省諐録 / 第20条
君子有五樂。而富貴不與焉。一門知禮義。骨肉無釁隙。一樂也。取予不苟。廉潔自養。內不愧於妻孥。外不怍於衆民。二樂也。講明聖學。心識大道。隨時安義。處險如夷。三樂也。生乎西人啓理窟之後。而知古聖賢所未嘗識之理。四樂也。東洋道德。西洋藝術。精粗不遺。表裏兼該。因以澤民物。報國恩。五樂也。
新字:君子有五楽。而富貴不与焉。一門知礼義。骨肉無釁隙。一楽也。取予不苟。廉潔自養。内不愧於妻孥。外不怍於衆民。二楽也。講明聖学。心識大道。随時安義。処険如夷。三楽也。生乎西人啓理窟之後。而知古聖賢所未嘗識之理。四楽也。東洋道徳。西洋芸術。精粗不遺。表裏兼該。因以沢民物。報国恩。五楽也。
書き下し
君子に五樂有り。而して富貴は與らず。一門禮義を知り、骨肉に釁隙無きは、一樂なり。取予苟くもせず、廉潔にして自ら養ひ、内は妻孥に愧ぢず、外は衆民に怍ぢざるは、二樂なり。聖學を講明し、心に大道を識り、時に隨ひて義に安んじ、險に處りて夷の如きは、三樂なり。西人理窟を啓きし後に生まれて、古の聖賢の未だ嘗て識らざる所の理を知るは、四樂なり。東洋の道德、西洋の藝術、精粗遺さず、表裏兼ね該ね、因りて以て民物を澤し、國恩に報ゆるは、五樂なり。
現代語訳
君子には五つの楽しみがあります。その中に、富貴は入りません。一族が礼義を知り、血縁のあいだに亀裂がないのが、第一の楽しみです。取ることも与えることもいい加減にせず、清廉に身を養い、内は妻子に恥じず、外は多くの民に恥じないのが、第二の楽しみです。聖人の学問を講じて明らかにし、心に大道を知り、時に応じて義に安んじ、険しい境にあっても平らかな所にいるようなのが、第三の楽しみです。西洋の人が理の奥を開いたあとに生まれて、古の聖賢がまだ知らなかった理を知ることが、第四の楽しみです。東洋の道徳と西洋の藝術を、精しいものも粗いものも漏らさず、表も裏も兼ね備え、それによって民と万物を潤し、国の恩に報いるのが、第五の楽しみです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之一記に曰く、君子は其の道を得るを楽しむと。蓋し其の道を得るとは、惟心に私欲無くして、事理に当たるの謂なり。其の道を得ざれば、則ち此に反す。其の道を得れば、則ち随処にして楽しむ。所謂君子は入るとして自得せざること無しなり。然らば則ち逆境に処ると雖も、其の和楽の心を失はず。況んや順境に於てをや。立てば則ち立つを楽しみ、行けば則ち行くを楽しみ、臥せば則ち臥すを楽しみ、飲食すれば則ち飲食を楽しみ、客に対すれば則ち客を楽しみ、山水を観れば則ち山水を楽しむ。此くの如くなれば則ち往くとして楽しまざる所無し。驕楽を楽しみ佚遊を楽しむに非ず。蓋し自ら其の楽しみ有るのみ。
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『慎思録』巻之一君子の心は、人欲浄尽し、天理流行す。常に処り変に処りて、従容洒落たり。故に貧賤患難の中に入ると雖も、其の楽しみを改めず。又況んや富貴順適の時に於てをや。是れ所謂君子は入るとして自得せざること無しなり。蓋し君子の心は、固より本然の楽しみ有りて、一物の累ひ無し。然る後に万物皆以て楽しみと為すべし。此れ外物を待ちて而る後に楽しみと為すに非ず。物前に至りて、皆以て吾が楽しみを資くるに足るなり。内には則ち詩書礼楽、飲食衣服、外には則ち山水風月、花木虫魚も、亦皆以て吾が楽しみを資くべし。顧みるに其の楽しみを資くる所窮まり無くして、其の楽しむ所も亦尽くること無し。是れ豈に自得せざるべけんや。君子の楽しむ所此くの如くなれば、則ち豈に足の之を踏み手の之を舞ふを知らんや。
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『慎思録』巻之五楽記に曰く、君子は其の道を得るを楽しみ、小人は其の欲を得るを楽しむ。道を以て欲を制すれば、則ち楽しみて乱れず。欲を以て道を忘るれば、則ち惑ひて楽しまず、と。此れ君子と小人と、其の楽しむ所の相同じからざるを知る。猶ほ氷炭薫蕕の相容れざるがごとし。然り而して君子にして後に真の楽しみ有り。小人の楽しむ所は、楽しみ未だ既きざるに、憂ひ則ち之に随ふ。以て楽しみと為すべからず。
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『慎思録』巻之二孟子曰く、人々己に貴き者有り。思はざるのみ、と。詩に曰く、既に酔ふに酒を以てし、既に飽くに徳を以てす、と。仁義に飽くを言ふなり。人の膏粱の味を願はざる所以なり。古語に曰く、名教の内、自ら楽地有り、と。愚謂ふ、名教の楽地は、至って大なるかな。位無くして貴く、禄無くして富み、勢無くして崇し。世俗の好む所の声色香味財利の楽しみと、其の大小高下、日を同じくして語るべからず。然り而して斯の楽しみは君子の独り知る所にして、小人の知ること能はざる所なり。
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『講孟余話』盡心上 第二十章「君子に三楽あり、而して天下に王たるは与り存せず」云々。仁斎云く、「此の章謂ふ、人苟も一楽あらば、則ち天下に王たるの楽しみと雖も、以て之に易ふること能はず」と。余退きて自ら思ふに、余が如き実に勿体なき多幸の人と云ふべし。周公の聖も兄弟の難あり、孔子の聖も幼にして父母を失ふ。天子の貴にも陶朱の富にも易ふべからざるは、父母倶に存し、兄弟故なきの一楽なり。然るに此の楽しみたる事を思はずして、悠々日を過ごすは、実に天地神明に負くの至りと云ふべし。第二の楽しみの天に愧ぢず人に怍ぢざるは、中々吾等式の云ふべきに非ず。然れども縲紲岸獄は衆人の愧怍する所にして、余独り自ら誇伐の意あり。是れを以て思ふに、天下の事亦何を以て吾が心を愧怍せしめんや。然れども愧怍は宜しく隠微慎独の際に在りて、反観内省すべし。豈に人に向かひて彊顔抗弁の時を以て知ることを得んや。
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