潜夫論 / 誌氏姓
昔堯賜契姓姬,賜禹姓姒,氏曰有夏,伯夷為姜,氏曰有呂。下及三代,官有世功,則有官族,邑亦如之。後世微末,因是以為姓,則不能改也。故或傳本姓,或氏號邑諡,或氏於爵,或氏於誌。若夫五帝三王之世,所謂號也;文、武、昭、景、成、宣、戴、桓,所謂諡也;齊、魯、吳、楚、秦、晉、燕、趙,所謂國也;王氏、侯氏、王孫、公孫,所謂爵也;司馬、司徒、中行、下軍,所謂官也;伯有、孟孫、子服、叔子,所謂字也;巫氏、匠氏、陶氏,所謂事也;東門、西門、南宮、東郭、北郭,所謂居也;三烏、五鹿、青牛、白馬,所謂誌也。凡厥姓氏,皆出屬而不可勝紀也。
新字:昔堯賜契姓姫,賜禹姓姒,氏曰有夏,伯夷為姜,氏曰有呂。下及三代,官有世功,則有官族,邑亦如之。後世微末,因是以為姓,則不能改也。故或伝本姓,或氏号邑諡,或氏於爵,或氏於誌。若夫五帝三王之世,所謂号也;文、武、昭、景、成、宣、戴、桓,所謂諡也;斉、魯、呉、楚、秦、晋、燕、趙,所謂国也;王氏、侯氏、王孫、公孫,所謂爵也;司馬、司徒、中行、下軍,所謂官也;伯有、孟孫、子服、叔子,所謂字也;巫氏、匠氏、陶氏,所謂事也;東門、西門、南宮、東郭、北郭,所謂居也;三烏、五鹿、青牛、白馬,所謂誌也。凡厥姓氏,皆出属而不可勝紀也。
書き下し
昔堯契に姓を賜いて姫とし、禹に姓を賜いて姒とし、氏して有夏と曰い、伯夷を姜と為し、氏して有呂と曰う。下りて三代に及び、官に世功有れば、則ち官族有り、邑も亦た之の如し。後世微末にして、是に因りて以て姓と為せば、則ち改むる能わず。故に或いは本姓を伝え、或いは号・邑・諡に氏し、或いは爵に氏し、或いは志に氏す。若し夫れ五帝三王の世は、所謂号なり。文・武・昭・景・成・宣・戴・桓は、所謂諡なり。斉・魯・呉・楚・秦・晋・燕・趙は、所謂国なり。王氏・侯氏・王孫・公孫は、所謂爵なり。司馬・司徒・中行・下軍は、所謂官なり。伯有・孟孫・子服・叔子は、所謂字なり。巫氏・匠氏・陶氏は、所謂事なり。東門・西門・南宮・東郭・北郭は、所謂居なり。三烏・五鹿・青牛・白馬は、所謂志なり。凡そ厥の姓氏は、皆出属にして勝げて紀すべからざるなり。
現代語訳
昔、堯は契に姫の姓を賜い、禹に姒の姓を賜い、氏は有夏といい、伯夷は姜とし、氏は有呂といいました。下って三代に至ると、官に代々の功があれば官族があり、邑についても同様でした。後の世になって微末の家が、これによって姓を立てると、改めることができません。そのため、あるいは本来の姓を伝え、あるいは号・邑・諡によって氏を立て、あるいは爵によって氏を立て、あるいは志によって氏を立てます。五帝三王の世のものは、いわゆる号です。文・武・昭・景・成・宣・戴・桓は、いわゆる諡です。斉・魯・呉・楚・秦・晋・燕・趙は、いわゆる国です。王氏・侯氏・王孫・公孫は、いわゆる爵です。司馬・司徒・中行・下軍は、いわゆる官です。伯有・孟孫・子服・叔子は、いわゆる字です。巫氏・匠氏・陶氏は、いわゆる事(職業)です。東門・西門・南宮・東郭・北郭は、いわゆる居です。三烏・五鹿・青牛・白馬は、いわゆる志です。およそ姓氏は、みな出自や所属があって、すべてを数え上げることはできません。
解説
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