潜夫論 / 讚學
是故工欲善其事,必先利其器。王欲宣其義,必先讀其書。《易》曰:「君子以多識前言往行,以畜其德。」是以人之有學也,猶物之有治也。故夏后之璜,楚和之璧,雖有玉璞卞和之資,不琢不錯,不離礫石。夫瑚簋之器,朝祭之服,其始也乃山野之木、蠶繭之絲耳。使巧倕加繩墨而制之以斤斧,女工加五色而制之以機杼,則皆成宗廟之器,黼黻之章,可著於鬼神,可御於王公。而況君子敦貞之質,察敏之才,攝之以良朋,教之以明師,文之以《禮》、《樂》,導之以《詩》、《書》,讚之以《周易》,明之以《春秋》,其不有濟乎?《詩》云:「題彼鶺鴒,載飛載鳴。我日斯邁,而月斯征。夙興夜寐,無忝爾所生。」是以君子終日乾乾進德修業者,非直為博己而已也,蓋乃思述祖考之令問,而以顯父母也。
新字:是故工欲善其事,必先利其器。王欲宣其義,必先読其書。《易》曰:「君子以多識前言往行,以畜其徳。」是以人之有学也,猶物之有治也。故夏后之璜,楚和之璧,雖有玉璞卞和之資,不琢不錯,不離礫石。夫瑚簋之器,朝祭之服,其始也乃山野之木、蠶繭之糸耳。使巧倕加縄墨而制之以斤斧,女工加五色而制之以機杼,則皆成宗廟之器,黼黻之章,可著於鬼神,可御於王公。而況君子敦貞之質,察敏之才,摂之以良朋,教之以明師,文之以《礼》、《楽》,導之以《詩》、《書》,讃之以《周易》,明之以《春秋》,其不有済乎?《詩》云:「題彼鶺鴒,載飛載鳴。我日斯邁,而月斯征。夙興夜寐,無忝爾所生。」是以君子終日乾乾進徳修業者,非直為博己而已也,蓋乃思述祖考之令問,而以顕父母也。
書き下し
是の故に工は其の事を善くせんと欲すれば、必ず先ず其の器を利くす。王は其の義を宣べんと欲すれば、必ず先ず其の書を読む。《易》に曰く、「君子は以て前言往行を多く識り、以て其の徳を畜う」と。是を以て人の学有るや、猶お物の治有るがごときなり。故に夏后の璜、楚和の璧、玉璞卞和の資有りと雖も、琢かず錯かざれば、礫石を離れず。夫れ瑚簋の器、朝祭の服は、其の始めや乃ち山野の木、蚕繭の糸のみ。巧倕をして繩墨を加え之を制するに斤斧を以てし、女工をして五色を加え之を制するに機杼を以てせしむれば、則ち皆宗廟の器、黼黻の章と成り、鬼神に著すべく、王公に御すべし。而るを況んや君子の敦貞の質、察敏の才、之を摂むるに良朋を以てし、之に教うるに明師を以てし、之を文るに《礼》《楽》を以てし、之を導くに《詩》《書》を以てし、之を讃くるに《周易》を以てし、之を明らかにするに《春秋》を以てせば、其れ済すこと有らざらんや。《詩》に云う、「彼の鶺鴒を題れば、載ち飛び載ち鳴く。我日に斯に邁き、而月に斯に征く。夙に興き夜に寐ね、爾が所生を忝むること無かれ」と。是を以て君子の終日乾乾として徳に進み業を修むるは、直に己を博くするが為のみに非ざるなり、蓋し乃ち祖考の令問を述べんことを思いて、以て父母を顕かにするなり。
現代語訳
職人が仕事をうまくやろうと思えば、まず道具を研ぎます。王が義を広めようと思えば、まず書物を読みます。《易》には「君子は昔の人の言葉や行いを多く知って、自分の徳を養う」とあります。人にとって学問があることは、物に加工を施すことに似ています。夏后氏の璜や楚の和氏の璧も、玉の原石の質を持ってはいても、刻み磨かなければ石ころから離れられません。祭器の瑚簋や朝廷祭祀の礼服も、もとは山野の木や蚕の繭の糸にすぎません。名工の倕が墨縄を当てて斧で整え、女工が五色を加えて機で織れば、宗廟の器や黼黻の礼服となり、鬼神にも捧げ、王公にも用いられます。まして君子の厚く正しい資質と鋭い才を、良き友で引き締め、明師で教え、《礼》《楽》で飾り、《詩》《書》で導き、《周易》で助け、《春秋》で明らかにすれば、成就しないはずがありません。《詩》にはこうあります。「鶺鴒が飛びながら鳴く。私は日々進み、月々歩む。朝早く起き夜遅く寝て、生んでくれた親を辱めまいぞ」。ですから君子が一日中つとめて徳に進み、学業を修めるのは、ただ自分を豊かにするためだけではなく、祖先の名声を受け継ぎ、父母の名を高めようと思うからなのです。
解説
この章句が説くこと
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『潜夫論』讚學是の故に造父は疾く趨るも、百歩にして廃れ、輿に託すれば、坐して千里を致す。水師は軸を泛かぶるも、維を解けば則ち溺れ、自ら舟楫に託すれば、坐して江河を済る。是の故に君子は、性は世に絶するに非ず、善く自ら物に託するなり。人の情性は、未だ相い百ならず、而るに其の明智は相い万なる有り。此れ其の真性の材に非ざるなり、必ず仮りて以て之を致す有るなり。君子の性は、未だ必ずしも尽くは照らさざるも、学に及べば、聡明蔽う無く、心智滞る無く、前は帝王を紀し、顧みては百世を定む。此れ則ち道の明なり、而るに君子能く之を仮りて以て自ら彰かにするのみ。夫れ是の故に道の心に於けるや、猶お火の人の目に於けるがごとし。中穽の深室は、幽黒にして見る無し、盛燭を設くるに及べば、則ち百物彰かなり。此れ則ち火の燿きなり、目の光に非ず、而るに目之を仮れば、則ち明と為る。天地の道、神明の為は、見るべからざるなり。聖典を学問し、道術を心思すれば、則ち皆来り覩る。此れ則ち道の材なり、心の明に非ず、而るに人之を仮れば、則ち己の知と為る。
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『潜夫論』讚學是の故に物を夜室に索むる者は、火より良きは莫し。道を当世に索むる者は、典より良きは莫し。典とは、経なり、先聖の制する所なり。先聖は道の精を得る者にして、以て其の身を行い、賢人の自ら勉めて道に入らんことを欲す。故に聖人の経を制して以て後賢に遺すは、譬えば猶お巧倕の規矩準縄を為りて以て後工に遺すがごとし。昔倕の巧は、目に円方を茂くし、心に平直を定め、又規縄矩墨を造りて、以て後人を誨う。試みに奚仲・公班の徒をして、此の四度を釈て、倕に倣いて自ら制せしむれば、必ず能わざるなり。凡工妄匠も、規を執り矩を秉り、準を錯き縄を引けば、則ち巧は倕に同じ。是れ倕は心を以て来りて規矩を制し、後工は規矩を以て往きて倕の心に合す、故に度の工は、倕に幾し。先聖の智は、心神明に達し、性道徳に直く、又経典を造りて以て後人に遺す。試みに賢人君子をして学問を釈て、質を抱きて行わしむれば、必ず具わらざるなり。師に従い学に就き、経に按じて行わしむるに及べば、聡達の明、徳義の理も亦た庶からん。是の故に聖人は其の心を以て来りて経典を造り、後人は経典を以て往きて聖心に合す、故に経を修むるの賢は、徳聖に近し。《詩》に云う、「高山は仰ぎ、景行は行く」「日に就り月に将み、学は光明に緝熙する有り」と。是の故に凡そ勳績を顕し光烈を揚げんと欲する者は、学より良きは莫し。
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『潜夫論』讚學夫れ道は学に成りて書に蔵せられ、学は振うに進みて窮するに廃す。是の故に董仲舒は終身家事を問わず、景君明は経年戸庭を出でず、鋭く其の学に精しくして、其の業を顕昭するを得たるは、家富めばなり。富佚なること彼の若くにして、能く勤精なること此の若き者は、材子なり。倪寛は力を都巷に売り、匡衡は自ら保徒に鬻ぐ者は、身貧しければなり。貧阨なること彼の若くにして、能く学に進むこと此の若き者は、秀士なり。当世の学士は恒に万を以て計うるに、塗を究むる者は数十も無し。其の故は何ぞや。其の富める者は則ち賄を以て精を玷し、貧しき者は則ち乏しきを以て計を易え、或いは喪乱を以て其の年歳を朞う。此れ其の初めに逮びて功を喪い、其の童蒙に及ぶ所以の者なり。是の故に董・景の才、倪・匡の志無くして、強いて家を捐て身を出だし日を師門に曠しくせんと欲する者は、必ず幾ばくも無からん。夫れ此の四子は、耳目聡明、忠信廉勇にして、未だ必ずしも儔無きに非ざるなり。而るに其の名を成し績を立つるに及び、徳音令問已まず、然る所以有るは、夫れ何の故ぞや。徒だ其の能く自ら先聖の典経に託し、心を夫子の遺訓に結ぶを以てのみ。
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『潜夫論』讚學天地の貴ぶ所の者は、人なり。聖人の尚ぶ所の者は、義なり。徳義の成る所の者は、智なり。明智の求むる所の者は、学問なり。至聖有りと雖も、生まれながらにして智ならず。至材有りと雖も、生まれながらにして能ならず。故に《志》に曰く、「黄帝は風后を師とし、顓頊は老彭を師とし、帝嚳は祝融を師とし、堯は務成を師とし、舜は紀后を師とし、禹は墨如を師とし、湯は伊尹を師とし、文・武は姜尚を師とし、周公は庶秀を師とし、孔子は老聃を師とす」と。此の若く之を言いて信ならば、則ち人は師に就かざるべからず。夫れ此の十一君は、皆上聖なり。猶お学問を待ちて、其の智乃ち博く、其の徳乃ち碩いなり。而るを況んや凡人に於いてをや。
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抱朴子外篇・勖學夫れ学ばずして知を求むるは、猶お魚を願いて網無きがごとし、心は勤むと雖も獲る無し。広博にして以て理を窮むるは、猶お風を須ちて托するがごとし、体は労せずして遠きを致す。粉黛至れば則ち西施は以て麗しさを加え、而して宿瘤は醜を蔵す。経術深ければ則ち高才の者は洞達し、鹵鈍の者は醒悟す。文梓は雲を幹ぐも台榭と名づく可からざるは、未だ班輸の結構を加えざればなり。天然爽朗なるも君子と謂う可からざるは、大倫の臧否を識らざればなり。千里を終朝に超えんと欲せば、必ず追影の足を仮り、洪波を凌ぎて遐く済らんと欲せば、必ず艘楫の器に因る。無外を見て堂を下らざらんと欲せば、必ず載籍に由り、淵微を測りて神を役せざらんと欲せば、必ず明師に得。故に朱緑は素糸を改むる所以、訓誨は蒙蔽を移す所以なり。玄雲を披きて大明を揚ぐれば、則ち万物其の状を隠す所無し。竹帛を舒べて古今を考うれば、則ち天地其の情を蔵す所無し。況んや鬼神をや、而るを況んや人事をや。泥涅は金玉に斉しく堅からしむ可く、曲木は之を攻めて繩墨に応ぜしむ可く、百獣は之に教うるに戦陣を以てす可く、畜牲は之に習わしむるに進退を以てす可く、沈鱗は之を動かすに声音を以てす可く、機石は之を感ぜしむるに精誠を以てす可し。又況んや五常を含みて最霊を稟くる者をや。
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説苑・建本周の召公年十九にして、正を見て冠す。冠すれば則ち以て方伯諸侯と為る可し。人の幼稚童蒙の時、師を求めて本を正すに非ずんば、以て身を立て性を全うする無し。夫れ幼き者は必ず愚にして、愚なる者は妄りに行う。愚なる者妄りに行えば、身を保つ能わず。孟子曰わく、人皆食を以て饑を愈やすを知りて、学を以て愚を愈やすを知る莫し、と。故に善材の幼き者は必ず学問に勤めて以て其の性を修む。今人誠に能く其の材を砥礪し、自ら其の神明を誠にし、物の応を睹、道の要を信じ、始卒の端を観、無外の境を覧、無方の内に逍遙し、塵埃の外に彷徉し、卓然として独立し、超然として世を絶す、此れ上聖の神を游ばす所なり。然れども晩世の人、能く閒居して心思し、琴を鼓し書を読み、上古を追観し、賢大夫を友とする莫し。学問講弁して日に以て自ら虞み、世事を疏遠にして利害を分明にし、得失を籌策して以て禍福を観、義を設け度を立てて以て法式と為す。本末を窮追し、事の情を究め、死して遺業有り、生きて栄名有り。此れ皆人材の能く建つる所なるも、然れども能く為す者莫きは、偸慢懈墮して暇日多きの故なり。是を以て本を失いて名無し。夫れ学は名を崇め身を立つるの本なり。儀状斉等にして貌を飾る者は好く、質性倫を同じくして学問する者は智なり。是の故に砥礪琢磨は金に非ずして、以て金を利す可し。詩書壁立は我に非ずして、以て心を厲ます可し。夫れ問訊の士、日夜興起し、中を厲まし知を益し、以て理を分別す。是の故に身を処すれば則ち全く、身を立つれば殆からず。士苟くも深く明らかに博く察するを欲して以て栄名を垂れんとするに、問訊の道を好まざれば、則ち是れ智の本を伐りて智の原を塞ぐなり。何を以て軀を立てんや。騏驥疾しと雖も、伯楽に遇わざれば千里に致らず。干将利しと雖も、人力に非ざれば自ら断つ能わず。烏号の弓良しと雖も、排檠を得ざれば自ら任う能わず。人才高しと雖も、学問に務めざれば聖に致る能わず。水積もりて川と成れば、則ち蛟龍焉に生ず。土積もりて山と成れば、則ち豫樟焉に生ず。学積もりて聖と成れば、則ち富貴尊顕焉に至る。千金の裘は一狐の皮に非ず。台廟の榱は一木の枝に非ず。先王の法は一士の智に非ず。故に曰わく、訊問は智の本、思慮は智の道なり、と。中庸に曰わく、「学を好むは智に近く、力めて行うは仁に近く、恥を知るは勇に近し」と。小を積みて大と能る者は、其れ惟だ仲尼か。学は情に反り性を治め才を尽くす所以なり。賢を親しみ問学するは、徳を長ずる所以なり。交わりを論じ友を合するは、相い致す所以なり。詩に云う、「切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如し」と、此を之れ謂うなり。
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