潜夫論 / 釋難
庚子問於潛夫曰:「堯舜道德,不可兩美,實若韓子戈伐之說邪?」潛夫曰:是不知難而不知類。今夫伐者,盾也,厥性利;戈者,矛也,厥性害。是伐為賊,伐為禁也,其不俱盛,固其術也。夫堯舜之相於人也,非戈與伐也。其道同仁,不相害也。舜伐何如弗得俱堅,堯伐何如不得俱賢哉。且夫堯舜之德,譬猶偶燭之施明於幽室也。前燭即盡照之矣,後燭入而益明。此非前燭昧而後燭彰也,乃二者相因而成大光,二聖相德而致太平之功也。是故大鵬之動,非一羽之輕也;騏驥之速,非一足之力也。眾良相德,而積施乎無極也。堯舜兩美,蓋其則也。
新字:庚子問於潜夫曰:「堯舜道徳,不可両美,実若韓子戈伐之説邪?」潜夫曰:是不知難而不知類。今夫伐者,盾也,厥性利;戈者,矛也,厥性害。是伐為賊,伐為禁也,其不倶盛,固其術也。夫堯舜之相於人也,非戈与伐也。其道同仁,不相害也。舜伐何如弗得倶堅,堯伐何如不得倶賢哉。且夫堯舜之徳,譬猶偶燭之施明於幽室也。前燭即尽照之矣,後燭入而益明。此非前燭昧而後燭彰也,乃二者相因而成大光,二聖相徳而致太平之功也。是故大鵬之動,非一羽之軽也;騏驥之速,非一足之力也。衆良相徳,而積施乎無極也。堯舜両美,蓋其則也。
書き下し
庚子潜夫に問いて曰く、「堯舜の道徳は、両つながら美なる可からず、実に韓子の戈伐の説の若きか」と。潜夫曰く、是れ難を知らずして類を知らざるなり。今夫の伐は、盾なり、厥の性は利なり。戈は、矛なり、厥の性は害なり。是れ伐は賊と為り、伐は禁と為る、其の倶に盛んならざるは、固より其の術なり。夫れ堯舜の人に相するや、戈と伐とに非ざるなり。其の道は仁を同じくし、相い害せざるなり。舜の伐は何如にして倶に堅きを得ず、堯の伐は何如にして倶に賢きを得ざらんや。且つ夫れ堯舜の徳は、譬えば猶お偶燭の明を幽室に施すがごとし。前燭は即ち尽く之を照らし、後燭入りて益ます明らかなり。此れ前燭昧くして後燭彰らかなるに非ず、乃ち二者相い因りて大光を成し、二聖相い徳として太平の功を致すなり。是の故に大鵬の動くは、一羽の軽きに非ざるなり、騏驥の速きは、一足の力に非ざるなり。衆良の相い徳として、積み施すこと無極なり。堯舜の両つながら美なるは、蓋し其の則なり。
現代語訳
庚子が潜夫に尋ねました。「堯と舜の道徳は、どちらも優れているとは言えず、本当に韓非子の矛盾の説のようなものなのでしょうか。」潜夫は答えました。これは難を知らず、類を知らないものです。そもそも伐は盾であり、その性質は防ぐことにあります。戈は矛であり、その性質は傷つけることにあります。伐は賊となり、伐は防ぐものとなるので、両方が盛んになれないのは、もとよりその理にかなっています。しかし堯と舜の関係は、戈と伐のようなものではありません。その道は仁を同じくし、互いに害し合うことはないのです。舜の盾がどうして同時に堅くなれず、堯の盾がどうして同時に賢くなれないことがあるでしょうか。さらに、堯舜の徳は、たとえば二つの燭が暗い室を照らすようなものです。先の燭がすでにすべてを照らし、後の燭が入ればいっそう明るくなります。これは先の燭が暗く後の燭が明らかというのではなく、二つが互いに助け合って大きな光を成すのです。二人の聖人が互いに徳を助けて、太平の功をもたらしたのです。だから大鵬が飛ぶのは、一枚の羽の軽さによるのではなく、駿馬が速いのは、一本の足の力によるのではありません。多くの良いものが互いに助けて、尽きない働きを積み重ねるのです。堯舜がともに優れているのは、おそらくそれが道理だからでしょう。
解説
この章句が説くこと
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易経・小畜卦復ること道よりすとは、其の義吉なるなり。牽かれて復りて中に在り、亦自ら失わざるなり。夫妻目を反すとは、室を正すこと能わざるなり。孚有り。惕れ出づ。上志を合わすなり。孚有りて攣如たりとは、独り富まざるなり。既に雨ふり既に処るとは、徳積みて載すなり。君子征けば凶とは、疑わしき所有るなり。
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