潜夫論 / 五德誌
舜乃禪位,命如堯詔。禹乃即位,作樂大夏,世號夏後。傳嗣子啟。啟子太康、仲康更立。兄弟五人,皆有昏德,不堪帝事,降須洛汭,是謂五觀。孫相嗣位,夏道浸衰,於是後羿自鉏遷於窮石,因夏民以代夏政,滅相。妃後緡方娠,逃出自竇,奔於有仍,生少康焉,仍妃牧正。羿恃己射也,不修民事,而淫於原獸,棄武羅、伯因、熊髡、幹圉,而用寒浞。浞,柏明氏讒子弟也,柏明氏惡而棄之,夷羿收之,信而使之,以為己相。浞行媚於內,施賂於外,愚弄於民,虞羿於田,樹之詐匿,以取其國家,外內咸服。羿猶不悛。將歸自田,家眾殺而烹之,以食其子,子不忍食諸,死於窮門。靡奔於有鬲氏。浞因羿室,生澆及𤡬,恃其讒慝詐偽,而不德於民,使澆用師,滅斟灌及斟尋氏,處犭壹於過,處澆於戈。
新字:舜乃禅位,命如堯詔。禹乃即位,作楽大夏,世号夏後。伝嗣子啓。啓子太康、仲康更立。兄弟五人,皆有昏徳,不堪帝事,降須洛汭,是謂五観。孫相嗣位,夏道浸衰,於是後羿自鉏遷於窮石,因夏民以代夏政,滅相。妃後緡方娠,逃出自竇,奔於有仍,生少康焉,仍妃牧正。羿恃己射也,不修民事,而淫於原獣,棄武羅、伯因、熊髡、幹圉,而用寒浞。浞,柏明氏讒子弟也,柏明氏悪而棄之,夷羿収之,信而使之,以為己相。浞行媚於内,施賂於外,愚弄於民,虞羿於田,樹之詐匿,以取其国家,外内咸服。羿猶不悛。将帰自田,家衆殺而烹之,以食其子,子不忍食諸,死於窮門。靡奔於有鬲氏。浞因羿室,生澆及𤡬,恃其讒慝詐偽,而不徳於民,使澆用師,滅斟灌及斟尋氏,処犭壱於過,処澆於戈。
書き下し
舜乃ち位を禅り、命ずること堯の詔の如し。禹乃ち位に即き、楽「大夏」を作り、世に夏後と号す。嗣子の啓に伝う。啓の子の太康・仲康更ごも立つ。兄弟五人、皆昏徳有り、帝事に堪えず、降りて洛汭に須つ、是れを五観と謂う。孫の相位を嗣ぎ、夏道浸く衰え、是に於いて後羿鉏より窮石に遷り、夏民に因りて以て夏政に代わり、相を滅ぼす。妃の後緡、方に娠み、竇より逃れ出で、有仍に奔り、少康を生む、仍の妃、牧正なり。羿己が射を恃みて、民事を修めず、而して原獣に淫し、武羅・伯因・熊髡・幹圉を棄てて、寒浞を用う。浞は、柏明氏の讒子弟なり、柏明氏悪みて之を棄て、夷羿収めて、之を信じて使い、以て己が相と為す。浞は媚を内に行い、賂を外に施し、民を愚弄し、羿を田に虞り、之に詐匿を樹て、以て其の国家を取り、外内咸な服す。羿猶お悛めず。将に田より帰らんとするや、家衆殺して之を烹、以て其の子に食わしむ、子忍びて諸れを食わず、窮門に死す。靡有鬲氏に奔る。浞羿の室に因り、澆及び𤡬を生み、其の讒慝詐偽を恃みて、民に不徳なり、澆をして師を用いしめ、斟灌及び斟尋氏を滅ぼし、犭壹を過に処き、澆を戈に処く。
現代語訳
舜は位を譲り、その命じ方は堯の詔のとおりでした。禹が位に即き、楽「大夏」を作り、世に夏後と呼ばれました。嗣子の啓に伝え、啓の子の太康と仲康が代わるがわる立ちました。兄弟五人は、みな愚かな徳をもち、帝の務めに堪えられず、洛汭に降って待ち、これを五観といいます。孫の相が位を継ぐと、夏の道はしだいに衰え、そこで後羿が鉏から窮石に移り、夏の民に拠って夏の政に取って代わり、相を滅ぼしました。妃の後緡はちょうど身ごもっていて、穴から逃げ出して有仍に走り、少康を生みました。仍の妃のもとで牧正となりました。羿は自分の弓の腕を恃んで、民の務めを修めず、野の狩りにふけり、武羅・伯因・熊髡・幹圉を捨てて、寒浞を用いました。浞は、柏明氏の讒言をする子弟で、柏明氏が憎んで捨てたのを、夷羿が拾い、信頼して使い、自分の宰相としました。浞は内に媚を使い、外に賄賂を施し、民を愚弄し、羿が狩りに出るのを見計らって、偽りと隠しごとを仕掛け、その国家を奪い、内外ともに従いました。羿はそれでも改めませんでした。狩りから帰ろうとしたとき、家の者たちが羿を殺して煮て、その子に食べさせようとしましたが、子は忍びず食べないで、窮門で死にました。靡は有鬲氏のもとへ走りました。浞は羿の家に居座って、澆と𤡬を生み、讒言と悪意と偽りを恃んで、民に徳をほどこさず、澆に軍を使わせて、斟灌と斟尋氏を滅ぼし、犭壹を過に置き、澆を戈に置きました。
解説
この章句が説くこと
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