群書治要 / 『群書治要』史記上・評判でなく実績で見分ける
齊威王初即位、九年之間、諸侯并伐、國人不治、於是威王召即墨大夫。語之曰:自子之居即墨也。毁言日至、然吾使人視即墨、田野開、民人給、官無留事、東方以寧、是子不事吾左右以求譽也。封之萬家、召阿大夫。語之曰:自子之守阿、譽言日聞、然使使視阿、田野不開、民貧苦、昔日趙攻甄、子弗能救、衞取薛陵、而子弗知、是子以幣厚吾左右以求譽也。是日、烹阿大夫、及左右嘗譽者、皆并烹之、遂起兵西擊趙、衞、敗魏於濁澤、於是齊國震懼、人人不敢飾非、務盡其誠、齊國大治、諸侯聞之、莫敢致兵於齊。
新字:斉威王初即位、九年之間、諸侯并伐、国人不治、於是威王召即墨大夫。語之曰:自子之居即墨也。毀言日至、然吾使人視即墨、田野開、民人給、官無留事、東方以寧、是子不事吾左右以求誉也。封之万家、召阿大夫。語之曰:自子之守阿、誉言日聞、然使使視阿、田野不開、民貧苦、昔日趙攻甄、子弗能救、衛取薛陵、而子弗知、是子以幣厚吾左右以求誉也。是日、烹阿大夫、及左右嘗誉者、皆并烹之、遂起兵西撃趙、衛、敗魏於濁沢、於是斉国震懼、人人不敢飾非、務尽其誠、斉国大治、諸侯聞之、莫敢致兵於斉。
書き下し
斉の威王、初めて位に即き、九年の間、諸侯并せ伐ち、国人治まらず。是に於いて威王、即墨の大夫を召す。之に語りて曰く、子の即墨に居りしより、毀言日に至る。然れども吾人をして即墨を視しむれば、田野開け、民人給し、官に留事無く、東方以て寧し。是れ子が吾が左右に事えて以て誉れを求めざればなり、と。之を万家に封ず。阿の大夫を召す。之に語りて曰く、子の阿を守りしより、誉言日に聞こゆ。然れども使いをして阿を視しむれば、田野開かず、民貧苦す。昔日趙甄を攻むるに、子救うこと能わず、衛薛陵を取るに、子知らず。是れ子が幣を以て吾が左右を厚くして誉れを求むるなり、と。是の日、阿の大夫を烹、及び左右の嘗て誉めし者、皆并せて之を烹る。遂に兵を起こして西のかた趙・衛を撃ち、魏を濁沢に敗る。是に於いて斉国震懼し、人人敢えて非を飾らず、務めて其の誠を尽くし、斉国大いに治まり、諸侯之を聞き、敢えて兵を斉に致す莫し。
現代語訳
斉の威王は即位した当初、九年の間、諸侯にいっせいに攻められ、国はよく治まりませんでした。そこで威王は即墨の大夫を呼んで言いました。「お前が即墨にいてから、悪い評判が毎日届いた。しかし人をやって即墨を見させると、田野は開け、民は満ち足り、役所に滞った仕事はなく、東方は安らかだった。これはお前が、私の側近に取り入って誉れを求めなかったからだ。」そして彼を万戸に封じました。次に阿の大夫を呼んで言いました。「お前が阿を守ってから、称賛の声が毎日聞こえた。しかし使者に阿を見させると、田野は開けず、民は貧しく苦しんでいた。先日、趙が甄を攻めたとき、お前は救えず、衛が薛陵を取ったときも、お前は知らなかった。これはお前が、金品で私の側近を厚遇して、誉れを求めたからだ。」その日、阿の大夫を釜ゆでにし、これまで彼を誉めた側近たちも皆いっしょに釜ゆでにしました。そして兵を起こして西の趙と衛を撃ち、魏を濁沢で破りました。こうして斉の国は震えあがり、人々はあえて非を飾らず、誠を尽くすことに努め、斉は大いに治まり、諸侯はこれを聞いて、あえて斉に兵を向けなくなりました。
解説

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