潜夫論 / 誌氏姓
魯昭公母家姓歸氏,漢有隗囂季孟。短,即大戎氏,其先本出黃帝。及徐氏、蕭氏、索氏、長勺氏、陶氏、繁氏、騎氏、饑氏、樊氏、荼氏,皆殷氏舊姓也。漢興,相國蕭何封侯,本沛人,今長陵蕭,其後也。前將軍蕭望之,東海杜陵蕭,其後也。御史大夫有繁延壽,南陵襄陽人也,杜陵新豐繁,其後也。
新字:魯昭公母家姓帰氏,漢有隗囂季孟。短,即大戎氏,其先本出黄帝。及徐氏、蕭氏、索氏、長勺氏、陶氏、繁氏、騎氏、饑氏、樊氏、荼氏,皆殷氏旧姓也。漢興,相国蕭何封侯,本沛人,今長陵蕭,其後也。前将軍蕭望之,東海杜陵蕭,其後也。御史大夫有繁延寿,南陵襄陽人也,杜陵新豊繁,其後也。
書き下し
魯の昭公の母の家の姓は帰氏、漢に隗囂季孟有り。短は、即ち大戎氏にして、其の先は本黄帝より出ず。徐氏・蕭氏・索氏・長勺氏・陶氏・繁氏・騎氏・饑氏・樊氏・荼氏に及ぶまで、皆殷氏の旧姓なり。漢興るや、相国蕭何は侯に封ぜられ、本は沛の人にして、今の長陵の蕭は、其の後なり。前将軍蕭望之は、東海の杜陵の蕭にして、其の後なり。御史大夫に繁延寿有り、南陵襄陽の人なり、杜陵新豊の繁は、其の後なり。
現代語訳
魯の昭公の母の家の姓は帰氏で、漢には隗囂、字は季孟がいます。短は大戎氏のことで、その祖先はもともと黄帝から出ています。徐氏、蕭氏、索氏、長勺氏、陶氏、繁氏、騎氏、饑氏、樊氏、荼氏に至るまで、みな殷の氏の旧い姓です。漢が興ると、相国の蕭何が侯に封じられました。もとは沛の人で、今の長陵の蕭氏はその子孫です。前将軍の蕭望之は東海の人で、杜陵の蕭氏はその子孫です。御史大夫に繁延寿がいて、南陵の襄陽の人であり、杜陵の新豊の繁氏はその子孫です。
解説
前段に続いて、ここでは姓の由来と、それを名乗る家々の系統が短くまとめられています。魯の昭公の母の家、大戎氏、殷の旧姓とされる十ほどの氏が並び、さらに漢代の蕭何、蕭望之、繁延寿の名が、のちの蕭氏・繁氏の祖として挙げられます。ここで目立つのは、始祖の伝承と漢の高官の実名を同じ列に置いて、家の連続を示そうとする書き方です。古代の氏姓の記録は、神話的な出自と実在の役職者をつなぐことで権威を得ていたと読めます。ただし原文は由来を簡潔に言い切るだけなので、系譜上の関係をそれ以上に補うことはできません。現代の経営者にとっては、組織が自らの沿革や創業者をどう語り、実績の列挙で信頼を築くかを考える参考になります。
この章句が説くこと
氏姓出自系譜蕭何伝承潜夫論
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