省諐録 / 第45条
予礮卦之著。不但有益於武學生徒。兼有裨於國家武備。往日官阻其鐫版。吾不知其何意。
新字:予礮卦之著。不但有益於武学生徒。兼有裨於国家武備。往日官阻其鐫版。吾不知其何意。
書き下し
予が礮卦の著は、但だに武学の生徒に益有るのみならず、兼ねて国家の武備に裨有り。往日官其の鐫版を阻む、吾其の何の意なるかを知らず。
現代語訳
私が著した『礮卦』は、武学を学ぶ生徒に役立つだけでなく、国家の武備にも補いとなります。先日、役所はその版木を彫って刊行することを阻みました。私にはそれがどういう意図なのか分かりません。
解説
自著の刊行を役所に止められた不満を、短く記した条です。象山は、この書が学ぶ者の役に立つだけでなく、国の軍備にも益すると考えており、止められた理由は分からないと書きます。「何の意か分からない」という言い方に、理由の説明がないまま止められた戸惑いがにじみます。本文からは、止めた側の事情までは読み取れません。現代でも、現場で役に立つと確信している提案や資料が、理由の説明なく差し止められることがあります。そのとき上の立場は止める理由を言葉にして伝えているか、提案する側は益が誰にどう及ぶかを先に示せているか、双方の点検につながる一条です。
この章句が説くこと
礮卦刊行差し止め武備説明責任省諐録
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