潜夫論 / 勸將
孫子曰:「將者,智也,仁也,敬也,信也,勇也,嚴也。」是故智以折敵,仁以附眾,敬以招賢,信以必賞,勇以益氣,嚴以一令。故折敵則能合變,眾附愛則思力戰,賢智集則陰謀得,賞罰必則士盡力,氣勇益則兵勢自倍,威令一則唯將所使。必有此六者,乃可折衝擒敵,輔主安民。前羌始反時,將帥以定令之群,籍富厚之蓄,據列城而氣利勢,權十萬之眾,將勇傑之士,以誅草創新叛散亂之弱虜,擊自至之小寇,不能擒滅,輒為所敗。令遂雲烝起,合從連橫,掃滌並源,內犯司隸,東寇趙魏,西鈔蜀漢,五州殘破,六郡削跡,此非天之災,長吏過爾。
新字:孫子曰:「将者,智也,仁也,敬也,信也,勇也,厳也。」是故智以折敵,仁以附衆,敬以招賢,信以必賞,勇以益気,厳以一令。故折敵則能合変,衆附愛則思力戦,賢智集則陰謀得,賞罰必則士尽力,気勇益則兵勢自倍,威令一則唯将所使。必有此六者,乃可折衝擒敵,輔主安民。前羌始反時,将帥以定令之群,籍富厚之蓄,拠列城而気利勢,権十万之衆,将勇傑之士,以誅草創新叛散乱之弱虜,撃自至之小寇,不能擒滅,輒為所敗。令遂雲烝起,合従連横,掃滌並源,内犯司隸,東寇趙魏,西鈔蜀漢,五州残破,六郡削跡,此非天之災,長吏過爾。
書き下し
孫子曰く、「将とは、智なり、仁なり、敬なり、信なり、勇なり、厳なり」と。是の故に智以て敵を折き、仁以て衆を附け、敬以て賢を招き、信以て賞を必し、勇以て気を益し、厳以て令を一にす。故に敵を折けば則ち能く変に合し、衆附き愛すれば則ち力戦を思い、賢智集まれば則ち陰謀得られ、賞罰必なれば則ち士力を尽くし、気勇益せば則ち兵勢自ずから倍し、威令一なれば則ち唯だ将の使う所のままなり。必ず此の六者有りて、乃ち衝を折き敵を擒にし、主を輔け民を安んず可し。前の羌の始めて反せし時、将帥は定令の群を以て、富厚の蓄に籍り、列城に拠りて気利勢あり、十万の衆を権り、勇傑の士を将い、以て草創新叛散乱の弱虜を誅し、自ら至るの小寇を撃つに、擒滅する能わず、輒ち敗る所と為る。令遂に雲のごとく烝起し、合従連横し、並源を掃滌し、内は司隸を犯し、東は趙魏を寇し、西は蜀漢を鈔し、五州残破し、六郡跡を削る、此れ天の災に非ず、長吏の過ちのみ。
現代語訳
孫子は言います。「将とは、智・仁・敬・信・勇・厳である。」そこで智によって敵を打ち破り、仁によって衆を従え、敬によって賢者を招き、信によって賞を必ず与え、勇によって気勢を増し、厳によって令を一つにします。敵を打ち破れば変化に対応でき、衆が慕えば力戦を思い、賢者や智者が集まれば謀がうまくゆき、賞罰が確かなら士は力を尽くし、気勢が増せば兵の勢いはおのずと倍になり、威令が一つなら将の思いのままに動きます。この六つがあってはじめて、敵の要衝を砕き敵を捕らえ、君主を助けて民を安んじることができます。さきに羌が初めて反したとき、将帥は定まった令を持つ軍勢を率い、豊かな蓄えに頼り、城々に拠って勢いに乗じ、十万の衆を掌握し、勇傑の士を率いて、起こったばかりの散り乱れた弱い賊を誅し、自分から来た小さな寇を撃ちましたが、捕らえて滅ぼすことができず、かえって敗れました。そのため賊は雲のように湧き上がり、合従連横し、並州・涼州一帯を掃き、内は司隸を犯し、東は趙・魏を襲い、西は蜀・漢を掠め、五州が破壊され、六郡は跡形もなくなりました。これは天の災いではなく、長吏の過ちです。
解説
この章句が説くこと
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