潜夫論 / 誌氏姓
及梁、葛、江、黃、徐、莒、蓼、六、英、皆皋陶之後也。鍾離、運掩、菟裘、尋梁、修魚、白寘、飛廉、密如、東灌、良時、白巴、公巴、公巴、郯、複、蒲,皆嬴姓也。
新字:及梁、葛、江、黄、徐、莒、蓼、六、英、皆皋陶之後也。鍾離、運掩、菟裘、尋梁、修魚、白寘、飛廉、密如、東灌、良時、白巴、公巴、公巴、郯、複、蒲,皆嬴姓也。
書き下し
梁・葛・江・黄・徐・莒・蓼・六・英に及ぶまで、皆皋陶の後なり。鍾離・運掩・菟裘・尋梁・修魚・白寘・飛廉・密如・東灌・良時・白巴・公巴・公巴・郯・複・蒲は、皆嬴姓なり。
現代語訳
梁・葛・江・黄・徐・莒・蓼・六・英に至るまで、みな皋陶の後裔です。鍾離・運掩・菟裘・尋梁・修魚・白寘・飛廉・密如・東灌・良時・白巴・公巴・公巴・郯・複・蒲は、みな嬴姓です。
解説
非常に短い段で、皋陶の後とされる国々と、嬴姓に属する氏が並べられるだけです。梁・葛・江・黄・徐・莒などが皋陶の後裔として挙がり、続けて鍾離、運掩、菟裘など嬴姓の名が連なります。原文には公巴が二度出ており、写し誤りか重複かは本文だけでは決められません。系譜の列挙は、前段の趙・秦に至る流れの補足として置かれていると読めます。古い記録では、重複や脱落が起きやすいため、一覧は別の資料と突き合わせて確かめる姿勢が必要です。現代の社内名簿や取引先リストも、更新と重複の確認を怠ると同じ問題が生じます。
この章句が説くこと
皋陶嬴姓列挙重複校勘潜夫論
関連する章句
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『潜夫論』誌氏姓或いは復た分かれて古氏・成氏・常(堂)氏・開氏・公氏・冶氏・梁氏・周氏と為る、此の数氏は、皆本は同じくして末は異なる。凡そ姓の離合変分は、固より此の類多く、一を以て況う可く、載するに勝え難きなり。易に曰く、「君子は以て族を類し物を辯つ」と、多く前言往行を識り、以て其の徳を蓄う、「学以て之を聚め、問以て之を辯つ」と。故に略ぼ世記を観、経書を采り、国土に依り、明文有るに及びて、以て賢聖の後を讃え、族類の祖を班ち、氏姓の出ずるを言い、此の仮意二篇を序し、以て後賢今の焉に貽すなり。
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『潜夫論』誌氏姓帝堯の後は陶唐氏と為る。後に劉累有り、能く龍を畜ひ、孔甲姓を御龍と賜ひ、以て豕韋の後に更ふ。周に至りて唐杜氏と為る。周衰へ、隰叔子有り、周の難を晋国に違ひ、子輿を生み、李と為り、以て朝に正し、朝に間(奸)官無し、故に氏は士氏と為る。司空と為り、以て国に正し、国に敗績無し、故に氏は司空。采を随に食む、故に随氏と氏とす。士袴の孫会、文・襄を佐け、諸侯に於て悪無し。卿と為り、以て成・景を輔け、軍に敗政無し。成率と為り、傅に居り、刑法を端し、訓典を集め、国に姦民無く、晋国の盗は逃げて秦に奔る。是に於て晋侯為に冕服を王に請ひ、王随会に命じて卿と為し、是を以て範を受け、卒して武子と諡す。武子は文にして、晋・荊の盟を成し、兄弟の国を降し、間隙無からしむ、是を以て郇・櫟を受く。此に由りて帝堯の後に、陶唐氏・劉氏・御龍氏・唐杜氏・隰氏・士氏・季氏・司空氏・趙氏・範氏・郇氏・櫟氏・嬴(彘)氏・冀氏・穀氏・薔氏・擾氏・㩏(狸)氏・傅氏有り。
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『潜夫論』誌氏姓魯の公族に、蟜氏・後氏・衆氏・臧氏・施氏・孟氏・仲孫氏・服氏・公山氏・南宮氏・叔孫氏・叔仲氏・子我氏・子士氏・季氏・公鉏氏・公巫氏・公之氏・子幹氏・華氏・子言氏・子駶(駒)氏・子雅氏・子陽氏・東門氏・公折(析)氏・公石氏・叔氏・子家氏・栄氏・展氏・乙氏有り、皆魯の姫姓なり。
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『潜夫論』誌氏姓城は南陽宛の北、序山の下に在り。故に詩に云ふ、「亹亹たる申伯、王之が事を薦め、邑を序に於てし、南国の式と為る」と。宛の西三十里に呂城有り、許は潁川に在り、今の許県是なり。姜戎は伊・洛の間に居り、晋の恵公徙して陸渾に置く。州・薄・甘・戯・露・怡、及び斉の国氏・高氏・襄氏・隰氏・士強氏・東郭氏・雍門氏・子雅氏・子尾氏・子襄氏・子淵氏・子乾氏・公旗氏・翰公氏・賀氏・盧氏、皆姜姓なり。
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『潜夫論』誌氏姓高陽氏の世、才子八人有り、蒼舒・隤敳・檮戭・大臨・尨降・庭堅・仲容・叔達、天下の人之を八凱と謂ふ。後嗣に皋陶有り、舜に事ふ。舜曰く、「皋陶、蛮夷夏を滑し、寇賊姦宄あり、女は士と作れ」と。其の子伯翳は、能く百姓を議し、以て舜・禹を佐け、鳥獣を擾馴し、舜姓を嬴と賜ふ。後に仲衍有り、鳥体人言にして、夏帝大戊の御と為る。嗣いで費仲に及び、悪来・季勝を生む。武王紂を伐ち、並びに悪来を殺す。季勝の後に造父有り、善く御するを以て周の穆王に事ふ。穆王西海に遊びて帰るを忘る、是に於て徐偃乱を作し、造父御し、一日千里にして以て之を征す。王造父を趙城に封じ、因りて以て氏と為す。其の後守を失ひ、趙夙に至り、晋の卿大夫に仕へ、十一世にして列侯と為り、五世にして武霊王と為り、五世にして趙亡ぶ。恭叔氏・邯鄲氏・訾辱氏・嬰斉氏・楼季氏・盧氏・原氏は、皆趙の嬴姓なり。悪来の後に非子有り、善く畜ふを以て、周の孝王之を秦に封ず。世よ地理して以て西陲の大夫と為す、汧・秦の亭是なり。其の後諸侯に列し、五世にして王を称し、六世にして始皇邯鄲に生まる、故に趙政と曰ふ。
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『潜夫論』誌氏姓周氏・邵氏・畢氏・栄氏・単氏・尹氏・錙氏・富氏・厓氏・萇氏は、此れ皆周室の世よの公卿の家なり。周召は、周公・召公の庶子にして、二公の采を食み、以て主吏と為す、故に世よ周公・召公有りて絶えざるなり。尹は、本官名なり、宋に太師有り、楚に令尹・左尹有るが若し。尹吉甫は宣王を相けて大功績あり。詩に云う「尹氏大師、維れ周の底なり」と。単穆公・襄公・頎公・靖公は、世よ明徳有り、次聖の才あり、故に叔向之を美め、以て後必ず繁昌せんとす。苦城は、城の名なり、塩池の東北に在り。後人之を書するに或いは枯と為し、斉人其の音を聞けば則ち之を書して車と曰い、敦煌其の字を見て、之を呼びて車城と曰う。其の漢陽に在る者は、枯・苦の字を喜ばず、則ち更めて之を書して古城氏と曰う。堂谿は、谿穀の名なり、汝南西平に在り。禹の字子啟とは、啟は、開の字なり。前人堂谿を書して誤りて啟と作し、後人之を変ずれば、則ち又開と作す。古の漆雕開・公冶長は、前人雕を書するに易に従い、渻して周に作り、冶を書して漢誤りて(蠱)に作り、後人又伝えて古と作す。
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