潜夫論 / 誌氏姓
昔者,聖王觀象於乾坤,考度於神明,探命曆之去就,省群后之德業,而賜姓命氏,因彰德功。傳稱氏之徹官百,王公之子弟千,世能聽其官者,而物賜之姓,是謂百姓。姓有徹品十,於王謂之千品。
新字:昔者,聖王観象於乾坤,考度於神明,探命暦之去就,省群后之徳業,而賜姓命氏,因彰徳功。伝称氏之徹官百,王公之子弟千,世能聴其官者,而物賜之姓,是謂百姓。姓有徹品十,於王謂之千品。
書き下し
昔者、聖王は象を乾坤に観、度を神明に考え、命暦の去就を探り、群后の徳業を省み、而して姓を賜い氏を命じ、因りて徳功を彰らかにす。伝に称す、氏の官を徹するもの百、王公の子弟千、世よ能く其の官を聴む者には、而して物して之に姓を賜う、是れを百姓と謂う。姓に品を徹するもの十有り、王に於いては之を千品と謂う、と。
現代語訳
昔、聖王は象を乾坤に観、度を神明に考え、命暦の去就を探り、諸侯の徳と業績を省みて、姓を賜い氏を命じ、それによって徳と功績を世に明らかにしました。伝に「氏が官を治めるもの百、王公の子弟は千、代々その官をよく務める者には、物に応じて姓を賜い、これを百姓という。姓には十の品があり、王においてはこれを千品という」とあります。
解説
ここから「志氏姓」に入り、氏と姓がどのように授けられたかを述べます。聖王は天地の象を観て、群后の徳業を省み、姓を賜い氏を命じて徳と功を明らかにしたと王符は書きます。「伝」を引き、官や子弟の数に応じた区分があり、代々官を担える者に姓を賜うことが百姓と呼ばれるとされ、王には千品があると説明します。語の由来を示す短い段で、氏姓の制度の考え方を示す序の役割を果たします。古代の氏姓は、血縁だけでなく功績や官職と結びついて与えられたと読めます。現代の組織でも、役職や称号が貢献の承認として働く点に通じ、肩書をどう授けるかは組織の価値観を映します。
この章句が説くこと
氏姓賜姓百姓徳功命名潜夫論
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