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潜夫論 / 五德誌

後衰,乃生武丁,即位,默以不言,思道三年,而夢獲賢人以為師。乃使以夢像求之四方側陋,得傅說,方以胥靡築於傅岩,升以為大公,而使朝夕規諫,恐其有憚怠也,則敕曰:「若金,用汝作礪。若濟巨川,用汝作舟楫。若時大旱,用汝作霖雨。啟乃心,沃朕心。若藥不瞑眩,厥疾不瘳,若跣不視地,厥足用傷。爾交修餘,無棄!」故能中興,稱號高宗,及帝辛而亡天下,謂之紂。武王封微子於宋,卦箕子於朝鮮,子姓分氏,殷、時、來、宋、扐、蕭、空同、北段,皆湯後也。

新字:後衰,乃生武丁,即位,黙以不言,思道三年,而夢獲賢人以為師。乃使以夢像求之四方側陋,得傅説,方以胥靡築於傅岩,升以為大公,而使朝夕規諫,恐其有憚怠也,則勅曰:「若金,用汝作礪。若済巨川,用汝作舟楫。若時大旱,用汝作霖雨。啓乃心,沃朕心。若薬不瞑眩,厥疾不瘳,若跣不視地,厥足用傷。爾交修余,無棄!」故能中興,称号高宗,及帝辛而亡天下,謂之紂。武王封微子於宋,卦箕子於朝鮮,子姓分氏,殷、時、来、宋、扐、蕭、空同、北段,皆湯後也。

書き下し

後衰え、乃ち武丁を生む、位に即き、黙して以て言わず、道を思うこと三年、而して夢に賢人を獲て以て師と為す。乃ち夢像を以て之を四方の側陋に求めしめ、傅説を得たり、方に胥靡を以て傅岩に築く、升せて以て大公と為し、朝夕に規諫せしむ、其の憚怠有るを恐れ、則ち敕して曰く、「金の若し、汝を用て礪と作さん。巨川を済るが若し、汝を用て舟楫と作さん。是の大旱の若し、汝を用て霖雨と作さん。乃の心を啓き、朕が心に沃げ。薬の瞑眩せざれば、厥の疾瘳えざるが若く、跣して地を視ざれば、厥の足用て傷つくが若し。爾交々余を修めよ、棄つる無かれ」と。故に能く中興し、高宗と称号す、帝辛に及びて天下を亡い、之を紂と謂う。武王微子を宋に封じ、箕子を朝鮮に卦し、子姓の分氏は、殷・時・来・宋・扐・蕭・空同・北段、皆湯の後なり。

現代語訳

その後、殷が衰えたころに武丁が生まれ、位に即くと、黙って言葉を発せず、三年のあいだ道を思い、夢で賢人を得て師としました。そこで夢の像をもとに、四方の貧しい境遇の中から探させ、傅説を見つけました。傅説はそのとき罪人として傅岩で築造をしていましたが、引き上げて大公とし、朝夕に諫めさせました。怠けや遠慮があることを恐れて、さらに戒めて言いました。「金のようなら、汝を砥石として用いよう。大河を渡るなら、汝を舟や楫として用いよう。ひどい日照りなら、汝を恵みの雨として用いよう。汝の心を開いて、わが心に注ぎ込め。薬が効いてめまいを起こすほどでなければ、その病は治らない。裸足で地を見ずに歩けば、足を傷つけるのと同じである。そなたは互いにわたしを正し、見捨てないでくれ」と。そうしたからこそ中興でき、高宗と称されました。帝辛に至って天下を失い、これを紂といいます。武王は微子を宋に封じ、箕子を朝鮮に封じました。子姓から分かれた氏は殷・時・来・宋・扐・蕭・空同・北段で、みな湯の後裔です。

解説

殷の中興の主、武丁の話が中心です。武丁は即位後三年、黙して道を思い、夢に賢人を得て、その像を頼りに四方の貧しい境遇から傅説を探し出します。胥靡として傅岩で築造していた傅説を登用し、大公に升し、朝夕の諫めを求めます。武丁の命の言葉には、金なら礪、大川なら舟楫、大旱なら霖雨と、自分を助ける存在として傅説を位置づける比喩が並びます。「薬の瞑眩せざれば疾は瘳えず」という言葉も印象的です。最後に紂で殷が亡び、子姓の分氏も列挙されます。現代の組織でも、身分や経歴にかかわらず人材を探し、率直な諫言を求めるトップの姿勢は、中興の条件として参考になります。

この章句が説くこと

武丁傅説中興諫言人材登用潜夫論

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