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潜夫論 / 讚學

天地之所貴者,人也。聖人之所尚者,義也。德義之所成者,智也。明智之所求者,學問也。雖有至聖,不生而智;雖有至材,不生而能。故《志》曰:「黃帝師風后,顓頊師老彭,帝嚳師祝融,堯師務成,舜師紀后,禹師墨如,湯師伊尹,文武師姜尚,周公師庶秀,孔子師老聃。」若此言之而信,則人不可以不就師矣。夫此十一君者,皆上聖也;猶待學問,其智乃博,其德乃碩,而況於凡人乎?

新字:天地之所貴者,人也。聖人之所尚者,義也。徳義之所成者,智也。明智之所求者,学問也。雖有至聖,不生而智;雖有至材,不生而能。故《志》曰:「黄帝師風后,顓頊師老彭,帝嚳師祝融,堯師務成,舜師紀后,禹師墨如,湯師伊尹,文武師姜尚,周公師庶秀,孔子師老聃。」若此言之而信,則人不可以不就師矣。夫此十一君者,皆上聖也;猶待学問,其智乃博,其徳乃碩,而況於凡人乎?

書き下し

天地の貴ぶ所の者は、人なり。聖人の尚ぶ所の者は、義なり。徳義の成る所の者は、智なり。明智の求むる所の者は、学問なり。至聖有りと雖も、生まれながらにして智ならず。至材有りと雖も、生まれながらにして能ならず。故に《志》に曰く、「黄帝は風后を師とし、顓頊は老彭を師とし、帝嚳は祝融を師とし、堯は務成を師とし、舜は紀后を師とし、禹は墨如を師とし、湯は伊尹を師とし、文・武は姜尚を師とし、周公は庶秀を師とし、孔子は老聃を師とす」と。此の若く之を言いて信ならば、則ち人は師に就かざるべからず。夫れ此の十一君は、皆上聖なり。猶お学問を待ちて、其の智乃ち博く、其の徳乃ち碩いなり。而るを況んや凡人に於いてをや。

現代語訳

天地の間で最も貴いものは人であり、聖人が最も重んじるものは義です。徳と義を成し遂げるのは智であり、明らかな智が求めるものは学問です。この上ない聖人であっても、生まれつき智があるわけではなく、この上ない才の持ち主でも、生まれつき能があるわけではありません。そこで《志》にはこうあります。「黄帝は風后を師とし、顓頊は老彭を師とし、帝嚳は祝融を師とし、堯は務成を師とし、舜は紀后を師とし、禹は墨如を師とし、湯は伊尹を師とし、文王・武王は姜尚を師とし、周公は庶秀を師とし、孔子は老聃を師とした」と。この話が本当ならば、人は師に就かずにはいられません。この十一人の君は、いずれも最上の聖人です。それでもなお学問によって、その智は広がり、その徳は大きくなったのですから、まして凡人はなおさらです。

解説

『潜夫論』の巻頭、讃学篇の冒頭です。王符はまず、人と義と智と学問を一本の鎖のようにつなぎ、智は生まれつきではなく学んで得るものだと言い切ります。その証拠に、黄帝から孔子まで十一人の聖人にも師がいたという《志》の言葉を引きます。出典の確かさは原文からは確かめられませんが、論の骨組みは、生まれの才より学ぶ姿勢を重く見る点にあります。後漢では門地や縁故が人の評価を左右しがちで、学問を第一に置く主張には批判の意味も含まれていたでしょう。現代の組織でも、実績のある経営者ほど師や助言者を持ち続けているかが問われます。管理職に昇れば学ぶ必要が減るという思い込みを、この段は静かに退けています。

この章句が説くこと

讃学学問師智就師潜夫論

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