潜夫論 / 潛歎
昔紂好色,九侯聞之,乃獻厥女。紂則大喜,以為天下之麗莫若此也。以問妲己,妲己懼進禦而奪己愛也,乃偽俯而泣曰:「君王年即耆邪?明既衰邪?何貌惡之若此,而覆謂之好也?」紂於是渝而以為惡。妲己恐天下之愈進美女者,因白「九侯之不道也,乃欲以此惑君王也,王而弗誅,何以革後」?紂則大怒,遂脯厥女而烹九侯。自此之後,天下之有美女者,乃皆重室晝閉,唯恐紂之聞也。趙高專秦,將殺二世,乃先示權於眾,獻鹿於君,以為駿馬。二世占之曰鹿,高曰:「馬也。」二世收目獨視,曰:「丞相誤邪!此鹿也。」高終對以馬,問於朝臣,朝臣或助二世而非高,高因白二世,此皆阿主惑上,不忠莫大,乃盡殺之。自此之後,莫敢正諫,而高遂殺二世於望夷,竟以亡。
新字:昔紂好色,九侯聞之,乃献厥女。紂則大喜,以為天下之麗莫若此也。以問妲己,妲己懼進禦而奪己愛也,乃偽俯而泣曰:「君王年即耆邪?明既衰邪?何貌悪之若此,而覆謂之好也?」紂於是渝而以為悪。妲己恐天下之愈進美女者,因白「九侯之不道也,乃欲以此惑君王也,王而弗誅,何以革後」?紂則大怒,遂脯厥女而烹九侯。自此之後,天下之有美女者,乃皆重室昼閉,唯恐紂之聞也。趙高専秦,将殺二世,乃先示権於衆,献鹿於君,以為駿馬。二世占之曰鹿,高曰:「馬也。」二世収目独視,曰:「丞相誤邪!此鹿也。」高終対以馬,問於朝臣,朝臣或助二世而非高,高因白二世,此皆阿主惑上,不忠莫大,乃尽殺之。自此之後,莫敢正諫,而高遂殺二世於望夷,竟以亡。
書き下し
昔、紂は色を好み、九侯之を聞き、乃ち厥の女を献ず。紂は則ち大いに喜び、以て天下の麗は此に若くは莫しと為す。以て妲己に問う。妲己は進御して己の愛を奪わんことを懼れ、乃ち偽りて俯して泣きて曰く、「君王の年は即ち耆いたるか。明は既に衰えたるか。何ぞ貌の悪なること此の若くして、覆って之を好しと謂うや」と。紂は是に於いて渝りて以て悪と為す。妲己は天下の愈いよ美女を進むるを恐れ、因りて白す、「九侯の不道なる、乃ち此を以て君王を惑わさんと欲するなり。王にして誅せずんば、何を以て後を革めん」と。紂は則ち大いに怒り、遂に厥の女を脯にして九侯を烹る。此より後、天下の美女有る者は、乃ち皆な室を重ね昼に閉ざし、唯だ紂の聞かんことを恐る。趙高は秦に専らにし、二世を殺さんとして、乃ち先ず権を衆に示し、鹿を君に献じ、以て駿馬と為す。二世は之を占いて鹿と曰う。高曰く、「馬なり」と。二世は目を収めて独り視て、曰く、「丞相誤てり。此れ鹿なり」と。高は終に対うるに馬を以てし、朝臣に問う。朝臣或いは二世を助けて高を非とす。高は因りて二世に白す、「此れ皆な主に阿り上を惑わす。不忠莫大なり」と。乃ち尽く之を殺す。此より後、敢えて正諫する莫く、而して高は遂に二世を望夷に殺し、竟に以て亡ぶ。
現代語訳
昔、紂は女色を好み、九侯はそれを聞いて自分の娘を献上しました。紂は大いに喜び、天下の美しさでこれに及ぶものはないと思いました。そこで妲己に尋ねました。妲己は、その娘が君のそばに仕えて自分の寵愛を奪うことを恐れ、偽ってうつむいて泣き、「君王はお年を召されたのですか。目が衰えたのですか。どうしてこのように顔の悪い人を、かえって美しいとおっしゃるのですか」と言いました。紂はそこで考えを改め、醜いと思いました。妲己は天下がますます美女を献上することを恐れ、さらに申しあげました。「九侯は道に外れています。このようにして君王を惑わそうとしています。王が誅さなければ、どうして後の者を改めさせられましょう」と。紂は大いに怒り、とうとうその娘を干し肉にして九侯を煮殺しました。これ以後、天下で美女のいる家は、みな部屋を幾重にもして昼間も閉ざし、ただ紂に聞かれることを恐れました。趙高は秦で専横し、二世皇帝を殺そうとして、まず権力を人々に示すため、鹿を君に献上し、駿馬だと言いました。二世はそれを占い、鹿だと言いました。趙高は「馬です」と言いました。二世は目を凝らして一人で見つめ、「丞相が誤っている。これは鹿だ」と言いました。趙高は最後まで馬だと答え、朝臣に尋ねました。朝臣のなかには二世を助けて趙高を非とする者がいました。趙高はそこで二世に申しあげました。「この者たちはみな主君にへつらい、上を惑わしています。不忠これより大きいものはありません」と。そして彼らをすべて殺しました。これ以後、あえて正しく諫める者はなく、趙高はついに二世を望夷宮で殺し、秦はこうして滅びました。
解説
この章句が説くこと
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『晏子春秋』諫上・景公信用讒佞賞罰失中晏子諫景公讒佞を信用し、功無きを賞し、辜無きを罰す。晏子諫めて曰く、「臣聞く、明君は聖人を望みて其の教えを信じ、讒佞を聴きて以て誅賞するを聞かず、と。今、左右と相い説び頌えて曰く、『死者に比べて勉めて楽しみを為さんか、吾安んぞ能く仁を為して愈いよ民を黥するのみ』と。故に内に寵せらるる妾は、国に迫り奪い、外に寵せらるる臣は、鄙に矯り奪い、法を執る吏は、並びに百姓に荷う。民は愁苦約病して、奸は驅り尤いよ佚え、情を隠し悪を奄い、其の上を蔽い諂う、故に至聖大賢有りと雖も、豈に能く若き讒に勝たんや。是を以て忠臣の常に災傷有るなり。臣聞く、古の士は、与に之を得可く、与に之を失う可からず、与に之を進む可く、与に之を退く可からず、と。臣請う之を逃れん」と。遂に馬に鞭ちて出ず。公韓子休をして追わしめて曰く、「孤不仁にして、教えに順う能わず、以て此の極みに至る。夫子休国は焉くにか往かん。寡人将に従いて後あらんとす」と。晏子遂に馬に鞭ちて返る。其の僕曰く、「向の去ること何ぞ速かなる。今の返ること又何ぞ速かなる」と。晏子曰く、「子の知る所に非ず、公の言至れり」と。
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史記 李斯列伝丞相の長男李由は三川の守為り。楚の盗陳勝等は皆丞相の傍県の子なり。故を以て楚の盗公行し、三川を過ぐるも、城守りて撃つを肯ぜず。高聞く、其の文書相往来すと。未だ其の審らかなるを得ず。故に未だ敢て以て聞せず。且つ丞相は外に居りて、権は陛下より重し」と。二世以て然りと為す。丞相を案ぜんと欲するも、其の審らかならざるを恐れ、乃ち人をして三川の守の盗と通ずる状を案験せしむ。李斯之を聞く。是の時二世甘泉に在り、方に觳抵優俳の観を作す。李斯見ゆるを得ず、因りて書を上りて趙高の短を言ひて曰く、「臣之を聞く、臣其の君を疑へば、国を危ふくせざる無し。妾其の夫を疑へば、家を危ふくせざる無しと。今大臣有りて陛下に於て利を擅にし害を擅にし、陛下と異なる無し。此れ甚だ便ならず。昔者司城子罕宋に相たり、身づから刑罰を行ひ、威を以て之を行ふ。朞年にして遂に其の君を劫かす。田常は簡公の臣と為り、爵列国に敵無く、私家の富は公家と均し。恵を布き徳を施し、下は百姓を得、上は群臣を得、陰かに斉国を取り、宰予を庭に殺し、即ち簡公を朝に弑し、遂に斉国を有つ。此れ天下の明らかに知る所なり。今高は邪佚の志、危反の行ひ有ること、子罕の宋に相たるが如きなり。私家の富は、田氏の斉に於けるが若きなり。田常・子罕の逆道を兼ね行ひて陛下の威信を劫かす。其の志は韓玘の韓安の相と為るが若きなり。陛下図らずんば、臣其の変を為さんことを恐る」と。二世曰く、「何ぞや。夫れ高は、故の宦人なり。然れども安きを為して志を肆にせず、危ふきを以て心を易へず、行ひを潔くし善を修め、自ら此に至らしむ。忠を以て進むを得、信を以て位を守る。朕実に之を賢とす。而るに君之を疑ふは、何ぞや。且つ朕少くして先人を失ひ、識知する所無く、民を治むるに習はず。而して君又老い、恐らくは天下と絶えん。朕趙君に属せずんば、当に誰にか任ずべき。
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『晏子春秋』外篇上・景公問治國之患晏子,對以佞人讒夫在君側景公晏子に問うて曰く、「国を治むるの患い、亦常有るか」と。対えて曰く、「佞人讒夫の君が側に在る者、良臣を好悪して、行いを小人に与う。此れ国を治むるの常の患いなり」と。公曰く、「讒佞の人は、則ち誠に不善なり。然りと雖も、則ち奚ぞ曾ち国の常の患いと為さんや」と。晏子曰く、「君以て耳目と為して好んで事を謀らば、則ち是れ君の耳目繆れるなり。夫れ上は君の耳目を乱し、下は群臣をして皆其の職を失わしむ。豈に誠に患うるに足らざらんや」と。公曰く、「是くの如きか。寡人将に之を去らんとす」と。晏子曰く、「公は去ること能わざるなり」と。公忿然として色を作して説ばず、曰く、「夫子何ぞ寡人を少んずることの甚だしき」と。対えて曰く、「臣何ぞ敢えて撟らんや。夫れ能く自ら君に周き者は、才能皆常に非ず。夫れ大不誠を中に蔵する者は、必ず小誠を外に謹み、以て其の大不誠を成す。入りては則ち君の嗜欲を求めて能く之に順い、君良臣を怨めば、則ち其の往失を具えて之を益す。出でては則ち威を行いて以て富を取る。夫れ何ぞ密近にして、大利に変ぜられず、務めて君と義を至くする者は、此れ見難く且つ知り難きなり」と。公曰く、「然らば則ち先聖は奈何せん」と。
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史記 滑稽列伝左右の群臣の事に習ひ経術に通ずる者に問ふも、能く知る莫し。詔して東方朔をして之を視しむ。朔曰く、「臣之を知る。願はくは美酒粱飯を賜ひて大いに臣に飱せしめよ。臣乃ち言はん」と。詔して曰く、「可なり」と。已にして又曰く、「某所に公田・魚池・蒲葦数頃有り。陛下以て臣に賜はば、臣朔乃ち言はん」と。詔して曰く、「可なり」と。是に於いて朔乃ち肯へて言ひて曰く、「所謂騶牙なる者なり。遠方当に来たりて義に帰すべくして、騶牙先づ見る。其の歯は前後一の若く、斉等にして牙無し。故に之を騶牙と謂ふ」と。其の後一歳所にして、匈奴の混邪王果たして十万の衆を将ゐて来たりて漢に降る。乃ち復た東方生に銭財を賜ふこと甚だ多し。老に至り、朔且に死せんとする時、諫めて曰く、「詩に云ふ、『営営たる青蠅、蕃に止まる。愷悌の君子、讒言を信ずる無かれ。讒言極まり罔く、交々四国を乱す』と。願はくは陛下巧佞を遠ざけ、讒言を退けよ」と。帝曰く、「今顧みるに東方朔多く善言するか」と。之を怪しむ。居ること幾何も無く、朔果たして病みて死す。伝に曰く、「鳥の将に死なんとするや、其の鳴くや哀し。人の将に死なんとするや、其の言ふや善し」と。此の謂ひなり。武帝の時、大将軍衛青なる者は衛后の兄なり。封ぜられて長平侯と為る。軍に従ひて匈奴を撃ち、余吾水の上に至りて還る。斬首捕虜し、功有りて来たり帰る。詔して金千斤を賜ふ。将軍宮門を出づるに、斉人東郭先生、方士を以て公車に待詔し、道に当たりて衛将軍の車を遮り、拝謁して曰く、「願はくは事を白さん」と。将軍車を前に止む。東郭先生、車に旁(そ)ひて言ひて曰く、「王夫人新たに上に幸を得たるも、家貧し。今将軍金千斤を得たり。誠に其の半ばを以て王夫人の親に賜はば、人主之を聞きて必ず喜ばん。此れ所謂奇策便計なり」と。衛将軍之に謝して曰く、「先生幸ひに之に告ぐるに便計を以てす。請ふ、教へを奉ぜん」と。是に於いて衛将軍乃ち五百金を以て王夫人の親の寿と為す。王夫人以て武帝に聞す。帝曰く、「大将軍は此を為すを知らず」と。
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