、貴乎孔子者、未嘗聞有一人誠仰其德、眞尊其道者也、

新字:楊凝斎曰、時有淳澆、俗有美悪、故泰伯居夷而化、孔子在魯、而七十子之外多譏之、亦視其自立者而已、若得位則風行草上矣、楊氏此説、必有所感而云爾也、吾亦嘗有説曰、孔子大聖人也、天下大也、四海広也、莫皆不仰望其徳、莫尽不尊尚其道、然此孔子没後、数十百年而乃然、当其生時、長孔子者、貴乎孔子者、未嘗聞有一人誠仰其徳、真尊其道者也、

書き下し

楊凝斎曰く、「時に淳澆有り、俗に美悪有り。故に泰伯は夷に居りて化し、孔子は魯に在りて、七十子の外多く之を譏る。亦其の自ら立つ者を視るのみ。若し位を得ば則ち風草上を行かん」と。楊氏の此の説、必ず感ずる所有りて云ふのみ。吾も亦嘗て説有りて曰く、孔子は大聖人なり。天下は大なり、四海は広し、皆其の徳を仰望せざるは莫く、尽く其の道を尊尚せざるは莫し。然れども此れ孔子没して後、数十百年にして乃ち然り。其の生ける時に当りては、孔子より長ずる者、孔子より貴き者、未だ嘗て一人の誠に其の徳を仰ぎ、真に其の道を尊ぶ者有るを聞かざるなり。

現代語訳

楊凝斎は言う。「時代には淳朴なときと軽薄なときがあり、風俗には美しいときと悪いときがある。だから泰伯(周の太王の長子)は夷の地に住んで人々を感化したが、孔子は魯にいて、七十人の弟子のほかは多くが孔子をそしった。結局はその人が自ら立つところを見るだけである。もし位を得ていれば、風が草の上を吹くように人々はなびいたであろう。」楊氏のこの説は、きっと何か感じるところがあって言ったのであろう。私もかつてこう説いたことがある。孔子は大聖人である。天下は大きく、四海は広いが、皆その徳を仰ぎ望まない者はなく、ことごとくその道を尊ばない者はない。しかしこれは孔子が没して数十年、百年たってからのことである。孔子が生きていたときには、孔子より年長の者、孔子より身分の高い者で、心からその徳を仰ぎ、本当にその道を尊んだ者が一人でもいたとは聞いたことがない。

解説

本条は長い一条の冒頭で、楊凝斎の言を引きつつ、孔子が生前には世に重んじられなかったという事実に目を向ける。今でこそ天下が孔子を仰ぐが、それは没後数十年、百年を経てからで、同時代の年長者や貴人で本当に孔子を尊んだ者はいなかったと中斎は言う。風草の比喩は『論語』顔淵篇の「君子の徳は風、小人の徳は草」による。正しい道ほど同時代には受け入れられにくいという認識は、中斎自身の講学とも重ねて読める。新しい考えが評価されないとき、評価の遅れそのものを道の性質として受け止める視点を与えてくれる。

この章句が説くこと

孔子徳道時勢風化楊凝斎

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