潜夫論 / 誌氏姓
禿姓朘夷、豢龍,則夏滅之。祖姓彭祖、豕韋、諸稽,則商滅之。姜姓會人,則周滅之。雲姓之後封於鄢、會、路、偪陽。鄢取仲任為妻,貪冒愛吝,蔑賢簡能,是用亡邦。會在河伊之間,其君驕貪嗇儉,減爵損祿,群臣卑讓,上下不臨,詩人憂之,故作羔裘,閔其痛悼也。匪風,翼君先教也。會仲不悟,重氏伐之,上下不能相使,禁罰不行,遂以見亡。路子嬰兒,娶晉成公姊為夫人,酆舒為政而虐之。晉伯宗怒,遂伐滅路。荀罃武子伐滅偪陽。曹姓封於邾,邾顏子之支,別為小邾,皆楚滅之。芊姓之裔熊嚴,成王封之於楚,是謂粥熊,又號粥子。生四人,伯霜、仲雪、叔熊、季珣。珣嗣為荊子,或封於夔,或封於越。夔子不祀祝融、粥熊,楚伐滅。
新字:禿姓朘夷、豢竜,則夏滅之。祖姓彭祖、豕韋、諸稽,則商滅之。姜姓会人,則周滅之。雲姓之後封於鄢、会、路、偪陽。鄢取仲任為妻,貪冒愛吝,蔑賢簡能,是用亡邦。会在河伊之間,其君驕貪嗇倹,減爵損禄,群臣卑譲,上下不臨,詩人憂之,故作羔裘,閔其痛悼也。匪風,翼君先教也。会仲不悟,重氏伐之,上下不能相使,禁罰不行,遂以見亡。路子嬰児,娶晋成公姊為夫人,酆舒為政而虐之。晋伯宗怒,遂伐滅路。荀罃武子伐滅偪陽。曹姓封於邾,邾顔子之支,別為小邾,皆楚滅之。芊姓之裔熊厳,成王封之於楚,是謂粥熊,又号粥子。生四人,伯霜、仲雪、叔熊、季珣。珣嗣為荊子,或封於夔,或封於越。夔子不祀祝融、粥熊,楚伐滅。
書き下し
禿姓の朘夷・豢龍は、則ち夏之を滅ぼす。祖姓の彭祖・豕韋・諸稽は、則ち商之を滅ぼす。姜姓の会人は、則ち周之を滅ぼす。雲姓の後は鄢・会・路・偪陽に封ぜらる。鄢は仲任を取りて妻と為し、貪冒愛吝にして、賢を蔑し能を簡んじ、是を用て邦を亡ぼす。会は河・伊の間に在り、其の君は驕貪嗇倹にして、爵を減らし禄を損じ、群臣は卑譲し、上下臨まず、詩人之を憂へ、故に羔裘を作り、其の痛悼を閔む。匪風は、君を翼けて先づ教ふるなり。会仲悟らず、重氏之を伐ち、上下相使ふこと能はず、禁罰行はれず、遂に以て亡ぼさる。路子は嬰児、晋の成公の姉を娶りて夫人と為し、酆舒は政を為して之を虐ぐ。晋の伯宗怒り、遂に伐ちて路を滅ぼす。荀罃武子は伐ちて偪陽を滅ぼす。曹姓は邾に封ぜられ、邾の顔子の支、別れて小邾と為り、皆楚之を滅ぼす。芊姓の裔熊厳は、成王之を楚に封ず、是を粥熊と謂ひ、又粥子と号す。四人を生む、伯霜・仲雪・叔熊・季珣。珣は嗣ぎて荊子と為り、或いは夔に封ぜられ、或いは越に封ぜらる。夔子は祝融・粥熊を祀らず、楚伐ちて滅ぼす。
現代語訳
禿姓の朘夷・豢龍は夏が滅ぼしました。祖姓の彭祖・豕韋・諸稽は商が滅ぼしました。姜姓の会人は周が滅ぼしました。雲姓の後裔は鄢・会・路・偪陽に封ぜられました。鄢は仲任を妻にめとりましたが、貪欲で物惜しみし、賢者を軽んじ有能な者を選り分けて退け、そのために国を亡ぼしました。会は河水と伊水のあいだにあり、その君主は驕り高ぶって貪り、けちで、爵位を減らし俸禄を削ったため、群臣は卑屈にへりくだり、上と下とが向き合わなくなりました。詩人はこれを憂えて「羔裘」の詩を作り、その痛ましさを嘆いたのです。「匪風」の詩は、君主を助けてまず教えを施そうとするものです。会仲は悟らず、重氏がこれを討ち、上下が互いを使うことができず、禁令も刑罰も行われず、ついに滅ぼされました。路子は幼い子どもで、晋の成公の姉を夫人にめとりましたが、酆舒が政治を行って彼女を虐げました。晋の伯宗は怒り、ついに路を討って滅ぼしました。荀罃(武子)は偪陽を討って滅ぼしました。曹姓は邾に封ぜられ、邾の顔子の分家は別れて小邾となりましたが、いずれも楚が滅ぼしました。芊姓の末裔の熊厳は、成王がこれを楚に封じ、粥熊と呼ばれ、また粥子とも称しました。四人の子を生み、伯霜・仲雪・叔熊・季珣といいます。珣は跡を継いで荊子となり、ある者は夔に、ある者は越に封ぜられました。夔子は祝融と粥熊を祀らなかったため、楚が討って滅ぼしました。
解説
この章句が説くこと
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『潜夫論』誌氏姓衛侯邢を滅ぼし、昭公同姓を娶る、言うこころは皆祖を同じくするなり。近古以来は、則ち必ずしも然らず。古の姓を賜うは、大諦用うべきも、其の余は則ち難し。周室衰微し、呉・楚号を僭し、七国を暦て、咸な各おの王を称す。故に王氏・王孫氏・公孫氏及び諡氏官は、国自ら之を有ち、千八百国、諡官は万を数え、故に元より同じくすべからざるなり。孫氏に及びては、或いは王孫の班なり、或いは諸孫の班なり。故に祖を同じくして姓を異にする有り、姓を同じくして祖を異にする有り、亦た雑錯して、変じて相入る有り、或いは母の姓に従い、或いは怨仇を避く。夫れ律を吹きて姓を定むるは、唯だ聖のみ能くす。今民散ずること久しく、克く達する鮮し。音律は天の主る、其の祖を尊正す、故に且く略ぼ顕者を紀し、以て士の合揖して損せんことを待つ。伏羲は姓風、其の後任・宿・須朐・顓臾の四国に封ぜらる。実に太皡を司り、有済の祀に与り、且つ東蒙の主たり、魯の僖公の母成風は、蓋し須朐の女なり。季氏顓臾を伐たんと欲し、而して孔子之を譏る。炎帝の苗胄、四嶽の伯夷、堯の為に典礼し、民を折むるに惟れ刑、以て申・呂に封ず。裔尚を生み、文王の師と為り、殷に克ちて之を斉に封じ、或いは許・向に封じ、或いは紀に封じ、或いは申に封ず。
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『潜夫論』誌氏姓周氏・邵氏・畢氏・栄氏・単氏・尹氏・錙氏・富氏・厓氏・萇氏は、此れ皆周室の世よの公卿の家なり。周召は、周公・召公の庶子にして、二公の采を食み、以て主吏と為す、故に世よ周公・召公有りて絶えざるなり。尹は、本官名なり、宋に太師有り、楚に令尹・左尹有るが若し。尹吉甫は宣王を相けて大功績あり。詩に云う「尹氏大師、維れ周の底なり」と。単穆公・襄公・頎公・靖公は、世よ明徳有り、次聖の才あり、故に叔向之を美め、以て後必ず繁昌せんとす。苦城は、城の名なり、塩池の東北に在り。後人之を書するに或いは枯と為し、斉人其の音を聞けば則ち之を書して車と曰い、敦煌其の字を見て、之を呼びて車城と曰う。其の漢陽に在る者は、枯・苦の字を喜ばず、則ち更めて之を書して古城氏と曰う。堂谿は、谿穀の名なり、汝南西平に在り。禹の字子啟とは、啟は、開の字なり。前人堂谿を書して誤りて啟と作し、後人之を変ずれば、則ち又開と作す。古の漆雕開・公冶長は、前人雕を書するに易に従い、渻して周に作り、冶を書して漢誤りて(蠱)に作り、後人又伝えて古と作す。
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『潜夫論』誌氏姓公族に楚季氏・列宗氏・闘強氏・良臣氏・耆氏・門氏・侯氏・季融氏・仲熊氏・子季氏・陽氏・無(鉤)氏・蒍氏・善氏・陽氏・昭氏・景氏・厳氏・嬰斉氏・来氏・来繊氏・即氏・申氏・訋氏・沈氏・賀氏・減氏・吉白氏・伍氏・沈瀐氏・余推氏・公建氏・子南氏・子庚氏・子午氏・子西氏・王孫・田公氏・舒堅氏・魯陽氏・黒肱氏有り、皆芊姓なり。楚季とは、王子敖の曽孫なり。蚡冒の主蒍章とは、王子無(鉤)なり。令尹孫叔敖とは、蒍章の子なり。左司馬戌とは、荘王の曽孫なり。葉公諸梁とは、戌の第三の弟なり。楚の大夫申無畏とは、又文氏を氏とす。初め、紂に有蘇氏有り、妲己の女を以て殷を亡ぼす。周の武王の時蘇忿生有り、司寇と為り、温に封ぜらる。其の後洛邑に蘇秦有り。
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『潜夫論』誌氏姓帝堯の後は陶唐氏と為る。後に劉累有り、能く龍を畜ひ、孔甲姓を御龍と賜ひ、以て豕韋の後に更ふ。周に至りて唐杜氏と為る。周衰へ、隰叔子有り、周の難を晋国に違ひ、子輿を生み、李と為り、以て朝に正し、朝に間(奸)官無し、故に氏は士氏と為る。司空と為り、以て国に正し、国に敗績無し、故に氏は司空。采を随に食む、故に随氏と氏とす。士袴の孫会、文・襄を佐け、諸侯に於て悪無し。卿と為り、以て成・景を輔け、軍に敗政無し。成率と為り、傅に居り、刑法を端し、訓典を集め、国に姦民無く、晋国の盗は逃げて秦に奔る。是に於て晋侯為に冕服を王に請ひ、王随会に命じて卿と為し、是を以て範を受け、卒して武子と諡す。武子は文にして、晋・荊の盟を成し、兄弟の国を降し、間隙無からしむ、是を以て郇・櫟を受く。此に由りて帝堯の後に、陶唐氏・劉氏・御龍氏・唐杜氏・隰氏・士氏・季氏・司空氏・趙氏・範氏・郇氏・櫟氏・嬴(彘)氏・冀氏・穀氏・薔氏・擾氏・㩏(狸)氏・傅氏有り。
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『潜夫論』誌氏姓城は南陽宛の北、序山の下に在り。故に詩に云ふ、「亹亹たる申伯、王之が事を薦め、邑を序に於てし、南国の式と為る」と。宛の西三十里に呂城有り、許は潁川に在り、今の許県是なり。姜戎は伊・洛の間に居り、晋の恵公徙して陸渾に置く。州・薄・甘・戯・露・怡、及び斉の国氏・高氏・襄氏・隰氏・士強氏・東郭氏・雍門氏・子雅氏・子尾氏・子襄氏・子淵氏・子乾氏・公旗氏・翰公氏・賀氏・盧氏、皆姜姓なり。
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