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学則 / 答屈景山書

夫士之生其世非此則不能出行其道。策功立名。以顯其父母。雖無千秋之志。是亦可恕已。二公之倡古文辭。皆在第進士之後而二公之興。從游過於時師。所以來時師之妒也。然二公不能勝朝廷之功令。亦不能勝人人功名之心。故人之非笑之。猶如韓公。而二公不顧人非笑。寧不見知於世。藉此得禍而竢千歳之鍾期者。亦猶如韓公。是其心獨何邪。學問之道。本諸古也。夫立志如此。豈摸擬剽竊是爲乎。以此觀之非妒口而何。

新字:夫士之生其世非此則不能出行其道。策功立名。以顕其父母。雖無千秋之志。是亦可恕已。二公之倡古文辞。皆在第進士之後而二公之興。従游過於時師。所以来時師之妬也。然二公不能勝朝廷之功令。亦不能勝人人功名之心。故人之非笑之。猶如韓公。而二公不顧人非笑。寧不見知於世。藉此得禍而竢千歳之鍾期者。亦猶如韓公。是其心独何邪。学問之道。本諸古也。夫立志如此。豈摸擬剽窃是為乎。以此観之非妬口而何。

書き下し

夫れ士の其の世に生まるる、此に非ざれば則ち出でて其の道を行ひ、功を策し名を立てて、以て其の父母を顕はす能はず。千秋の志無しと雖も、是れも亦た恕すべきのみ。二公の古文辞を倡ふるは、皆進士に第するの後に在り。而して二公の興るや、従游時師に過ぐ。時師の妒みを来たす所以なり。然れども二公は朝廷の功令に勝つ能はず、亦た人人の功名の心に勝つ能はず。故に人の之を非笑すること、猶ほ韓公の如し。而るに二公は人の非笑を顧みず、寧ろ世に知られず、此に藉りて禍を得るも、千歳の鍾期を竢つ者、亦た猶ほ韓公の如し。是れ其の心独り何ぞや。学問の道は諸を古に本づくればなり。夫れ志を立つること此くの如し。豈に模擬剽窃を是れ為さんや。此を以て之を観れば、妒口に非ずして何ぞや。

現代語訳

そもそも士がその時代に生まれて、これ(科挙の文)によらなければ、世に出て道を行い、功を立て名を挙げて父母の名を顕すことができない。千年後まで残す志がなくても、それはまた許されてよい。二人が古文辞を唱えたのは、どちらも進士に合格した後のことである。そして二人が名を挙げると、従い学ぶ者が当時の師匠たちを上回った。これが当時の師匠たちのねたみを招いた理由である。しかし二人は朝廷の定めに勝つことはできず、人々の功名心に勝つこともできなかった。だから人々が二人をそしり笑ったのは、韓愈の場合と同じである。それでも二人は人のそしりや笑いを顧みず、むしろ世に知られず、そのために禍を受けても、千年後の鍾子期(真の理解者)を待とうとした。これも韓愈と同じである。その心はいったい何によるのか。学問の道は古に基づくからである。志の立て方がこのようであって、どうして模倣や剽窃などするだろうか。これによって見れば、ねたむ者の口でなくて何であろう。

解説

科挙のための文を書くのは士として仕方のないことだと徂徠は認める。そのうえで、李攀龍と王世貞が古文辞を唱えたのは進士に合格した後であり、出世の道具ではなかったと指摘する。門人が集まったことで旧来の師匠たちのねたみを買い、韓愈と同じく世にそしられたが、二人は千年後の理解者を待つ覚悟で古に学んだ。そうした志の人が単なる模倣をするはずがないという論法である。評価されないことを承知で、正しいと信じる方法を貫けるかどうか。長期の仕事に取り組む人に響く一節である。

この章句が説くこと

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