政談 / 儒者の事
然るに御先々前御代に講釋を專らに遊されたるより、儒者ども外の學問はせず、講釋を役目の樣に覺えたることに成りて、今は何れも無學に成り御用に立ぬことに成たり、且又內記父子計りに御用を仰付られ、格別に結搆に成りたる故、外の儒者共は自から御用なきものになりて、學問をせぬ筋もあるべし、惣して聖人の道は元來治國平天下の道なる故、政務の筋に入用あることを第一とすること古より斯の如し、其の上人の器量に得手不得手ありて、一人にて諸事は兼ねられぬ上に小身にては弘きことには力も屆き兼ぬることもあるによりて、日本の古も四道の儒者と云ふことありて、第一記傳道と云ふは歷史を弘く見て諸文を專らとす、異國の御用吉國のはれわざする故是を第一とす、管家江家是なり、明經道と云ふは十三經を家業とす、清家中家是なり、明法道は律令格式を專らとす、坂上中原是なり、算道は算數にて歴學天文を兼ぬ小槻安倍等是也、
新字:然るに御先々前御代に講釈を専らに遊されたるより、儒者ども外の学問はせず、講釈を役目の様に覚えたることに成りて、今は何れも無学に成り御用に立ぬことに成たり、且又内記父子計りに御用を仰付られ、格別に結搆に成りたる故、外の儒者共は自から御用なきものになりて、学問をせぬ筋もあるべし、惣して聖人の道は元来治国平天下の道なる故、政務の筋に入用あることを第一とすること古より斯の如し、其の上人の器量に得手不得手ありて、一人にて諸事は兼ねられぬ上に小身にては弘きことには力も届き兼ぬることもあるによりて、日本の古も四道の儒者と云ふことありて、第一記伝道と云ふは歴史を弘く見て諸文を専らとす、異国の御用吉国のはれわざする故是を第一とす、管家江家是なり、明経道と云ふは十三経を家業とす、清家中家是なり、明法道は律令格式を専らとす、坂上中原是なり、算道は算数にて歴学天文を兼ぬ小槻安倍等是也、
書き下し
然るに御先々前御代に講釈を専らに遊されたるより、儒者ども外の学問はせず、講釈を役目の様に覚えたることに成りて、今は何れも無学に成り御用に立ぬことに成たり、且又内記父子計りに御用を仰付られ、格別に結搆に成りたる故、外の儒者共は自から御用なきものになりて、学問をせぬ筋もあるべし、惣して聖人の道は元来治国平天下の道なる故、政務の筋に入用あることを第一とすること古より斯の如し、其の上人の器量に得手不得手ありて、一人にて諸事は兼ねられぬ上に小身にては弘きことには力も届き兼ぬることもあるによりて、日本の古も四道の儒者と云ふことありて、第一記伝道と云ふは歴史を弘く見て諸文を専らとす、異国の御用吉国のはれわざする故是を第一とす、管家江家是なり、明経道と云ふは十三経を家業とす、清家中家是なり、明法道は律令格式を専らとす、坂上中原是なり、算道は算数にて歴学天文を兼ぬ小槻安倍等是也、
現代語訳
ところが先々前の御代(五代綱吉公の時代)に講釈をもっぱらになさったことから、儒者たちはほかの学問はせず、講釈を役目のように心得ることになって、今は皆無学になり、御用に立たなくなった。また内記父子ばかりに御用を仰せ付けられ、格別に厚遇されたので、ほかの儒者たちは自然と御用のない者になって、学問をしないということもあるだろう。総じて聖人の道はもともと国を治め天下を平らかにする道であるから、政務の筋に必要なことを第一とするのは古からこのとおりである。そのうえ人の器量には得手不得手があって、一人で諸事を兼ねることはできず、小身では広いことに力も届きかねることもあるので、日本の古にも「四道の儒者」ということがあった。第一の紀伝道というのは歴史を広く見て諸文をもっぱらとする。異国への御用や吉事の晴れの儀式を務めるので、これを第一とする。菅家・江家(菅原氏・大江氏)がこれである。明経道というのは十三経を家業とする。清家・中家(清原氏・中原氏)がこれである。明法道は律令格式をもっぱらとする。坂上・中原がこれである。算道は算数で、暦学・天文を兼ねる。小槻・安倍などがこれである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『学問のすゝめ』三編・一身独立して一国独立すること・権義あればしたがって職分ありもとより国の政をなす者は政府にて、その支配を受くる者は人民なれども、こはただ便利のために双方の持ち場を分かちたるのみ。一国全体の面目にかかわることに至りては、人民の職分として政府のみに国を預け置き、傍よりこれを見物するの理あらんや。すでに日本国の誰、英国の誰と、その姓名の肩書に国の名あれば、その国に住居し、起居眠食、自由自在なるの権義あり。すでにその権義あれば、またしたがってその職分なかるべからず。
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『墨子』尚賢中然らば則ち天の能を使いし所の者は誰ぞや。曰く、昔者の禹・稷・臯陶の若き是れなり。何を以て其の然るを知るや。先王の書、呂刑、之を道いて曰く、「皇帝、清く下民に問う。苗に辭有り、曰く、『羣后の逮ぶこと下に在り、明明として常を棐け、鰥寡も盖わるる無し。徳の威、維れ威、徳の明、維れ明なり』と。乃ち三后に命じて、功を民に恤えしむ。伯夷は典を降して、民を折くに維れ刑を以てす。禹は水土を平らげ、名山川を主る。稷は播種を降して、嘉榖を農殖す。三后、功を成し、維れ民に殷んなり」と。
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『墨子』耕柱治徒娛・縣子碩、子墨子に問いて曰く、「義を為すに孰れをか大務と為す」と。子墨子曰く、「譬えば牆を築くが若く然り。能く築く者は築き、能く壤を實つる者は壤を實て、能く掀ぐる者は掀げ、然る後に牆成る。義を為すも猶お是のごときなり。能く談辯する者は談辯し、能く書を説く者は書を説き、能く事に従う者は事に従い、然る後に義事成る」と。
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論語・子路篇樊遅、稼を学ばんことを請う。子曰く、「吾老農に如かず。」圃を為るを学ばんことを請う。曰く、「吾老圃に如かず。」樊遅出づ。子曰く、「小人なるかな、樊須や。上礼を好めば、則ち民敢えて敬せざること莫し。上義を好めば、則ち民敢えて服せざること莫し。上信を好めば、則ち民敢えて情を用いざること莫し。夫れ是くの如くんば、則ち四方の民、其の子を襁負して至らん。焉んぞ稼を用いん。」
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論語・憲問篇子曰く、命を為るに、裨諶之を草創し、世叔之を討論し、行人子羽之を脩飾し、東里の子産之を潤色す。
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孟子・滕文公章句上神農の言を為す者許行有り。楚より滕に之き、門に踵りて文公に告げて曰く、「遠方の人、君の仁政を行ふを聞く。願はくは一廛を受けて氓と為らん。」文公之に処を与ふ。其の徒数十人、皆褐を衣、屨を捆ち、席を織りて以て食を為す。陳良の徒陳相と其の弟辛と、耒耜を負ひて宋より滕に之く。曰く、「君聖人の政を行ふと聞く。是れ亦た聖人なり。願はくは聖人の氓と為らん。」陳相許行を見て大いに悦び、尽く其の学を棄てて焉に学ぶ。陳相孟子に見え、許行の言を道ひて曰く、「滕君は則ち誠に賢君なり。然りと雖も、未だ道を聞かざるなり。賢者は民と并び耕して食ひ、饔飧して治む。今や滕に倉廩府庫有り、則ち是れ民を厲まして以て自ら養ふなり。悪くんぞ賢なるを得ん。」孟子曰く、「許子は必ず粟を種ゑて而る後に食ふか。」曰く、「然り。」「許子は必ず布を織りて而る後に衣るか。」曰く、「否。許子は褐を衣る。」「許子は冠するか。」曰く、「冠す。」曰く、「奚をか冠する。」曰く、「素を冠す。」曰く、「自ら之を織るか。」曰く、「否。粟を以て之に易ふ。」曰く、「許子奚為れぞ自ら織らざる。」曰く、「耕すに害あればなり。」曰く、「許子は釜甑を以て爨ぎ、鉄を以て耕すか。」曰く、「然り。」「自ら之を為るか。」曰く、「否。粟を以て之に易ふ。」「粟を以て械器に易ふる者は、陶冶を厲ますと為さず。陶冶も亦た其の械器を以て粟に易ふる者、豈に農夫を厲ますと為さんや。且つ許子何ぞ陶冶を為し、舎皆諸を其の宮中に取りて之を用ひざる。何為れぞ紛紛然として百工と交易する。何ぞ許子の煩はしきを憚らざる。」曰く、「百工の事は、固より耕し且つ為す可からざるなり。」「然らば則ち天下を治むるは独り耕し且つ為す可けんや。大人の事有り、小人の事有り。且つ一人の身にして、百工の為す所備はる。如し必ず自ら為りて而る後に之を用ひば、是れ天下を率ゐて路せしむるなり。故に曰く、或いは心を労し、或いは力を労す。心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治めらる。
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