洗心洞箚記 / 卷上・第百一條
朱子余龍山文集序畧曰、熹小時、猶頗及見前輩、而聞其餘論、覩其立心處己、則以剛介質直爲賢、當官立事、則以彊毅果斷爲得、至其爲文、則又務爲明白磊落、指切事情、而無含糊鬱卷睢盱側媚之態、使讀之者不過一再、卽曉然知其爲論某事、出其策、而彼是無疑也、近年以來、風俗一變、上自朝廷縉紳、下及閭巷韋布、相與傳習一種議論、制行立言、專以醞籍襲藏圓熟軟美爲尙、使與之居者、窮年而莫測其中之懷、聽其言、終日而莫知其意之所鄕、回視四五十年之前、風聲氣俗、蓋不啻寒暑朝夜之相反、是孰使之然哉、觀於龍山余公之文者、亦可以慨然而有感矣、吾勤斯語以徵焉、
新字:朱子余竜山文集序略曰、熹小時、猶頗及見前輩、而聞其余論、睹其立心処己、則以剛介質直為賢、当官立事、則以彊毅果断為得、至其為文、則又務為明白磊落、指切事情、而無含糊鬱巻睢盱側媚之態、使読之者不過一再、即暁然知其為論某事、出其策、而彼是無疑也、近年以来、風俗一変、上自朝廷縉紳、下及閭巷韋布、相与伝習一種議論、制行立言、専以醞籍襲蔵円熟軟美為尚、使与之居者、窮年而莫測其中之懐、聴其言、終日而莫知其意之所郷、回視四五十年之前、風声気俗、蓋不啻寒暑朝夜之相反、是孰使之然哉、観於竜山余公之文者、亦可以慨然而有感矣、吾勤斯語以徴焉、
書き下し
朱子の余龍山文集の序に略して曰く、熹小き時、猶ほ頗る前輩を見るに及びて、其の余論を聞く。其の心を立て己を処するを覩るに、則ち剛介質直を以て賢と為し、官に当り事を立つるには、則ち彊毅果断を以て得と為す。其の文を為るに至りては、則ち又務めて明白磊落を為し、事情を指切して、含糊鬱巻睢盱側媚の態無し。之を読む者をして一再に過ぎずして、即ち暁然として其の某事を論じ、其の策を出し、而して彼是疑ひ無きを知らしむ。近年以来、風俗一変し、上は朝廷の縉紳より、下は閭巷の韋布に及ぶまで、相与に一種の議論を伝習し、行を制し言を立つるに、専ら醞籍襲蔵円熟軟美を以て尚しと為す。之と居る者をして、年を窮むるも其の中の懐を測る莫く、其の言を聴くも、日を終ふるも其の意の郷ふ所を知る莫からしむ。回りて四五十年の前を視れば、風声気俗、蓋し啻に寒暑朝夜の相反するのみならず。是れ孰か之をして然らしむるや。龍山余公の文を観る者も、亦以て慨然として感有るべし、と。吾斯の語を勤めて以て徴す。
現代語訳
朱子は余龍山の文集の序で、おおよそ次のように言う。「私が幼いころは、まだかなり先輩方に会うことができ、その議論の名残を聞いた。その心の立て方や身の処し方を見ると、剛直で飾り気のないことを賢いとし、官職について事を行うには、強く果断であることをよしとした。文章を作るにあたっては、努めて明白で磊落にし、事の実情をずばりと指し、曖昧でこもった、目をきょろつかせて媚びるような態度がなかった。読む者は一、二度読むだけで、ある事を論じ、ある策を出していることがはっきり分かり、疑いがなかった。ところが近年、風俗が一変し、上は朝廷の高官から下は町の無位の者まで、一種の議論を互いに伝え習い、行いを定め言葉を立てるのに、もっぱら含みを持たせて隠し、円熟して柔らかく美しいことを尊ぶ。共に暮らす者が一年たってもその胸の内を測れず、その言葉を一日じゅう聴いても、意図の向かうところが分からない。四、五十年前を振り返ると、気風は寒暑や朝夜が正反対であるどころではない。いったい誰がこうさせたのか。龍山余公の文を見る者は、嘆いて感じるところがあるはずだ。」私はこの言葉を努めて引いて、証とする。
解説
この章句が説くこと
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