潜夫論 / 救邊
且夫國以民為基,貴以賤為本。是以聖王養民,愛之如子,憂之如家。危者安之,亡者存之。救其災患,除其禍亂。是故鬼方之伐,非好武也;泬狁於攘,非貪土也。以振民育德,安強宇也。古者,天子守在四夷。自彼互羌,莫不來享,普天思服,行葦賴德,況近我民,蒙禍若此,可無救乎?凡民之所以奉事上者,懷義恩也。痛則無恥,福則不仁,忿戾怨懟,生於無恥。今羌叛久矣,傷害多矣,百姓急矣,憂禍深矣,上下相從,未見休時,不一命大將以掃醜虜,而州稍稍興役,連連不已。若排簾障風,探沙灌河,無所能禦,徒自盡爾。今數州屯兵才餘萬人,皆廩食縣官,歲數百萬斛,又有月直。但此人耗,不可勝供,而反憚暫出之費,甚非計也。是夫危者易傾,疑者易化,今虜新擅邊地,未敢自安,易震蕩也。
新字:且夫国以民為基,貴以賤為本。是以聖王養民,愛之如子,憂之如家。危者安之,亡者存之。救其災患,除其禍乱。是故鬼方之伐,非好武也;泬狁於攘,非貪土也。以振民育徳,安強宇也。古者,天子守在四夷。自彼互羌,莫不来享,普天思服,行葦頼徳,況近我民,蒙禍若此,可無救乎?凡民之所以奉事上者,懐義恩也。痛則無恥,福則不仁,忿戻怨懟,生於無恥。今羌叛久矣,傷害多矣,百姓急矣,憂禍深矣,上下相従,未見休時,不一命大将以掃醜虜,而州稍稍興役,連連不已。若排簾障風,探沙灌河,無所能禦,徒自尽爾。今数州屯兵才余万人,皆廩食県官,歳数百万斛,又有月直。但此人耗,不可勝供,而反憚暫出之費,甚非計也。是夫危者易傾,疑者易化,今虜新擅辺地,未敢自安,易震蕩也。
書き下し
且つ夫れ国は民を以て基と為し、貴は賤を以て本と為す。是を以て聖王民を養い、之を愛すること子の如く、之を憂うること家の如し。危うき者は之を安んじ、亡ぶる者は之を存し、其の災患を救い、其の禍乱を除く。是の故に鬼方の伐は、武を好むに非ざるなり。泬狁於に攘うは、土を貪るに非ざるなり。民を振い徳を育て、以て宇を安強にするなり。古は、天子の守は四夷に在り。彼の互羌より、来り享せざる莫く、普天思い服し、行葦徳に頼る。況んや我が民に近く、禍を蒙ること此の若きをや、救う無かるべけんや。凡そ民の上に奉事する所以の者は、義恩を懐えばなり。痛めば則ち恥無く、福あれば則ち不仁、忿戻怨懟は、恥無きに生ず。今羌の叛くこと久し、傷害多し、百姓急にして、憂禍深く、上下相い従い、未だ休む時を見ず。一たび大将に命じ以て醜虜を掃わしめず、而して州稍稍役を興し、連連として已まず。簾を排して風を障ぎ、沙を探って河に灌ぐが若く、能く禦ぐ所無く、徒だ自ら尽くすのみ。今数州の屯兵、才かに万人に餘り、皆県官に廩食し、歳に数百万斛、又月直有り。但だ此の人耗は、供するに勝うべからず、而るに反って暫く出づるの費を憚るは、甚だ計に非ざるなり。是れ夫れ危うき者は傾き易く、疑う者は化し易し。今虜新たに辺地を擅にして、未だ敢えて自ら安んぜず、震蕩し易きなり。
現代語訳
そもそも国は民を基とし、貴い者は卑しい者を本とします。だから聖王は民を養い、子のように愛し、家のように気にかけました。危うい者は安んじ、滅びそうな者は存続させ、その災いを救い、禍乱を除きました。かつて鬼方を討ったのは武を好んだからではなく、泬狁を払ったのも土地を貪るためではありません。民を救い徳を育て、天下を安らかに強くするためでした。昔は、天子の守りは四方の異民族にありました。あの互羌でさえ貢ぎ物を携えて来朝しない者はなく、天下は慕い従い、行葦の詩にあるように徳に頼りました。まして我が民に近く、このような禍を被っているのですから、救わないでよいはずがありません。民が上に仕えるのは、義と恩を思うからです。痛めつけられれば恥を忘れ、幸いを得れば不仁になり、怒りや怨みは、恥を失うところから生まれます。いま羌が叛いてから久しく、傷害は多く、民は切迫し、憂いと禍は深く、上下ともに従い合っても、休まる時が見えません。ここで大将に一度命じて醜い賊を一掃させず、州ごとに少しずつ労役を興し、それが続いて止みません。簾を押し開いて風を防ぎ、砂を探って川に注ぐようなもので、防ぎきれず、ただ自ら力を使い果たすだけです。いま数州に駐屯する兵は一万余人にすぎないのに、皆官の食糧を食み、年に数百万斛、さらに月ごとの支給もあります。この消耗は賄いきれず、それなのに一時的な出費を嫌うのは、まったく良い計ではありません。危うい者は傾きやすく、疑う者は変わりやすいものです。いま賊は辺地を新たに押さえたばかりで、まだ安心しきれず、揺さぶりやすい時なのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』襄公十年 偪陽の戦い十年春、柤(さ)に會す。吳子壽夢に會するなり。三月癸丑、齊の高厚、大子光を相(たす)けて、以て先づ諸侯に鍾離に會するに、敬まず。士莊子曰く、「高子、大子を相けて以て諸侯に會す。將に社稷を是れ衛らんとするに、皆敬まず。社稷を棄つるなり。其れ將に免れざらんか」と。夏四月戊午、柤に會す。晉の荀偃・士匄、偪陽(ひつやう)を伐ちて宋の向戌を封ぜんことを請ふ。荀罃曰く、「城小にして固し。之に勝つも武ならず、勝たずんば笑ひと為らん」と。固く請ふ。丙寅、之を圍む。克たず。孟氏の臣秦堇父(しんきんぽ)、重を輦(ひ)きて役に如く。偪陽人、門を啟く。諸侯の士、門す。縣門發す。郰人(すうひと)紇(こつ)、之を抉(かか)げて、以て門に入りし者を出だす。狄虒彌(てきしび)、大車の輪を建てて、之を蒙ふに甲を以てし、以て櫓と為し、左に之を執り、右に戟を拔きて、以て一隊を成す。孟獻子曰く、「詩に所謂『力有ること虎の如し』といふ者なり」と。主人、布を縣く。堇父、之に登る。
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『墨子』辭過子墨子曰く、古の民、未だ宫を為るを知らざる時、陵阜に就きて以て居り、穴して處る。下、潤濕にして民を傷る。故に聖王、作りて宫室を為る。宫室を為るの法に曰く、髙さは以て潤濕を辟くるに足り、邊は以て風寒を圉ぐに足り、上は以て雪霜雨露を待つに足り、宫牆の髙さは、以て男女の禮を别つに足る。謹んで此に止まり、財を費やし力を勞して利を加えざる者は、為さざるなり。是の故に聖王の宫室を作り為るは、生に使するにして、以て觀樂を為さざるなり。衣服・帯履を作り為るは、身に便なるにして、以て辟怪を為さざるなり。故に身に節し、民に誨う。是を以て天下の民、得て治む可く、財用、得て足る可し。今の主に當たりては、其の宫室を為るや則ち此と異なれり。必ず厚く百姓に作斂し、暴かに民の衣食の財を奪いて、以て宫室・臺榭・曲直の望、青黄刻鏤の飾りを為る。宫室を為ること此くの若し。故に左右皆な之に法象す。是を以て其の財、以て凶饑を待ち孤寡を賑わすに足らず。故に國貧しくして民治め難きなり。君、實に天下の治を欲して其の亂を惡まば、當に宫室を為るは節せざる可からず。
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史記 田敬仲完世家田忌曰く、「救はずんば、則ち韓且に折れて魏に入らんとす。蚤く之を救ふに如かず」と。孫子曰く、「夫れ韓・魏の兵未だ獘れずして之を救はば、是れ吾韓に代はりて魏の兵を受け、顧って反りて命を韓に聴くなり。且つ魏に国を破るの志有り。韓亡びんとするを見ば、必ず東面して斉に愬へん。吾因りて深く韓の親しみを結びて晩く魏の獘を承けば、則ち利を重ねて尊名を得べきなり」と。宣王曰く、「善し」と。乃ち陰かに韓の使者に告げて之を遣る。韓因りて斉を恃み、五たび戦ひて勝たず、東のかた国を斉に委ぬ。斉因りて兵を起こし、田忌・田嬰をして将たらしめ、孫子を師と為し、韓・趙を救ひて以て魏を撃ち、大いに之を馬陵に敗り、其の将龐涓を殺し、魏の太子申を虜にす。其の後三晋の王皆田嬰に因りて斉王に博望に朝し、盟ひて去る。七年、魏王と平阿の南に会す。明年、復た甄に会す。魏の恵王卒す。明年、魏の襄王と徐州に会し、諸侯相王とす。十年、楚我が徐州を囲む。十一年、魏と趙を伐つ。趙河水を決して斉・魏に灌ぐ。兵罷む。十八年、秦の恵王王と称す。宣王文学游説の士を喜ぶ。騶衍・淳于髡・田駢・接子・慎到・環淵の徒の如きより七十六人、皆列第を賜ひ、上大夫と為し、治めずして議論せしむ。是を以て斉の稷下の学士復た盛んにして、且に数百千人ならんとす。十九年、宣王卒し、子湣王地立つ。湣王元年、秦張儀をして諸侯の執政と齧桑に会せしむ。三年、田嬰を薛に封ず。四年、婦を秦に迎ふ。七年、宋と魏を攻め、之を観沢に敗る。十二年、魏を攻む。楚雍氏を囲む。秦屈丐を敗る。蘇代、田軫に謂ひて曰く、「臣願はくは公に謁する有らん。其の事を為すこと甚だ完し。楚をして公を利せしめ、成れば福と為り、成らずとも亦福と為さん。
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史記 周本紀明年、犬戎を伐つ。明年、密須を伐つ。明年、耆国を敗る。殷の祖伊之を聞き、懼れて、以て帝紂に告ぐ。紂曰く、「天命有らずや。是れ何をか能く為さん」と。明年、邘を伐つ。明年、崇侯虎を伐つ。而して豊邑を作り、岐下より徙りて豊に都す。明年、西伯崩じ、太子発立つ。是を武王と為す。西伯蓋し即位五十年。其の羑里に囚はるるや、蓋し易の八卦を益して六十四卦と為す。詩人西伯を道ふに、蓋し命を受けし年に王を称して虞・芮の訟を断ずと。後十年にして崩じ、謚して文王と為す。法度を改め、正朔を制す。古公を追尊して太王と為し、公季を王季と為す。蓋し王の瑞は太王より興る。武王即位し、太公望を師と為し、周公旦を輔と為し、召公・畢公の徒王を左右し、師として文王の緒業を修む。九年、武王上りて畢に祭る。東のかた兵を観し、盟津に至る。文王の木主を為り、載するに車を以てし、中軍とす。武王自ら太子発と称し、文王を奉じて以て伐つと言ひ、敢へて自ら専らにせず。乃ち司馬・司徒・司空・諸節に告ぐ、「斉栗せよ、信なるかな。予無知なれども、先祖に徳臣有るを以て、小子先功を受け、畢く賞罰を立て、以て其の功を定めん」と。遂に師を興す。師尚父号して曰く、「爾の衆庶を総べ、爾の舟楫を与にせよ。後れて至る者は斬らん」と。武王河を渡り、中流にして、白魚躍りて王の舟中に入る。武王俯して取りて以て祭る。既に渡るに、火有りて上より下に復り、王屋に至りて、流れて烏と為る。其の色赤く、其の声魄なりと云ふ。是の時、諸侯期せずして盟津に会する者八百諸侯。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「女未だ天命を知らず、未だ可ならず」と。乃ち師を還して帰る。居ること二年、紂の昏乱暴虐滋甚だしく、王子比干を殺し、箕子を囚ふと聞く。太師疵・少師彊其の楽器を抱きて周に奔る。
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論語・郷党篇色みて斯に挙がり、翔りて後に集まる。曰く、「山梁の雌雉、時なるかな、時なるかな。」子路之を共す。三たび嗅ぎて作つ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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