潜夫論 / 釋難
伯叔曰:「吾子過矣。韓非之取矛盾以喻者,將假其不可兩立,以詰堯舜之不得並之勢,而論其本性之仁與賊,不亦失是譬喻之意乎?」潛夫曰:夫譬喻也者,生於直告之不明,故假物之然否以彰之。物之有然否也,非以其文也,必以其真也。今子舉其實文之性以喻,而欲使鄙也釋其文,鄙也惑焉。且吾聞問陰對陽,謂之強說;論西詰東,謂之強難。子若欲自必以則昨反思然後求,無苟自強。庚子曰:「周公知管蔡之惡,以相武庚,使肆厥毒,從而誅之,何不仁也?若其不知,何不聖也?二者之過,必處一焉。」潛夫曰:書二子挾庚子父以叛,然未知其類之與,抑抑相反。且天知桀惡而帝之夏,又知紂惡而王之殷,使虐二國,殘賊下民,多縱厥毒,滅其身,亦可謂不仁不知乎?
新字:伯叔曰:「吾子過矣。韓非之取矛盾以喩者,将仮其不可両立,以詰堯舜之不得並之勢,而論其本性之仁与賊,不亦失是譬喩之意乎?」潜夫曰:夫譬喩也者,生於直告之不明,故仮物之然否以彰之。物之有然否也,非以其文也,必以其真也。今子舉其実文之性以喩,而欲使鄙也釈其文,鄙也惑焉。且吾聞問陰対陽,謂之強説;論西詰東,謂之強難。子若欲自必以則昨反思然後求,無苟自強。庚子曰:「周公知管蔡之悪,以相武庚,使肆厥毒,従而誅之,何不仁也?若其不知,何不聖也?二者之過,必処一焉。」潜夫曰:書二子挟庚子父以叛,然未知其類之与,抑抑相反。且天知桀悪而帝之夏,又知紂悪而王之殷,使虐二国,残賊下民,多縦厥毒,滅其身,亦可謂不仁不知乎?
書き下し
伯叔曰く、「吾子過てり。韓非の矛盾を取りて以て喩うるは、将に其の両立す可からざるを仮りて、以て堯舜の並ぶを得ざるの勢いを詰り、其の本性の仁と賊とを論ずる、亦た是の譬喩の意を失わざらんや」と。潜夫曰く、夫れ譬喩なる者は、直告の明らかならざるに生ず、故に物の然否を仮りて以て之を彰らかにす。物の然否有るは、其の文を以てするに非ず、必ず其の真を以てす。今子は其の実文の性を挙げて以て喩え、鄙をして其の文を釈かしめんと欲す、鄙や惑う。且つ吾聞く、陰に問い陽に対うる、之を強説と謂い、西を論じ東を詰る、之を強難と謂う。子若し自ら必せんと欲せば、則ち昨に反りて思い然る後に求め、苟くも自ら強うる無かれ。庚子曰く、「周公は管蔡の悪を知りて、以て武庚を相け、其の毒を肆にせしめ、従いて之を誅す、何ぞ不仁なる。若し其れ知らざれば、何ぞ不聖なる。二者の過ち、必ず一に処らん」と。潜夫曰く、書に二子庚子の父を挟みて以て叛くと、然れども未だ知らず其の類の与か、抑も相反するか。且つ天は桀の悪を知るも夏に帝たらしめ、又紂の悪を知るも殷に王たらしめ、二国に虐げ、下民を残賊し、多く厥の毒を縦にし、其の身を滅ぼさしむ、亦た不仁不智と謂う可けんや。
現代語訳
伯叔は言いました。「あなたは誤っておられる。韓非が矛と盾を用いてたとえたのは、両立できないことを借りて、堯と舜が並び立てない勢いを問い詰め、その本性の仁と賊を論じたものだ。あなたの答えは、このたとえの本意を外しているのではないか。」潜夫は答えました。そもそもたとえというのは、まっすぐに言ってはっきりしないときに生まれるもので、物の然否を借りて明らかにするのです。物に然否があるのは、その外見の文によるのではなく、必ずその実によります。いま、あなたはその実の文の性質を取り上げてたとえに使い、私にその文を解かせようとしていますが、私は戸惑います。私はこう聞いています。陰を問うて陽で答えるのを強説といい、西を論じて東を責めるのを強難という、と。あなたがどうしても自分を正しいと確かめたいなら、昨日にさかのぼって考え直したうえで求めなさい。かりそめにも自分を押し通してはいけません。庚子は言いました。「周公は管叔や蔡叔の悪を知りながら、武庚を補佐させ、その毒をほしいままにさせたうえで誅した。これはどうして不仁でないことがあろう。もし知らなかったのなら、どうして聖と言えよう。この二つの過ちのうち、必ずどちらかに当たる。」潜夫は答えました。書には、二人が庚子の父を抱えて背いたとあるが、その類なのか、それともまったく反対なのかはまだ分かりません。また、天は桀の悪を知りながら夏に帝とし、紂の悪を知りながら殷に王としました。二つの国に暴虐を働かせ、民を傷つけ、その毒を存分に振るわせたうえで、その身を滅ぼさせました。これも不仁不智と言えるでしょうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『潜夫論』釋難庚子潜夫に問いて曰く、「堯舜の道徳は、両つながら美なる可からず、実に韓子の戈伐の説の若きか」と。潜夫曰く、是れ難を知らずして類を知らざるなり。今夫の伐は、盾なり、厥の性は利なり。戈は、矛なり、厥の性は害なり。是れ伐は賊と為り、伐は禁と為る、其の倶に盛んならざるは、固より其の術なり。夫れ堯舜の人に相するや、戈と伐とに非ざるなり。其の道は仁を同じくし、相い害せざるなり。舜の伐は何如にして倶に堅きを得ず、堯の伐は何如にして倶に賢きを得ざらんや。且つ夫れ堯舜の徳は、譬えば猶お偶燭の明を幽室に施すがごとし。前燭は即ち尽く之を照らし、後燭入りて益ます明らかなり。此れ前燭昧くして後燭彰らかなるに非ず、乃ち二者相い因りて大光を成し、二聖相い徳として太平の功を致すなり。是の故に大鵬の動くは、一羽の軽きに非ざるなり、騏驥の速きは、一足の力に非ざるなり。衆良の相い徳として、積み施すこと無極なり。堯舜の両つながら美なるは、蓋し其の則なり。
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『潜夫論』釋難庚子曰く、「然らず。夫れ桀紂は、天に親無し、故に天は任じて憂えず、之を誅して哀しまず。今管蔡の周公に与けるは、兄弟の親有り、骨肉の恩有り、能を量らずして之を使い、命に堪えずして之を任ず、故に桀の天に与けるに異なると曰う」と。潜夫曰く、皇天に親無し、帝王の体を継ぐ君は、父として天に事う。王者を子と為す、故に父として天に事う。率土の民、王臣に非ざる莫し。将として必ず誅す、王法は公なり、偏る無く頗る無く、親疏同じ。大義親を滅ぼすは、王を尊ぶの義なり。弊を立つるの天、周公の徳を為すは斯に因るなり。此を過ぎて往く者は、未だ之れ或いは知らず。
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『潜夫論』賢難世の治まらざる所以の者は、賢難に由る。所謂賢難とは、直だに聡明を体し徳義に服するの謂に非ず。此れ則ち賢を求めて得難きのみ、賢者の難とする所に非ず。故に所謂賢とは、乃ち将に言わんとす。善に循えば則ち妒まれ、賢を行えば則ち嫉まれ、而して必ず患難に遇う者なり。虞舜の放殛せられし所以、子胥の誅せられし所以は、上聖大賢すら、猶お自ら嫉妒を免るる能わず、則ち又中世の人をや。此れ秀士の賢材美質有りと雖も、然れども猶お直道して行い、遂に其の志を成すを得ざる所以なり。処士は其の行を直くするを得ず、朝臣は其の言を直くするを得ず、此れ俗化の敗るる所以、闇君の孤なる所以なり。斉侯の以て国を奪われ、魯公の以て放逐せられしは、皆敗績厭覆して暇あらず、而るに用て治に及ばんや。故に徳薄き者は美行を聞くを悪み、政乱るる者は治言を聞くを悪む、此れ亡秦の偶語を誅し術士を坑にせし所以なり。
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『潜夫論』論榮今俗士の論を観るに、族を以て徳を挙げ、位を以て賢を命ず、茲れ論を得たるの一体と謂うべきも、未だ至論の淑真を獲ず。堯は、聖父なるも、丹は凶傲。舜は、聖子なるも、叟は頑悪。叔向は、賢兄なるも、鮒は貪暴。季友は、賢弟なるも、慶父は淫乱なり。論若し必ず族を以てせば、是れ丹宜しく禅るべくして、舜宜しく誅すべく、鮒宜しく賞すべくして、友宜しく夷すべきなり。論の必ず族を以てすべからざること是の若し。昔祁奚に言有り、鯀殛せられて禹興り、管・蔡戮せられて、周公王を祐く、故に書に父子兄弟相い及ばずと称す、と。幽・厲の貴は、天子なり、而も又富は四海を有つ。顔・原の賤は、匹庶なり、而も又凍餒して屢しば空し。論若し必ず位を以てせば、則ち是れ両王は是れ世士と為り、而して二処は愚鄙と為るなり。論の必ず位を以てすべからざること、又是の若し。故に曰く、仁重くして勢軽く、位蔑くして義栄ゆ、と。
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『潜夫論』明暗舜曰く、「予違わば汝弼けよ、汝面従すること無かれ、退きて後言有ること」と。故に国を治むるの道は、之を勧めて諫めしめ、之を宣べて言わしめ、然る後に君は明察して治情通ず。且つ凡そ驕臣の好んで賢を隠すや、既に其の正義を以て己を縄すを患い、又上位に居りて明の下に及ばず、其の職に尹として策の己より出でざるを恥ず。是を以て郤宛は衆を得て、子常之を殺す。屈原は君を得て、椒蘭讒を挺んず。耿寿は常平を建てて、厳延其の謀を妒む。陳湯は郅支を殺して、匡衡其の功を捄う。此に由りて之を観れば、位に処ること卑賤にして善を君に効さんと欲すれば、則ち必ず先ず寵人と仇を為す。旧寵を恃みて之を内に沮み、賤に接して外に自ら信ぜられんと欲す、善を思う君、忠を願う士が、並びに一世に生まると雖も、憂心相い、而も終に遇うを得ざる所以の者なり。
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『潜夫論』邊議夫れ仁者は己を恕りて以て人に及ぼし、智者は功を講じて事に処す。今公卿内には士民の滅没の痛みを傷まず、外には久兵の禍を慮らず、各おの一切を懐い、前を避くるを脱る所とす。苟くも兵を動かすべからずと云い、復た帝王の綱維を引き、禍変の終る所を原ぬるを知らず。《易》は寇を禦ぐを製し、《詩》は薄伐を美す、古より戦有り、乃ち今に非ざるなり。伝に曰く、「天は五材を生じ、民並びに之を用う、一を廃すも不可なり、誰か能く兵を去らん。兵は不軌を威し、文徳を昭らかにする所以なり。聖人は以て興り、乱人は以て廃す」と。斉桓・晋文・宋襄は、衰世の諸侯なるも、猶お天下に相い滅ぼす有りて己救う能わざるを恥ず、況んや皇天の命ずる所の四海の主をや。晋・楚の大夫は、小国の臣なるも、猶お己の身に相い侵す有るを恥ず、況んや天子の三公の世任を典る者をや。公劉の仁徳は、広く行葦に被る、況んや血を含むの人、己と同類なるをや。一人籲嗟すれば、王道為に虧く、況んや滅没の民百万なるをや。《書》に曰く、「天子は民の父母と作る」と。父母の子に於けるや、豈に坐して其の寇賊の屠剥する所と為るを観、立ちて其の狗豕の啖食する所と為るを視るべけんや。其の仁恩を除くも、且つ計利を以て之を言わん。国は民を以て基と為し、貴は賤を以て本と為す。願わくは開辟以来、民危うくして国安き者は誰ぞ、上貧しくして下富む者は誰ぞを察せよ。故に曰く、夫れ君国は民を之れ以て将とす、民実に瘠せて君安んぞ肥ゆるを得んや。
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