韓非子 / 主道第五
故虚静以待,令名自命也,令事自定也。虚則知實之情,靜則知動者正。
新字:故虚静以待,令名自命也,令事自定也。虚則知実之情,静則知動者正。
書き下し
虚なれば則ち實の情を知り、静なれば則ち動の正を知る。
現代語訳
君主の心が無(虚)であれば臣下の実情を知ることができ、静か(静)であれば臣下の行動の正しさを知ることができる。
解説
「心を空にしていれば物事のありのままの実情を知ることができ、心を静かに保っていれば人の行いが正しいかどうかを見極めることができる」という教えです。あらかじめ『こうであってほしい』という思い込みを抱いたまま人を見ると、その思い込みに沿った部分だけが目に入り、都合の悪い実情を見落としてしまいます。人の上に立つ人が先入観や好き嫌いをいったん脇に置き、静かで落ち着いた心で物事を眺めることで、現場で本当に起きていることや、その人の行いが正しいのかどうかを、ようやく正確に見極められるようになります。これは職場での部下の見方だけでなく、子どもの言い分を頭ごなしに決めつけず、まず静かに聞く親の姿勢にも通じます。
この章句が説くこと
客観的視点情報収集実態把握冷静な判断
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