説苑 / 建本
周召公年十九,見正而冠,冠則可以為方伯諸侯矣。人之幼稚童蒙之時,非求師正本,無以立身全性。夫幼者必愚,愚者妄行;愚者妄行,不能保身,孟子曰:人皆知以食愈饑,莫知以學愈愚,故善材之幼者必勤於學問以修其性。今人誠能砥礪其材,自誠其神明,睹物之應,信道之要,觀始卒之端,覽無外之境,逍遙乎無方之內,彷徉乎塵埃之外,卓然獨立,超然絕世,此上聖之所游神也。然晚世之人,莫能閒居心思,鼓琴讀書,追觀上古,友賢大夫;學問講辯日以自虞,疏遠世事分明利害,籌策得失,以觀禍福,設義立度,以為法式;窮追本末,究事之情,死有遺業,生有榮名;此皆人材之所能建也,然莫能為者,偷慢懈墮,多暇日之故也,是以失本而無名。夫學者,崇名立身之本也,儀狀齊等而飾貌者好,質性同倫而學問者智;是故砥礪琢磨非金也,而可以利金;詩書壁立,非我也,而可以厲心。夫問訊之士,日夜興起,厲中益知,以分別理,是故處身則全,立身不殆,士苟欲深明博察,以垂榮名,而不好問訊之道,則是伐智本而塞智原也,何以立軀也?騏驥雖疾,不遇伯樂,不致千里;干將雖利,非人力不能自斷焉;烏號之弓雖良,不得排檠,不能自任;人才雖高,不務學問,不能致聖。水積成川,則蛟龍生焉;土積成山,則豫樟生焉;學積成聖,則富貴尊顯至焉。千金之裘,非一狐之皮;台廟之榱,非一木之枝;先王之法,非一士之智也。故曰:訊問者智之本,思慮者智之道也。中庸曰:「好問近乎智,力行近乎仁,知恥近乎勇。」積小之能大者,其惟仲尼乎!學者所以反情治性盡才者也,親賢學問,所以長德也;論交合友,所以相致也。詩云:「如切如磋,如琢如磨」,此之謂也。
新字:周召公年十九,見正而冠,冠則可以為方伯諸侯矣。人之幼稚童蒙之時,非求師正本,無以立身全性。夫幼者必愚,愚者妄行;愚者妄行,不能保身,孟子曰:人皆知以食愈饑,莫知以学愈愚,故善材之幼者必勤於学問以修其性。今人誠能砥礪其材,自誠其神明,睹物之応,信道之要,観始卒之端,覧無外之境,逍遥乎無方之内,彷徉乎塵埃之外,卓然独立,超然絶世,此上聖之所游神也。然晩世之人,莫能閒居心思,鼓琴読書,追観上古,友賢大夫;学問講弁日以自虞,疏遠世事分明利害,籌策得失,以観禍福,設義立度,以為法式;窮追本末,究事之情,死有遺業,生有栄名;此皆人材之所能建也,然莫能為者,偸慢懈堕,多暇日之故也,是以失本而無名。夫学者,崇名立身之本也,儀状斉等而飾貌者好,質性同倫而学問者智;是故砥礪琢磨非金也,而可以利金;詩書壁立,非我也,而可以厲心。夫問訊之士,日夜興起,厲中益知,以分別理,是故処身則全,立身不殆,士苟欲深明博察,以垂栄名,而不好問訊之道,則是伐智本而塞智原也,何以立躯也?騏驥雖疾,不遇伯楽,不致千里;干将雖利,非人力不能自断焉;烏号之弓雖良,不得排檠,不能自任;人才雖高,不務学問,不能致聖。水積成川,則蛟竜生焉;土積成山,則予樟生焉;学積成聖,則富貴尊顕至焉。千金之裘,非一狐之皮;台廟之榱,非一木之枝;先王之法,非一士之智也。故曰:訊問者智之本,思慮者智之道也。中庸曰:「好問近乎智,力行近乎仁,知恥近乎勇。」積小之能大者,其惟仲尼乎!学者所以反情治性尽才者也,親賢学問,所以長徳也;論交合友,所以相致也。詩云:「如切如磋,如琢如磨」,此之謂也。
書き下し
周の召公年十九にして、正を見て冠す。冠すれば則ち以て方伯諸侯と為る可し。人の幼稚童蒙の時、師を求めて本を正すに非ずんば、以て身を立て性を全うする無し。夫れ幼き者は必ず愚にして、愚なる者は妄りに行う。愚なる者妄りに行えば、身を保つ能わず。孟子曰わく、人皆食を以て饑を愈やすを知りて、学を以て愚を愈やすを知る莫し、と。故に善材の幼き者は必ず学問に勤めて以て其の性を修む。今人誠に能く其の材を砥礪し、自ら其の神明を誠にし、物の応を睹、道の要を信じ、始卒の端を観、無外の境を覧、無方の内に逍遙し、塵埃の外に彷徉し、卓然として独立し、超然として世を絶す、此れ上聖の神を游ばす所なり。然れども晩世の人、能く閒居して心思し、琴を鼓し書を読み、上古を追観し、賢大夫を友とする莫し。学問講弁して日に以て自ら虞み、世事を疏遠にして利害を分明にし、得失を籌策して以て禍福を観、義を設け度を立てて以て法式と為す。本末を窮追し、事の情を究め、死して遺業有り、生きて栄名有り。此れ皆人材の能く建つる所なるも、然れども能く為す者莫きは、偸慢懈墮して暇日多きの故なり。是を以て本を失いて名無し。夫れ学は名を崇め身を立つるの本なり。儀状斉等にして貌を飾る者は好く、質性倫を同じくして学問する者は智なり。是の故に砥礪琢磨は金に非ずして、以て金を利す可し。詩書壁立は我に非ずして、以て心を厲ます可し。夫れ問訊の士、日夜興起し、中を厲まし知を益し、以て理を分別す。是の故に身を処すれば則ち全く、身を立つれば殆からず。士苟くも深く明らかに博く察するを欲して以て栄名を垂れんとするに、問訊の道を好まざれば、則ち是れ智の本を伐りて智の原を塞ぐなり。何を以て軀を立てんや。騏驥疾しと雖も、伯楽に遇わざれば千里に致らず。干将利しと雖も、人力に非ざれば自ら断つ能わず。烏号の弓良しと雖も、排檠を得ざれば自ら任う能わず。人才高しと雖も、学問に務めざれば聖に致る能わず。水積もりて川と成れば、則ち蛟龍焉に生ず。土積もりて山と成れば、則ち豫樟焉に生ず。学積もりて聖と成れば、則ち富貴尊顕焉に至る。千金の裘は一狐の皮に非ず。台廟の榱は一木の枝に非ず。先王の法は一士の智に非ず。故に曰わく、訊問は智の本、思慮は智の道なり、と。中庸に曰わく、「学を好むは智に近く、力めて行うは仁に近く、恥を知るは勇に近し」と。小を積みて大と能る者は、其れ惟だ仲尼か。学は情に反り性を治め才を尽くす所以なり。賢を親しみ問学するは、徳を長ずる所以なり。交わりを論じ友を合するは、相い致す所以なり。詩に云う、「切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如し」と、此を之れ謂うなり。
現代語訳
周の召公は十九歳で成人の正しい姿を身につけ冠を戴いた。冠をつければ諸侯の長ともなり得る。人が幼く未熟な時期に、師を求めて根本を正さなければ、身を立て天性を全うすることはできない。幼い者は必ず愚かで、愚かな者はみだりに行動し、身を保てない。孟子は「人は皆、食べ物で飢えを癒すことは知っているが、学問で愚かさを癒すことは知らない」と言った。だから優れた素質を持つ幼い者ほど、学問に励んでその性質を修めねばならない。今人が本当にその才能を磨き、自ら精神を誠にし、物事の呼応を見極め、道の要諦を信じ、物事の始終を観察し、限りない境地を眺め、俗塵の外に遊び、超然として世を超越できれば、これこそ最高の聖人が精神を遊ばせる境地である。しかし後世の人々は、静かに座して思索し、琴を弾き書を読み、上古を追想し、賢明な大夫を友とすることができない者が多い。真に学ぶ者は学問を論じ弁じて日々自らを慎み、世俗の事から距離を置いて利害を明らかにし、得失を計算して禍福を見通し、道義を打ち立てて法則とする。本末を窮め尽くし、物事の実情を究め、死しては業績を残し、生きては栄誉ある名を得る。これらはすべて人材が成し遂げられることであるが、それができないのは怠け怠り、暇な日を多く過ごすからである。それゆえ根本を失い名も残らない。そもそも学問こそ、名を高め身を立てる根本である。容姿を整え飾る者は見た目が良く、素質は同じでも学問をする者は智恵者となる。だから砥石や磨きは金属そのものではないが金属を鋭くすることができる。詩経や書経の教えは自分自身ではないが心を奮い立たせることができる。学問を問い尋ねる士は日夜奮起し、内面を磨き知恵を増し、物事の道理を分別する。だからこそ身を処せば全うでき、身を立てれば危うくない。士がもし深く明らかに広く物事を察し栄えある名を後世に残そうとしながら、問い学ぶ道を好まなければ、それは智恵の根本を切り倒し智恵の源を塞ぐことである。それで何によって身を立てられようか。名馬の騏驥も足が速くとも伯楽に出会わなければ千里を走り抜くことはできない。名剣の干将も鋭くとも人の力なくしては自ら物を断つことはできない。烏号の弓が良くとも弓台に張られなければ自らその役目を果たせない。人の才能が高くとも学問に努めなければ聖の域に至ることはできない。水が積もって川となれば蛟龍がそこに生まれ、土が積もって山となれば大木がそこに生まれ、学問が積もって聖人となれば富貴と尊顕がそこに至る。千金の毛皮衣は一匹の狐の皮では作れず、殿堂の垂木は一本の木の枝では組めず、先王の法は一人の士の智恵だけでは成らない。だから言う、問い尋ねることは智恵の根本、思慮することは智恵の道であると。中庸に言う、「学問を好むことは智に近く、努めて行うことは仁に近く、恥を知ることは勇に近い」と。小さな積み重ねで偉大になった者といえば、それは孔子だけであろう。学問は感情を本性に立ち返らせ、天性を修め才能を尽くすためのものである。賢者に親しみ問い学ぶのは徳を伸ばすためであり、交友を論じ友を選ぶのは互いに高め合うためである。詩経に「切るがごとく磋るがごとく、琢つがごとく磨くがごとし」とあるのは、まさにこのことを言うのである。
解説

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