省諐録 / 第19条
聞關西地震。勢賀之閒。更甚。城垣衙署。驛亭民屋。傾塌無算。樹木倒植。井水乾涸。人民壓死。殆不知其數。丁未信州地大震。予在鄕里。親閱其變。慘毒之劇。所不忍言。信中變後。地下每作雷聲。時亦搖撼。經久不止。後七年有小田原之變。又一年。今復有關西之變。嘗記清人雜書所載。云其地常動。至數年後。有大震。萬家樂土。忽變蠶叢。然則地震固有連數年者矣。古來漢儒。以地震爲蠻夷侵陵之兆。占候之說。洋學所不取。雖然天人合應之理。不可謂必無之。丁未以來。地震之變。以時事驗之。漢儒之言。似不可誣。今夷虜之志。未知其所極。則震之相連。而尚有劇甚者。亦不能無慮焉。(附記)關西地震在六月十四日。而獄中傳之在二十四五日閒。季秋放還後。次第此錄。至十一月四日。東海道地又大震。隕城郭。壞廬舍。死傷無數。因竊書寄於江都所親。告以此條大意。請都下恐亦不免。俾之平素有所戒備。明年十月二日夜。江都果有大震。火又從之。其餘烈比之前之數災超過數倍矣。而予舊所親交多得保全。雖是天意亦不無小資於予言。乙卯冬記。
新字:聞関西地震。勢賀之閒。更甚。城垣衙署。駅亭民屋。傾塌無算。樹木倒植。井水乾涸。人民圧死。殆不知其数。丁未信州地大震。予在郷里。親閲其変。惨毒之劇。所不忍言。信中変後。地下毎作雷声。時亦揺撼。経久不止。後七年有小田原之変。又一年。今復有関西之変。嘗記清人雑書所載。云其地常動。至数年後。有大震。万家楽土。忽変蠶叢。然則地震固有連数年者矣。古来漢儒。以地震為蠻夷侵陵之兆。占候之説。洋学所不取。雖然天人合応之理。不可謂必無之。丁未以来。地震之変。以時事験之。漢儒之言。似不可誣。今夷虜之志。未知其所極。則震之相連。而尚有劇甚者。亦不能無慮焉。(附記)関西地震在六月十四日。而獄中伝之在二十四五日閒。季秋放還後。次第此録。至十一月四日。東海道地又大震。隕城郭。壊廬舎。死傷無数。因窃書寄於江都所親。告以此条大意。請都下恐亦不免。俾之平素有所戒備。明年十月二日夜。江都果有大震。火又従之。其余烈比之前之数災超過数倍矣。而予旧所親交多得保全。雖是天意亦不無小資於予言。乙卯冬記。
書き下し
關西の地震を聞く。勢賀の閒、更に甚だし。城垣・衙署・驛亭・民屋、傾塌すること算無し。樹木倒植し、井水乾涸す。人民の壓死する、殆ど其の數を知らず。丁未、信州に地大いに震ふ。予鄕里に在りて、親しく其の變を閱す。慘毒の劇しき、言ふに忍びざる所なり。信中の變の後、地下每に雷聲を作し、時に亦搖撼して、久しきを經て止まず。後七年にして小田原の變有り。又一年、今復た關西の變有り。嘗て清人の雜書に載する所を記す。云ふ、其の地常に動き、數年の後に至りて大震有り。萬家の樂土、忽ち蠶叢に變ず、と。然らば則ち地震は固より數年に連なる者有り。古來漢儒、地震を以て蠻夷侵陵の兆と爲す。占候の說は、洋學の取らざる所なり。然りと雖も天人合應の理は、必ず無しと謂ふべからず。丁未以來、地震の變、時事を以て之を驗するに、漢儒の言、誣ふべからざるに似たり。今夷虜の志、未だ其の極まる所を知らず。則ち震の相連なりて、尚ほ劇甚なる者有らんこと、亦慮り無きこと能はず。(附記)關西の地震は六月十四日に在り。而して獄中に之を傳ふるは二十四五日の閒に在り。季秋放還の後、次第に此れを錄す。十一月四日に至り、東海道地又大いに震ひ、城郭を隕し、廬舍を壞し、死傷數無し。因りて竊かに書して江都の所親に寄せ、此の條の大意を以て告げ、請ふ、都下も恐らくは亦免れざらん、と。之をして平素戒備する所有らしむ。明年十月二日夜、江都果して大震有り。火又之に從ふ。其の餘烈、之を前の數災に比ぶれば超過すること數倍なり。而して予が舊親交、多く保全するを得たり。是れ天意なりと雖も、亦予が言に小資する無きにあらず。乙卯冬記す。
現代語訳
関西の地震のことを聞きました。勢賀のあたりが、とりわけひどかったそうです。城の垣や役所、宿駅の建物、民家の倒壊は数えきれず、樹木は逆さに倒れ、井戸の水は涸れました。圧死した人々は、ほとんど数も分からないほどです。丁未の年には、信州で大地震がありました。私は郷里にいて、自らその異変を目にしました。むごたらしさの激しさは、言葉にするに忍びないほどです。信州の異変のあと、地の下ではたびたび雷のような音が起こり、ときに揺れも起こって、長い間やみませんでした。その七年後に小田原の異変があり、さらに一年たって、今また関西の異変がありました。かつて清人の雑書に記されていたことを思い出します。その地は常に動き、数年たってから大地震が起こる。万の家の楽土が、たちまち蠶叢(荒れた地を指す語と思われます)に変わる、というのです。してみれば、地震はもとより数年にわたって連なることがあるのでしょう。昔から漢の儒者は、地震を蛮夷が侵し凌ぐ兆しとしました。占いの説は、洋学が取らないところです。そうではあっても、天と人とが呼応し合う理が、必ずないとは言えません。丁未以来の地震の異変を時事に照らして確かめると、漢儒の言葉は偽りと決めつけられないように思われます。いま、夷虜の志がどこまで及ぶのかはまだ分かりません。ならば、地震がなお相次ぎ、さらに激しいものが起こることも、懸念せずにはいられません。(附記)関西の地震は六月十四日にありました。獄中にそれが伝わったのは、二十四、五日のころでした。季秋に釈放されたあと、次第にこれを記しました。十一月四日になって、東海道でまた大地震があり、城郭が崩れ、家屋が壊れ、死傷は数えきれませんでした。そこで、ひそかに書き送って江都の身近な人に、この条の大意を告げ、都下もおそらく免れないでしょう、と述べました。平素から備えをしてもらうためです。翌年十月二日の夜、江都でやはり大地震があり、火事もそれに続きました。その被害は、前のいくつかの災害に比べて数倍に及びました。そして私の旧来の親しい人たちは、多くが無事でした。これは天意とはいえ、私の言葉もわずかに役立ったのではないかと思います。乙卯の冬に記します。
解説
この章句が説くこと
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