潜夫論 / 三式
高祖定漢,與群臣約。自非劉氏不得王,非有武功不得侯。孝文皇帝始封外祖,因為典式,行之至今。孝武皇帝封爵丞相,以褒有德,後亦承之,建武乃絕。傳記所載,稷、卨、伯夷、皋陶、伯翳,日受封土。周宣王時,輔相大臣,以德佐治,亦獲有國。故尹吉甫作《封》《頌》二篇,其詩曰:「亹申伯,王纘之事,於邑於謝,南國於是式。」又曰:「四牡彭彭,八鸞鏘鏘,王命仲山甫,城彼東方。」此言申伯、山甫文德致升平,而王封以樂土,賜以盛服也。《易》曰:「鼎折足,覆公餗,其刑渥凶。」此言公不勝任,則有渥刑也。是故,三公在三載之後,宜明考績黜刺,簡練其材。其有稷、卨、伯夷、申伯、仲山甫致治之效者,封以列侯,令受南土八蠻之賜。其屍祿素餐,無進治之效,無忠善之言者,使從渥刑。是則所謂明德慎罰,而簡練能否之術也。誠如此,則三公競思其職而百寮爭竭其忠矣。
新字:高祖定漢,与群臣約。自非劉氏不得王,非有武功不得侯。孝文皇帝始封外祖,因為典式,行之至今。孝武皇帝封爵丞相,以褒有徳,後亦承之,建武乃絶。伝記所載,稷、卨、伯夷、皋陶、伯翳,日受封土。周宣王時,輔相大臣,以徳佐治,亦獲有国。故尹吉甫作《封》《頌》二篇,其詩曰:「亹申伯,王纘之事,於邑於謝,南国於是式。」又曰:「四牡彭彭,八鸞鏘鏘,王命仲山甫,城彼東方。」此言申伯、山甫文徳致升平,而王封以楽土,賜以盛服也。《易》曰:「鼎折足,覆公餗,其刑渥凶。」此言公不勝任,則有渥刑也。是故,三公在三載之後,宜明考績黜刺,簡練其材。其有稷、卨、伯夷、申伯、仲山甫致治之効者,封以列侯,令受南土八蠻之賜。其屍禄素餐,無進治之効,無忠善之言者,使従渥刑。是則所謂明徳慎罰,而簡練能否之術也。誠如此,則三公競思其職而百寮争竭其忠矣。
書き下し
高祖漢を定め、群臣と約す。劉氏に非ざれば王たるを得ず、武功有るに非ざれば侯たるを得ず、と。孝文皇帝始めて外祖を封じ、因りて典式と為し、之を行うこと今に至る。孝武皇帝丞相を封爵し、以て有徳を褒め、後も亦た之を承け、建武にして乃ち絶ゆ。伝記の載する所、稷、卨、伯夷、皋陶、伯翳、日に封土を受く。周の宣王の時、輔相大臣、徳を以て治を佐け、亦た国を有つを獲たり。故に尹吉甫《封》《頌》二篇を作り、其の詩に曰く、「亹亹たる申伯、王之が事を纘がしめ、邑を謝に於てし、南国是に於て式る」と。又曰く、「四牡彭彭たり、八鸞鏘鏘たり、王仲山甫に命じ、彼の東方に城かしむ」と。此れ申伯、山甫の文徳升平を致し、而して王は封ずるに楽土を以てし、賜うに盛服を以てするを言うなり。《易》に曰く、「鼎足を折り、公の餗を覆す、其の刑は渥にして凶なり」と。此れ公任に勝えざれば、則ち渥刑有るを言うなり。是の故に、三公は三載の後に在りて、宜しく考績黜刺を明らかにし、其の材を簡練すべし。其れ稷、卨、伯夷、申伯、仲山甫の治を致すの効有る者は、封ずるに列侯を以てし、南土八蛮の賜を受けしむ。其の尸禄素餐にして、治を進むるの効無く、忠善の言無き者は、渥刑に従わしむ。是れ則ち所謂明徳慎罰にして、能否を簡練するの術なり。誠に此の如くんば、則ち三公は競いて其の職を思い、百寮は争いて其の忠を竭くさん。
現代語訳
高祖は漢を定めたとき、群臣と約束しました。劉氏でなければ王になれず、武功がなければ侯になれない、と。孝文皇帝が初めて母方の祖父を封じ、それが典式となり、今に至るまで行われています。孝武皇帝は丞相を封爵して徳ある者を称え、その後もこれを継ぎましたが、建武の代で途絶えました。伝記に載るところでは、稷、卨、伯夷、皋陶、伯翳は、それぞれ領地を受けました。周の宣王のとき、輔相の大臣は徳によって治を助け、国を持つことができました。そこで尹吉甫は《封》《頌》の二篇を作り、その詩に、「つとめ励む申伯、王はその仕事を継がせ、謝に邑を建て、南の国はこれを手本とする」とあります。また、「四頭の牡馬は盛んにいななき、八つの鸞鈴は鳴り響き、王は仲山甫に命じて、東方に城を築かせた」とあります。これは申伯と仲山甫が文徳によって太平を実現し、王が楽土を封じ、盛服を賜ったことを言っています。『易』に、「鼎の足が折れて、公の食事を覆す。その刑は重く凶である」とあります。これは公が任に堪えなければ、重い刑があることを言っています。そこで三公は、三年の後に、考績と黜陟を明らかにし、人材を選び鍛えるべきです。稷、卨、伯夷、申伯、仲山甫のように治を実現した功のある者は、列侯に封じ、南土八蛮の賜物を受けさせます。位に就いて禄を食むだけで、治を進める効果がなく、忠善の言もない者には、重刑を課します。これが、徳を明らかにし刑を慎み、能力の有無を選別する術です。もしこのようにすれば、三公は競ってその職を思い、百官は争ってその忠を尽くすでしょう。
解説
この章句が説くこと
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