史記 / 韓信盧綰列伝
漢使樊噲擊斬豨。其裨將降,言燕王綰使范齊通計謀於豨所。高祖使使召盧綰,綰稱病。上又使辟陽侯審食其、御史大夫趙堯往迎燕王,因驗問左右。綰愈恐,閉匿,謂其幸臣曰:「非劉氏而王,獨我與長沙耳。往年春,漢族淮陰,夏,誅彭越,皆呂后計。今上病,屬任呂后。呂后婦人,專欲以事誅異姓王者及大功臣。」乃遂稱病不行。其左右皆亡匿。語頗泄,辟陽侯聞之,歸具報上,上益怒。又得匈奴降者,降者言張勝亡在匈奴,為燕使。於是上曰:「盧綰果反矣!」使樊噲擊燕。燕王綰悉將其宮人家屬騎數千居長城下,侯伺,幸上病愈,自入謝。四月,高祖崩,盧綰遂將其眾亡入匈奴,匈奴以為東胡盧王。綰為蠻夷所侵奪,常思復歸。居歲餘,死胡中。
新字:漢使樊噲撃斬豨。其裨将降,言燕王綰使范斉通計謀於豨所。高祖使使召盧綰,綰称病。上又使辟陽侯審食其、御史大夫趙堯往迎燕王,因験問左右。綰愈恐,閉匿,謂其幸臣曰:「非劉氏而王,独我与長沙耳。往年春,漢族淮陰,夏,誅彭越,皆呂后計。今上病,属任呂后。呂后婦人,専欲以事誅異姓王者及大功臣。」乃遂称病不行。其左右皆亡匿。語頗泄,辟陽侯聞之,帰具報上,上益怒。又得匈奴降者,降者言張勝亡在匈奴,為燕使。於是上曰:「盧綰果反矣!」使樊噲撃燕。燕王綰悉将其宮人家属騎数千居長城下,侯伺,幸上病愈,自入謝。四月,高祖崩,盧綰遂将其衆亡入匈奴,匈奴以為東胡盧王。綰為蠻夷所侵奪,常思復帰。居歳余,死胡中。
書き下し
漢樊噲をして豨を撃ちて斬らしむ。其の裨将降り、燕王綰の范斉をして計謀を豨の所に通ぜしむと言ふ。高祖使を使はして盧綰を召すも、綰病と称す。上又辟陽侯審食其(しんいき)・御史大夫趙堯をして往きて燕王を迎へしめ、因りて左右を験問せしむ。綰愈恐れ、閉匿し、其の幸臣に謂ひて曰く、「劉氏に非ずして王たるは、独り我と長沙とのみ。往年の春、漢淮陰を族し、夏、彭越を誅す、皆呂后の計なり。今上病み、呂后に属任す。呂后は婦人にして、専ら事を以て異姓の王者及び大功臣を誅せんと欲す」と。乃ち遂に病と称して行かず。其の左右皆亡匿す。語頗る泄れ、辟陽侯之を聞き、帰りて具に上に報ず。上益怒る。又匈奴の降者を得、降者張勝の亡げて匈奴に在り、燕の使と為ると言ふ。是に於て上曰く、「盧綰果して反せり」と。樊噲をして燕を撃たしむ。燕王綰悉く其の宮人・家属・騎数千を将ゐて長城の下に居り、侯伺し、上の病愈えなば、自ら入りて謝せんことを幸ふ。四月、高祖崩じ、盧綰遂に其の衆を将ゐて亡げて匈奴に入る。匈奴以て東胡の盧王と為す。綰蛮夷の侵奪する所と為り、常に復た帰らんことを思ふ。居ること歳余にして、胡中に死す。
現代語訳
漢は樊噲に陳豨を攻めさせて斬った。陳豨の副将が降伏し、燕王盧綰が范斉を使って陳豨のもとに計略を通じていたと証言した。高祖は使者を送って盧綰を呼び寄せたが、盧綰は病気と称して来なかった。高祖はさらに辟陽侯審食其と御史大夫の趙堯を遣わして燕王を迎えに行かせ、ついでに側近たちを取り調べさせた。盧綰はますます恐れて閉じこもり、寵臣に言った。「劉氏でないのに王でいるのは、もう私と長沙王だけだ。去年の春には漢は淮陰侯(韓信)の一族を皆殺しにし、夏には彭越を誅殺した。みな呂后の計略だ。いま陛下は病で、政務を呂后に任せている。呂后は女の身で、何かと口実をつけて異姓の王や大功臣を誅殺しようとばかりしている。」こうしてとうとう病気と称して行かなかった。側近たちはみな逃げ隠れた。この話はかなり外に漏れ、辟陽侯がそれを聞きつけ、帰って高祖に詳しく報告した。高祖はますます怒った。さらに匈奴から降ってきた者を得たところ、その者が「張勝は匈奴に逃げていて、燕の使者を務めている」と言った。そこで高祖は「盧綰はやはり謀反していた」と言い、樊噲に燕を討たせた。燕王盧綰は、後宮の女たちや家族、騎兵数千をすべて率いて長城のふもとに留まり、様子をうかがいながら、高祖の病が治ったら自ら出向いて謝罪しようと願っていた。四月、高祖が崩御すると、盧綰はついに配下を率いて匈奴に亡命した。匈奴は彼を東胡の盧王とした。しかし盧綰は蛮夷に土地や財物を奪われ、いつも漢に帰りたいと思っていた。一年余りして、匈奴の地で死んだ。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』宣公二年 董狐の筆以って朝に示す。宣子曰く、「然らず」と。對へて曰く、「子は正卿為り、亡げて竟を越えず、反りて賊を討たず。子に非ずして誰ぞ」と。宣子曰く、「嗚呼、『我の懷(おも)ひ、自ら伊(こ)の慼(うれ)ひを詒(のこ)す』とは、其れ我の謂なり」と。孔子曰く、「董狐は、古の良史なり、書法隱さず。趙宣子は、古の良大夫なり、法の為に惡を受く。惜しいかな、竟を越えなば乃ち免れん」と。宣子趙穿をして公子黑臀を周に逆へしめて、之を立つ。壬申、武宮に朝す。初め、麗姬の亂に、群公子を畜ふ無からんことを詛ふ。是より晉に公族無し。成公即位するに及び、乃ち卿の適子を宦して、之が為に田を為して、以って公族と為す。又其の餘子を宦して、亦た餘子と為す。其の庶子を公行と為す。晉是に於いて公族・餘子・公行有り。趙盾括を以って公族と為さんことを請ひて曰く、「君姬氏の愛子なり。君姬氏微(な)かりせば、則ち臣は狄人なり」と。公之を許す。冬、趙盾旄車の族と為り、屏季をして其の故族を以って公族大夫と為らしむ。
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