潜夫論 / 遏利
非違帝也,非違天也,帝以天為製,天以民為心,民之所欲,天必從之。是故無功庸於民而求盈者,未嘗不力顛也。有勳德於民而謙損者,未嘗不光榮也。
新字:非違帝也,非違天也,帝以天為製,天以民為心,民之所欲,天必従之。是故無功庸於民而求盈者,未嘗不力顛也。有勲徳於民而謙損者,未嘗不光栄也。
書き下し
帝に違うに非ず、天に違うに非ず、帝は天を以て制と為し、天は民を以て心と為す、民の欲する所は、天必ず之に従う。是の故に民に功庸無くして盈つるを求むる者は、未だ嘗て力顛せずんばあらず。民に勳徳有りて謙損する者は、未だ嘗て光栄ならずんばあらず。
現代語訳
帝に背くのでも、天に背くのでもありません。帝は天を規準とし、天は民を心とします。民の望むところには、天が必ず従います。ですから民への功績や貢献がないのに満ち足りようとする者は、力尽きて倒れなかった者はおらず、民に勲功と徳があって謙虚に身を減らす者は、栄えなかった者はいません。
解説
前段に続き、天と帝と民の関係から、富貴と謙虚の帰結を述べる短い段です。王符は、帝は天を規準とし、天は民の心を心とするとして、民の望みを権威の根拠に置きます。功績がないのに満ちようとする者は倒れ、功徳があって謙虚な者は栄える、という因果は、盈ちるを避ける《易》の発想とも重なります。後漢の外戚や宦官が権勢を得た状況への批判も、背景にあるのでしょう。現代の組織でいえば、権限の根拠は上からの任命だけでなく、現場や顧客の支持にもあるという見方に当たります。支持なき地位は長続きせず、貢献を重ねて謙虚でいる人が信頼を得る、という経験則に通じます。
この章句が説くこと
遏利民心謙損功績天命潜夫論
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