孫子 / 九地篇
敢問:兵可使如率然乎?曰:可。夫吳人與越人相惡也,當其同舟而濟。遇風,其相救也,如左右手。
新字:敢問:兵可使如率然乎?曰:可。夫呉人与越人相悪也,当其同舟而済。遇風,其相救也,如左右手。
書き下し
敢えて問う、兵をして率然の如くならしむべきか。曰く、可なり。夫れ呉人と越人とは相悪むも、其の舟を同じくして済るに当たり、風に遇わば、其の相救うや左右の手の如し。
現代語訳
あえて問おう。軍をあの率然のようにできるか。できる。呉の人と越の人は憎み合っているが、同じ舟に乗って川を渡るとき、風に遭えば、左右の手のように助け合う。
解説
呉越同舟の出典である。日ごろ憎み合っている者どうしでも、同じ危機に置かれれば助け合う——この事実から孫子が引き出したのは、感情を変えるより状況を変えろ、という結論である。仲を良くしてから協力させるのではなく、同じ舟に乗せれば協力は起きる。部署間の対立に悩む組織は、関係改善の研修より、共通の締切と共通の指標を持たせるほうが早い。ただし舟が沈みかけていることが両者に見えていなければ効かない。危機の共有が前提である。
この章句が説くこと
呉越同舟協力状況設計対立共通の危機
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