潜夫論 / 誌氏姓
城在南陽宛北序山之下,故詩雲:「亹申伯,王薦之事,於邑於序,南國為式。」宛西三十里有呂城,許在潁川,今許縣是也。姜戎居伊、洛之間,晉惠公徙置陸渾。州、薄、甘、戲、露、怡,及齊之國氏、高氏、襄氏、隰氏、士強氏、東郭氏、雍門氏、子雅氏、子尾氏、子襄氏、子淵氏、子乾氏、公旗氏、翰公氏、賀氏、盧氏,皆姜姓也。
新字:城在南陽宛北序山之下,故詩雲:「亹申伯,王薦之事,於邑於序,南国為式。」宛西三十里有呂城,許在潁川,今許県是也。姜戎居伊、洛之間,晋恵公徙置陸渾。州、薄、甘、戯、露、怡,及斉之国氏、高氏、襄氏、隰氏、士強氏、東郭氏、雍門氏、子雅氏、子尾氏、子襄氏、子淵氏、子乾氏、公旗氏、翰公氏、賀氏、盧氏,皆姜姓也。
書き下し
城は南陽宛の北、序山の下に在り。故に詩に云ふ、「亹亹たる申伯、王之が事を薦め、邑を序に於てし、南国の式と為る」と。宛の西三十里に呂城有り、許は潁川に在り、今の許県是なり。姜戎は伊・洛の間に居り、晋の恵公徙して陸渾に置く。州・薄・甘・戯・露・怡、及び斉の国氏・高氏・襄氏・隰氏・士強氏・東郭氏・雍門氏・子雅氏・子尾氏・子襄氏・子淵氏・子乾氏・公旗氏・翰公氏・賀氏・盧氏、皆姜姓なり。
現代語訳
その城は南陽の宛の北、序山のふもとにあります。そのため『詩』にも「勤め励む申伯よ、王は彼にこの務めを任され、序に邑を置かせて、南の国々の手本とされた」とうたわれています。宛の西三十里には呂城があり、許は潁川にあって、今の許県がそれです。姜戎は伊水と洛水のあいだに住んでいましたが、晋の恵公が移して陸渾に置きました。州・薄・甘・戯・露・怡、そして斉の国氏・高氏・襄氏・隰氏・士強氏・東郭氏・雍門氏・子雅氏・子尾氏・子襄氏・子淵氏・子乾氏・公旗氏・翰公氏・賀氏・盧氏は、いずれも姜姓です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『潜夫論』誌氏姓魯の公族に、蟜氏・後氏・衆氏・臧氏・施氏・孟氏・仲孫氏・服氏・公山氏・南宮氏・叔孫氏・叔仲氏・子我氏・子士氏・季氏・公鉏氏・公巫氏・公之氏・子幹氏・華氏・子言氏・子駶(駒)氏・子雅氏・子陽氏・東門氏・公折(析)氏・公石氏・叔氏・子家氏・栄氏・展氏・乙氏有り、皆魯の姫姓なり。
-
『潜夫論』誌氏姓周氏・邵氏・畢氏・栄氏・単氏・尹氏・錙氏・富氏・厓氏・萇氏は、此れ皆周室の世よの公卿の家なり。周召は、周公・召公の庶子にして、二公の采を食み、以て主吏と為す、故に世よ周公・召公有りて絶えざるなり。尹は、本官名なり、宋に太師有り、楚に令尹・左尹有るが若し。尹吉甫は宣王を相けて大功績あり。詩に云う「尹氏大師、維れ周の底なり」と。単穆公・襄公・頎公・靖公は、世よ明徳有り、次聖の才あり、故に叔向之を美め、以て後必ず繁昌せんとす。苦城は、城の名なり、塩池の東北に在り。後人之を書するに或いは枯と為し、斉人其の音を聞けば則ち之を書して車と曰い、敦煌其の字を見て、之を呼びて車城と曰う。其の漢陽に在る者は、枯・苦の字を喜ばず、則ち更めて之を書して古城氏と曰う。堂谿は、谿穀の名なり、汝南西平に在り。禹の字子啟とは、啟は、開の字なり。前人堂谿を書して誤りて啟と作し、後人之を変ずれば、則ち又開と作す。古の漆雕開・公冶長は、前人雕を書するに易に従い、渻して周に作り、冶を書して漢誤りて(蠱)に作り、後人又伝えて古と作す。
-
『潜夫論』誌氏姓魯の昭公の母の家の姓は帰氏、漢に隗囂季孟有り。短は、即ち大戎氏にして、其の先は本黄帝より出ず。徐氏・蕭氏・索氏・長勺氏・陶氏・繁氏・騎氏・饑氏・樊氏・荼氏に及ぶまで、皆殷氏の旧姓なり。漢興るや、相国蕭何は侯に封ぜられ、本は沛の人にして、今の長陵の蕭は、其の後なり。前将軍蕭望之は、東海の杜陵の蕭にして、其の後なり。御史大夫に繁延寿有り、南陵襄陽の人なり、杜陵新豊の繁は、其の後なり。
-
『潜夫論』誌氏姓衛侯邢を滅ぼし、昭公同姓を娶る、言うこころは皆祖を同じくするなり。近古以来は、則ち必ずしも然らず。古の姓を賜うは、大諦用うべきも、其の余は則ち難し。周室衰微し、呉・楚号を僭し、七国を暦て、咸な各おの王を称す。故に王氏・王孫氏・公孫氏及び諡氏官は、国自ら之を有ち、千八百国、諡官は万を数え、故に元より同じくすべからざるなり。孫氏に及びては、或いは王孫の班なり、或いは諸孫の班なり。故に祖を同じくして姓を異にする有り、姓を同じくして祖を異にする有り、亦た雑錯して、変じて相入る有り、或いは母の姓に従い、或いは怨仇を避く。夫れ律を吹きて姓を定むるは、唯だ聖のみ能くす。今民散ずること久しく、克く達する鮮し。音律は天の主る、其の祖を尊正す、故に且く略ぼ顕者を紀し、以て士の合揖して損せんことを待つ。伏羲は姓風、其の後任・宿・須朐・顓臾の四国に封ぜらる。実に太皡を司り、有済の祀に与り、且つ東蒙の主たり、魯の僖公の母成風は、蓋し須朐の女なり。季氏顓臾を伐たんと欲し、而して孔子之を譏る。炎帝の苗胄、四嶽の伯夷、堯の為に典礼し、民を折むるに惟れ刑、以て申・呂に封ず。裔尚を生み、文王の師と為り、殷に克ちて之を斉に封じ、或いは許・向に封じ、或いは紀に封じ、或いは申に封ず。
-
『潜夫論』誌氏姓昔堯契に姓を賜いて姫とし、禹に姓を賜いて姒とし、氏して有夏と曰い、伯夷を姜と為し、氏して有呂と曰う。下りて三代に及び、官に世功有れば、則ち官族有り、邑も亦た之の如し。後世微末にして、是に因りて以て姓と為せば、則ち改むる能わず。故に或いは本姓を伝え、或いは号・邑・諡に氏し、或いは爵に氏し、或いは志に氏す。若し夫れ五帝三王の世は、所謂号なり。文・武・昭・景・成・宣・戴・桓は、所謂諡なり。斉・魯・呉・楚・秦・晋・燕・趙は、所謂国なり。王氏・侯氏・王孫・公孫は、所謂爵なり。司馬・司徒・中行・下軍は、所謂官なり。伯有・孟孫・子服・叔子は、所謂字なり。巫氏・匠氏・陶氏は、所謂事なり。東門・西門・南宮・東郭・北郭は、所謂居なり。三烏・五鹿・青牛・白馬は、所謂志なり。凡そ厥の姓氏は、皆出属にして勝げて紀すべからざるなり。
-
『潜夫論』誌氏姓或いは復た分かれて古氏・成氏・常(堂)氏・開氏・公氏・冶氏・梁氏・周氏と為る、此の数氏は、皆本は同じくして末は異なる。凡そ姓の離合変分は、固より此の類多く、一を以て況う可く、載するに勝え難きなり。易に曰く、「君子は以て族を類し物を辯つ」と、多く前言往行を識り、以て其の徳を蓄う、「学以て之を聚め、問以て之を辯つ」と。故に略ぼ世記を観、経書を采り、国土に依り、明文有るに及びて、以て賢聖の後を讃え、族類の祖を班ち、氏姓の出ずるを言い、此の仮意二篇を序し、以て後賢今の焉に貽すなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る