潜夫論 / 誌氏姓
其後韓西亦姓韓,為衛滿所伐,遷居海中。畢公高與周同姓,封於畢,因為氏。周公之薨也,高繼職焉,其後子孫失守,為庶世。及畢萬佐晉獻公,十六年使趙夙禦戎,畢萬為右,以滅耿滅魏,封萬,今之河北縣是也。魏顆又氏令狐,自萬後九世為魏文侯,文侯孫罃為魏惠王,五世而亡。畢陽之孫豫讓事智伯,智伯國士待之,豫讓亦以見知之恩報智伯,天下紀其義。魏氏、令狐氏、不雨氏、葉大夫氏、伯夏氏、魏強氏、豫氏,皆畢氏,本姬姓也。周厲王之子友封於鄭,鄭恭叔之後,為公文氏、軒氏、軍氏、子疆(彊)氏、強梁氏、卷氏、會氏、雅氏、孔氏、趙陽、田章氏、孤氏、王孫氏、史龜氏、羌氏、羌憲氏、邃氏,皆衛姬姓也。晉之公族郤氏,又班為呂,郤芮又從邑氏為冀。後有呂絪,號駒伯。
新字:其後韓西亦姓韓,為衛満所伐,遷居海中。畢公高与周同姓,封於畢,因為氏。周公之薨也,高継職焉,其後子孫失守,為庶世。及畢万佐晋献公,十六年使趙夙禦戎,畢万為右,以滅耿滅魏,封万,今之河北県是也。魏顆又氏令狐,自万後九世為魏文侯,文侯孫罃為魏恵王,五世而亡。畢陽之孫予譲事智伯,智伯国士待之,予譲亦以見知之恩報智伯,天下紀其義。魏氏、令狐氏、不雨氏、葉大夫氏、伯夏氏、魏強氏、予氏,皆畢氏,本姫姓也。周厲王之子友封於鄭,鄭恭叔之後,為公文氏、軒氏、軍氏、子疆(彊)氏、強梁氏、巻氏、会氏、雅氏、孔氏、趙陽、田章氏、孤氏、王孫氏、史亀氏、羌氏、羌憲氏、邃氏,皆衛姫姓也。晋之公族郤氏,又班為呂,郤芮又従邑氏為冀。後有呂絪,号駒伯。
書き下し
其の後韓西も亦韓を姓とし、衛満の伐つ所と為り、遷りて海中に居る。畢公高は周と姓を同じくし、畢に封ぜられ、因りて氏と為す。周公の薨ずるや、高職を継ぎ、其の後子孫守を失ひ、庶世と為る。畢万に及び晋の献公を佐け、十六年趙夙をして戎を禦がしめ、畢万は右と為り、以て耿を滅ぼし魏を滅ぼし、万に封ず、今の河北県是なり。魏顆は又令狐を氏とし、万より後九世にして魏の文侯と為り、文侯の孫罃は魏の恵王と為り、五世にして亡ぶ。畢陽の孫豫譲は智伯に事へ、智伯国士として之を待し、豫譲も亦知らるるの恩を以て智伯に報い、天下其の義を紀す。魏氏・令狐氏・不雨氏・葉大夫氏・伯夏氏・魏強氏・豫氏は、皆畢氏にして、本は姫姓なり。周の厲王の子友は鄭に封ぜられ、鄭の恭叔の後は、公文氏・軒氏・軍氏・子疆(彊)氏・強梁氏・巻氏・会氏・雅氏・孔氏・趙陽・田章氏・孤氏・王孫氏・史亀氏・羌氏・羌憲氏・邃氏と為り、皆衛の姫姓なり。晋の公族郤氏は、又班りて呂と為り、郤芮は又邑に従ひて冀と為す。後に呂絪有り、駒伯と号す。
現代語訳
その後、韓の西の一派もまた韓を姓とし、衛満に討たれて、移って海中に住みました。畢公高は周と同じ姓で、畢に封ぜられ、そのために氏としました。周公が亡くなると、高がその職を継ぎましたが、その後の子孫は職を失い、庶民の身分となりました。畢万に至って晋の献公を助け、十六年に趙夙に戎を防がせたとき、畢万は右(車右)となり、耿を滅ぼし魏を滅ぼして、万に封じられました。今の河北県がそこです。魏顆はまた令狐を氏としました。万から九世で魏の文侯となり、文侯の孫の罃は魏の恵王となり、五世で亡びました。畢陽の孫の豫譲は智伯に仕え、智伯が国士として遇したので、豫譲もまた知遇の恩に報い、天下はその義を記しました。魏氏・令狐氏・不雨氏・葉大夫氏・伯夏氏・魏強氏・豫氏は、みな畢氏で、もとは姫姓です。周の厲王の子の友は鄭に封ぜられ、鄭の恭叔の後は、公文氏・軒氏・軍氏・子疆(彊)氏・強梁氏・巻氏・会氏・雅氏・孔氏・趙陽・田章氏・孤氏・王孫氏・史亀氏・羌氏・羌憲氏・邃氏となり、いずれも衛の姫姓です。晋の公族の郤氏は、また分かれて呂となり、郤芮はまた邑の字を付けて冀としました。のちに呂絪がおり、駒伯と号しました。
解説
この章句が説くこと
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史記 魏世家魏の先は、畢公高の後なり。畢公高は周と同姓なり。武王の紂を伐つや、高畢に封ぜらる。是に於て畢姓と為る。其の後封を絶ち、庶人と為り、或いは中国に在り、或いは夷狄に在り。其の苗裔を畢万と曰ふ。晋の献公に事ふ。献公の十六年、趙夙御と為り、畢万右と為り、以て霍・耿・魏を伐ち、之を滅ぼす。耿を以て趙夙を封じ、魏を以て畢万を封じ、大夫と為す。卜偃曰く、『畢万の後必ず大ならん。万は満数なり。魏は大名なり。是を以て始めて賞す、天之を開けり。天子を兆民と曰ひ、諸侯を万民と曰ふ。今之に命ずるに大を以てし、以て満数に従ふ。其れ必ず衆有らん』と。初め、畢万晋に事へんことを卜し、屯の比に之くに遇ふ。辛廖之を占ひて曰く、『吉なり。屯は固く比は入る。吉孰れか焉より大ならん。其れ必ず蕃昌せん』と。畢万封ぜられて十一年、晋の献公卒し、四子争ひて更々立ち、晋乱る。而して畢万の世彌々大なり。其の国名に従ひて魏氏と為る。武子を生む。魏武子、魏の諸子を以て晋の公子重耳に事ふ。晋の献公の廿一年、武子重耳に従ひて出亡す。十九年にして反り、重耳立ちて晋の文公と為る。而して魏武子をして魏氏の後の封を襲はしめ、列して大夫と為し、魏に治す。悼子を生む。魏悼子徙りて霍に治す。魏絳を生む。魏絳、晋の悼公に事ふ。悼公三年、諸侯に会す。悼公の弟楊干行を乱す。魏絳楊干を僇辱す。悼公怒りて曰く、『諸侯を合して以て栄と為す。今吾が弟を辱む』と。将に魏絳を誅せんとす。或ひと悼公に説く。悼公止む。卒に魏絳に政を任じ、戎・翟を和せしむ。戎・翟親附す。悼公の十一年、曰く、『吾魏絳を用ひしより、八年の中、九たび諸侯を合し、戎・翟和す。子の力なり』と。之に楽を賜ふ。三たび譲り、然る後に之を受く。徙りて安邑に治す。魏絳卒し、諡して昭子と為す。魏嬴を生む。嬴、魏献子を生む。献子、晋の昭公に事ふ。
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『潜夫論』誌氏姓郤犨は采を苦に食み、苦成叔と号し、郤至は采を温に食み、温季と号す、各〻以て氏と為す。郤氏の班に州氏・祁氏有り。伯宗は直を以て殺され、其の子州(犁)は楚に奔る。又、郤宛の直にして和なるを以て、故に子常の妬む所と為り、誅を受く。其の子嚭は呉に奔り、大宰と為り、祖禰の行ひに懲り、仍ち正直にして禍に遇ふなりと、乃ち諂諛を為して呉を亡ぼす。凡そ郤氏の班に、冀氏・呂氏・苦成氏・温氏・伯氏、靖侯の孫欒賓、及び富氏・遊氏・賈氏・狐氏・羊舌氏・季夙氏・籍氏、及び襄公の孫孫黶有り、皆晋の姫姓なり。晋の穆侯は桓叔を生み、桓叔は韓万を生み、晋に傅たり、大夫、十世にして韓の武侯と為り、五世にして韓の恵王と為り、五世にして国を亡ぼす。襄王の孽孫信は、俗人之を韓信都と謂ふ、高祖信を以て韓の王孫とし、信を以て韓王と為し、後に徙して代に王たり、匈奴の攻むる所と為り、自ら之に降る。漢柴将軍を遣はして之を撃たしめ、信を参合に斬る、信の妻子は亡げて匈奴の中に入る。景帝に至り、信の子頽当及び孫の赤来降し、漢頽当を封じて弓高侯と為し、赤を襄城侯と為す。韓嫣に及び、武帝の時侍中と為り、貴幸比無し。
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『潜夫論』誌氏姓案道侯韓説、前将軍韓(曽)は、皆漢に顕はる。子孫は各〻時帝に随ひて陽陵・茂陵・杜陵、及び漢陽・金城の諸韓に分かれ、皆其の後なり。信の子孫の余は匈奴の中に留まる。駟氏・豊将氏・国氏・然氏・孔氏・羽氏・良氏・大(季)氏、十族の祖は、穆公の子なり、各〻字を以て姓と為し、及び伯有氏・馬師氏・褚師氏は、皆鄭の姫姓なり。太伯は呉に君たり、端しく衣裳を垂れ、以て周礼を治む。仲雍嗣ぎ立ち、髪を断ち身に文し、倮を以て飾りと為す。武王殷に克ち、其の後を呉に分封し、大いに北呉を賜はしむ。季劄は延州来に居る、故に延陵季子と氏す。闔閭の弟夫槩王は楚の堂谿に奔り、因りて以て氏と為す。此れ皆姫姓なり。
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『潜夫論』誌氏姓衛侯邢を滅ぼし、昭公同姓を娶る、言うこころは皆祖を同じくするなり。近古以来は、則ち必ずしも然らず。古の姓を賜うは、大諦用うべきも、其の余は則ち難し。周室衰微し、呉・楚号を僭し、七国を暦て、咸な各おの王を称す。故に王氏・王孫氏・公孫氏及び諡氏官は、国自ら之を有ち、千八百国、諡官は万を数え、故に元より同じくすべからざるなり。孫氏に及びては、或いは王孫の班なり、或いは諸孫の班なり。故に祖を同じくして姓を異にする有り、姓を同じくして祖を異にする有り、亦た雑錯して、変じて相入る有り、或いは母の姓に従い、或いは怨仇を避く。夫れ律を吹きて姓を定むるは、唯だ聖のみ能くす。今民散ずること久しく、克く達する鮮し。音律は天の主る、其の祖を尊正す、故に且く略ぼ顕者を紀し、以て士の合揖して損せんことを待つ。伏羲は姓風、其の後任・宿・須朐・顓臾の四国に封ぜらる。実に太皡を司り、有済の祀に与り、且つ東蒙の主たり、魯の僖公の母成風は、蓋し須朐の女なり。季氏顓臾を伐たんと欲し、而して孔子之を譏る。炎帝の苗胄、四嶽の伯夷、堯の為に典礼し、民を折むるに惟れ刑、以て申・呂に封ず。裔尚を生み、文王の師と為り、殷に克ちて之を斉に封じ、或いは許・向に封じ、或いは紀に封じ、或いは申に封ず。
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『潜夫論』誌氏姓帝堯の後は陶唐氏と為る。後に劉累有り、能く龍を畜ひ、孔甲姓を御龍と賜ひ、以て豕韋の後に更ふ。周に至りて唐杜氏と為る。周衰へ、隰叔子有り、周の難を晋国に違ひ、子輿を生み、李と為り、以て朝に正し、朝に間(奸)官無し、故に氏は士氏と為る。司空と為り、以て国に正し、国に敗績無し、故に氏は司空。采を随に食む、故に随氏と氏とす。士袴の孫会、文・襄を佐け、諸侯に於て悪無し。卿と為り、以て成・景を輔け、軍に敗政無し。成率と為り、傅に居り、刑法を端し、訓典を集め、国に姦民無く、晋国の盗は逃げて秦に奔る。是に於て晋侯為に冕服を王に請ひ、王随会に命じて卿と為し、是を以て範を受け、卒して武子と諡す。武子は文にして、晋・荊の盟を成し、兄弟の国を降し、間隙無からしむ、是を以て郇・櫟を受く。此に由りて帝堯の後に、陶唐氏・劉氏・御龍氏・唐杜氏・隰氏・士氏・季氏・司空氏・趙氏・範氏・郇氏・櫟氏・嬴(彘)氏・冀氏・穀氏・薔氏・擾氏・㩏(狸)氏・傅氏有り。
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『潜夫論』誌氏姓周氏・邵氏・畢氏・栄氏・単氏・尹氏・錙氏・富氏・厓氏・萇氏は、此れ皆周室の世よの公卿の家なり。周召は、周公・召公の庶子にして、二公の采を食み、以て主吏と為す、故に世よ周公・召公有りて絶えざるなり。尹は、本官名なり、宋に太師有り、楚に令尹・左尹有るが若し。尹吉甫は宣王を相けて大功績あり。詩に云う「尹氏大師、維れ周の底なり」と。単穆公・襄公・頎公・靖公は、世よ明徳有り、次聖の才あり、故に叔向之を美め、以て後必ず繁昌せんとす。苦城は、城の名なり、塩池の東北に在り。後人之を書するに或いは枯と為し、斉人其の音を聞けば則ち之を書して車と曰い、敦煌其の字を見て、之を呼びて車城と曰う。其の漢陽に在る者は、枯・苦の字を喜ばず、則ち更めて之を書して古城氏と曰う。堂谿は、谿穀の名なり、汝南西平に在り。禹の字子啟とは、啟は、開の字なり。前人堂谿を書して誤りて啟と作し、後人之を変ずれば、則ち又開と作す。古の漆雕開・公冶長は、前人雕を書するに易に従い、渻して周に作り、冶を書して漢誤りて(蠱)に作り、後人又伝えて古と作す。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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