潜夫論 / 述赦
王者至貴,與天通精,心有所想,意有所慮,未發聲色,天為變移。或若休咎庶征,月之從星,此乃宜有是事。故見瑞異,或戒人主,若忽不察,是乃己所感致,而反以為天意欲然,非直也。俗人又曰:「先世欲赦,常先遣馬,分行市裏,聽於路隅,咸雲當赦,以知天之教也,乃因施德。」若使此言也而信,則殆過矣。夫民之性,固好意度者也。見久陰則稱將水,見久陽則稱將旱,見小貴則言將饑,見小賤則言將穰,然或信或否。由此觀之,民之所言,未必天下,前世贖赦稀疏,民無覬覦。近時以來,赦贖稠數,故每春夏,輒望復赦。或抱罪之家,僥幸蒙恩,故宣此言,以自悅喜。誠令仁君聞此,以為天教而輒從之,誤莫甚焉。論者多曰:「久不赦則奸宄熾而吏不製,故赦贖以解之。」此乃招亂之本原,不察禍福之所生者之言也。
新字:王者至貴,与天通精,心有所想,意有所慮,未発声色,天為変移。或若休咎庶征,月之従星,此乃宜有是事。故見瑞異,或戒人主,若忽不察,是乃己所感致,而反以為天意欲然,非直也。俗人又曰:「先世欲赦,常先遣馬,分行市裏,聴於路隅,咸雲当赦,以知天之教也,乃因施徳。」若使此言也而信,則殆過矣。夫民之性,固好意度者也。見久陰則称将水,見久陽則称将旱,見小貴則言将饑,見小賤則言将穰,然或信或否。由此観之,民之所言,未必天下,前世贖赦稀疏,民無覬覦。近時以来,赦贖稠数,故毎春夏,輒望復赦。或抱罪之家,僥幸蒙恩,故宣此言,以自悦喜。誠令仁君聞此,以為天教而輒従之,誤莫甚焉。論者多曰:「久不赦則奸宄熾而吏不製,故赦贖以解之。」此乃招乱之本原,不察禍福之所生者之言也。
書き下し
王者は至貴にして、天と精を通じ、心に想う所有り、意に慮る所有れば、未だ声色に発せざるに、天は為に変移す。或いは休咎庶徴の若く、月の星に従うは、此れ乃ち宜しく是の事有るべし。故に瑞異を見るは、或いは人主を戒むるなり、若し忽せにして察せざれば、是れ乃ち己の感じ致す所にして、反って以て天意の然らんと欲すと為すは、直に非ざるなり。俗人又曰く、「先世赦さんと欲すれば、常に先ず馬を遣わし、市里に分行し、路隅に聴かしむ、咸な当に赦すべしと云えば、以て天の教えを知るなり、乃ち因りて徳を施す」と。若し此の言をして信ならしむれば、則ち殆ど過てり。夫れ民の性は、固より意度を好む者なり。久陰を見れば則ち将に水あらんと称し、久陽を見れば則ち将に旱あらんと称し、小貴を見れば則ち将に饑えんと言い、小賤を見れば則ち将に穣らんと言う、然れども或いは信なり或いは否なり。此に由りて之を観れば、民の言う所は、未だ必ずしも天下せず、前世は贖赦稀疏にして、民覬覦する無し。近時以来、赦贖稠数にして、故に春夏毎に、輒ち復た赦を望む。或いは罪を抱く家、僥倖に恩を蒙り、故に此の言を宣べ、以て自ら悦喜す。誠に仁君をして此れを聞き、以て天教と為して輒ち之に従わしめば、誤り焉より甚しきは莫し。論者多く曰く、「久しく赦さざれば則ち奸宄熾にして吏製せず、故に赦贖して以て之を解く」と。此れ乃ち乱を招く本原にして、禍福の生ずる所を察せざる者の言なり。
現代語訳
王者は最も貴い存在で、天と精気を通じ、心に思うこと、意に考えることがあれば、まだ声や顔色に出ないうちに、天はそのために変化すると言います。吉凶のさまざまな兆しは、月が星に従うように、起こるべくして起こるものです。ですから瑞祥や異変が現れるのは、あるいは君主を戒めるためなのですが、もしおろそかにして察しなければ、それは自らが招いたものなのに、かえって天意がそうさせたのだと考えることになり、これは正しくありません。俗人はまた言います。「昔の世では赦そうとするときは、いつも先に馬を遣わして町や里を巡らせ、道端で人々の声を聞かせた。みなが赦すべきだと言えば、それで天の教えを知り、徳を施した」と。この言葉を本当だとするなら、ほとんど誤りです。民の性質はもともと、あれこれ憶測するのを好みます。長雨を見れば洪水が来ると言い、長く晴れれば旱魃が来ると言い、物価が少し上がれば飢饉が来ると言い、少し下がれば豊作だと言いますが、当たることもあれば外れることもあります。これから見れば、民の言うことが必ずしも天からのものとは限りません。前の世は赦免や贖罪が少なく、民は期待しませんでした。近ごろは赦免や贖罪が頻繁なので、春夏のたびに、また赦を望みます。罪を抱えた家が、運よく恩を受けたので、こうした言葉を広めて自分を喜ばせることもあります。仁君がこれを聞いて天の教えだと思い、そのまま従うなら、これ以上の誤りはありません。論者の多くは、「長く赦さなければ悪人がはびこって役人が抑えられないので、赦して解きほぐすのだ」と言います。これは乱を招く根本であり、禍福の生じる所を見抜けない者の言葉です。
解説
この章句が説くこと
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