省諐録 / 第26条
予久畱意於海防。其所發明。自謂前人有未及者。然卒由此取禍。亦非常之原。常人異焉耳。君相如有省悟時。則吾志之行必矣。
新字:予久畱意於海防。其所発明。自謂前人有未及者。然卒由此取禍。亦非常之原。常人異焉耳。君相如有省悟時。則吾志之行必矣。
書き下し
予久しく意を海防に畱む。其の發明する所、自ら前人の未だ及ばざる者有りと謂ふ。然れども卒に此に由りて禍を取る。亦非常の原、常人と異なるのみ。君相如し省悟する時有らば、則ち吾が志の行はるること必せり。
現代語訳
私は長いあいだ海防に心を留めてきました。そこで考え出したことは、前の人がまだ及んでいないものだと自負しています。けれども結局、このことが原因で災いを招きました。これもまた非常の事の始まりであって、凡人とは見方が異なるだけのことです。君や宰相が省みて悟る時があれば、私の志が行われるのは間違いありません。
解説
象山は、長く海防に心を留め、前人が及ばなかったことを考え出したと自負しています。しかしそれが原因で災いを招いたとも書きます。序にある入獄の事情と重ねて読めますが、この条は多くを語りません。そのうえで、非常のことは凡人の目には違って見えるだけだと受け止め、君や宰相が省みる時が来れば自分の志は必ず行われると言い切ります。自信と無念が入り混じった一条です。現代でも、先んじた提案が理解されず、かえって不利益を被る場面はあります。確信を持つことと、それが通る時機を待つことを分けて考える必要を、この段は示しています。
この章句が説くこと
海防先見自負時機志省諐録
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