政談 / 刑罰の事
偖改易追放のこと古代には之なきこと也、戶籍の法立ては改易追放はならぬことなり、古の中流近流の上に、御暇被下て所々御搆有と御搆なくて、御扶持方被召放と、是にて改易追放と云ことなくとも罪の階級は有へき也、追放は元來戰國割據の時の法にて、其時分は流罪と云ことならぬ故其代に立たること也、當時太平の代に此法有故、遠國の追放人欠落人抔御城下に集る故、御城下は自から惡人の津となる也、戶籍の法立時は何れの國にても親類知人の添狀なけれは、其所に搆はず置くこと故、改易追放は差支ゆることなり、古の流罪には追立の官人と云ことのあるを見れは、今の追放は矢張り流罪の仕形を戰國のとき仕替たるものと見えたり、且又百姓なとは田宅を沒入して矢張り其所に置きて水呑百姓にせは追放には及ましきこと也、田地も持ぬ百姓輕き町人は何方へ行きても同しやうなる物なれは追放は何の詮もなきことなり、追放と云ふこと有るより世界に惡人は絕えぬことなれは、徒罪を建立して追放はやめたきこと也、
新字:偖改易追放のこと古代には之なきこと也、戸籍の法立ては改易追放はならぬことなり、古の中流近流の上に、御暇被下て所々御搆有と御搆なくて、御扶持方被召放と、是にて改易追放と云ことなくとも罪の階級は有へき也、追放は元来戦国割拠の時の法にて、其時分は流罪と云ことならぬ故其代に立たること也、当時太平の代に此法有故、遠国の追放人欠落人抔御城下に集る故、御城下は自から悪人の津となる也、戸籍の法立時は何れの国にても親類知人の添状なけれは、其所に搆はず置くこと故、改易追放は差支ゆることなり、古の流罪には追立の官人と云ことのあるを見れは、今の追放は矢張り流罪の仕形を戦国のとき仕替たるものと見えたり、且又百姓なとは田宅を没入して矢張り其所に置きて水呑百姓にせは追放には及ましきこと也、田地も持ぬ百姓軽き町人は何方へ行きても同しやうなる物なれは追放は何の詮もなきことなり、追放と云ふこと有るより世界に悪人は絶えぬことなれは、徒罪を建立して追放はやめたきこと也、
書き下し
偖改易追放のこと古代には之なきこと也、戸籍の法立ては改易追放はならぬことなり、古の中流近流の上に、御暇被下て所々御搆有と御搆なくて、御扶持方被召放と、是にて改易追放と云ことなくとも罪の階級は有へき也、追放は元来戦国割拠の時の法にて、其時分は流罪と云ことならぬ故其代に立たること也、当時太平の代に此法有故、遠国の追放人欠落人抔御城下に集る故、御城下は自から悪人の津となる也、戸籍の法立時は何れの国にても親類知人の添状なけれは、其所に搆はず置くこと故、改易追放は差支ゆることなり、古の流罪には追立の官人と云ことのあるを見れは、今の追放は矢張り流罪の仕形を戦国のとき仕替たるものと見えたり、且又百姓なとは田宅を没入して矢張り其所に置きて水呑百姓にせは追放には及ましきこと也、田地も持ぬ百姓軽き町人は何方へ行きても同しやうなる物なれは追放は何の詮もなきことなり、追放と云ふこと有るより世界に悪人は絶えぬことなれは、徒罪を建立して追放はやめたきこと也、
現代語訳
さて、改易や追放ということは古代にはなかった。戸籍の法が立てば改易・追放はできなくなる。古の中流・近流(流罪の等級)のほかに、「お暇を下されて所々に立ち入り禁止がある」ものと「立ち入り禁止なしで扶持を召し放つ」ものを設ければ、改易・追放ということがなくても罪の段階は立つはずである。追放はもともと戦国割拠の時代の法で、その頃は流罪ということができなかったので、その時代に立てられたものである。今の太平の世にこの法があるので、遠国の追放人や欠落人(逃亡者)などが御城下に集まり、御城下はおのずから悪人の溜まり場となる。戸籍の法が立てば、どこの国でも親類・知人の添え状がなければその土地に置かないので、改易・追放は差し支えることになる。古の流罪に「追立の官人」というものがあったのを見ると、今の追放はやはり流罪のやり方を戦国の時に仕替えたものと見える。また百姓などは田宅を没収して、そのままその土地に置いて水呑百姓にすれば、追放するには及ばない。田地も持たない百姓や身軽な町人は、どこへ行っても同じようなものだから、追放は何の効果もない。追放ということがあるから世の中に悪人が絶えないのであって、徒罪(労役刑)を設けて追放はやめたいものである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『政談』國の締り一篇の發端の事総して国の治めと云ふは、譬へば碁盤の目を盛るが如し、目を盛らざる盤にては、何ほどの上手にても碁はうたれぬなり、洪水を静むるには、川筋を付るなり、川筋を付ざれば、禹王再び生れ出たまふとも、水を静むることは叶はざるなり、当時火災の事上の御世話にて塗屋土蔵造に成りたれば、火災自然と少なし、是明かなる証拠なり、其外の御政務には、此訳を申し立る人なきにや、是によりて和漢の古法を考へ愚案の量見を左に記す、
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『政談』右四册大意の事右四册の物語りに瑣細なるまでを記したることは、当時は法の立てやう未熟にて、大なる所に法立たず、末に計り法立ちてある故世界に締り無く、風俗ひたものに移り行き、今は法は法にて有りながら、下は下にて別々になりて、法も詮無きことに成りたることを知らせ奉らんためなり、当時のことなど見及び聞及びたる争などを少々書きたるは、定めて承はり違ひもあるべし、又愚按の違ひもあるべし、政治の道はひきつはなれたることにあらず、世の成行世界の全体を知し召すこと肝要なり、肝心の所は世界旅宿の境界なると、諸事の制度なきと、此二つに帰することなり、是によりて、戸籍を立て万民を住所に有付ると、町人百姓と武家と制度の差別を立ると、大名の家に制度を立ると御買上と云ことの之なきやうにすると、大体是にて世界はすぐなをり豊かに成るへし、
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『政談』諸色直段の事偖又用ゆるもの多き故に高直になる、此用ゆる者多きは制度なきより起れり、元来貴き人は善きものを用ひ、賤きものは悪きものを用ゆるときは、物各々其宜きを得るゆゑ諸色高直にはならぬを、今は賤き者まても善きものを用ゆると云は如何やうの事なれは、御城下に来集る民は素は田舎のものにて、麦粟種等の雑穀を食し、濁酒を飲み、味噌をも食せす、すくも火を焼き、麻木綿を織て着し、席薦の上に寝臥をしたるものか、心儘に御城下に来住する故、米味噌を食し、薪を焼き、炭の火にあたり、衣服も買整へて着し、善酒を飲み、田舎に之なき障子を立て、天井を張り、唐紙を張り、畳を敷き、蚊屋を釣るなとすることは、ぼていふりも皆斯の如し、少しも善き町人は衣服食事家居器物まても金さへあれは大名と同しことにて誰れ制する者なし、是諸物の用ゆる人多き故諸色の高直なること尤なり、
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尉繚子・制談此くの如くんば、戦ひ勝つと雖も国益々弱く、地を得るも国益々貧しきは、国中の制弊るるに由るなり。
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『墨子』尚同中子墨子曰く、方今の時の正長は、則ち本より古者と異なれり。之を譬うるに量るに五刑を以てするが若く然り。昔者、聖王は制して五刑を為り、以て天下を治む。有苗の五刑を制するに逮び至りては、以て天下を亂る。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なるなり。是を以て先王の書、呂刑の道いて曰く、「苗民、練を用いず、折くに則ち刑し、唯だ五殺の刑を作り、法と曰う」と。則ち此れ善く刑を用うる者は以て民を治め、善く刑を用いざる者は以て五殺と為すを言う。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なり、故に遂に以て五殺と為す。是を以て先王の書、術令の道いて曰く、「惟れ口は好を出だし戎を興す」と。則ち此れ善く口を用うる者は好を出だし、善く口を用いざる者は以て讒賊冦戎と為すを言う。則ち此れ豈に口の不善ならんや。口を用うること則ち不善なり、故に遂に以て䜛賊冦戎と為す。
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『政談』當時制度之なき事兼て制度を立てゝこれを安くするときは人々知る故分に過ぎたる奢りは自からなくて世上に費へなし、制度なければ上より奢りをするなと制し玉ふと云ふとも、是までが分相応にて是より上か奢りなりと云ふ「キツカケ」なけれはすへきやうなし、華美を好むは人情の常なる故制度なき故に世は次第に奢りに成行くなり、衣服の制度ある時は是は大名是は大役高官の人と云ふ事坐敷の上にても自から知るゝ故、人々貴きを敬ひ儀式自から乱れさるに、上一人より下は民までも何れも小袖を着上下を着ること同様にて、其衣服の地は金さへあれは何を着ても誰制する人なし、上下の見分けなき故高官大役の人下のものと別の立てやうなく、唯々いかつかましき体をして是にて高下を別のことに成り、我か身の君子の礼儀を失ふことをは知らず、御役人奉行なとの無礼甚しく、下たるものは礼に過ぎて這ひ屈み、諂ふ風俗甚しきも制度なきか故なり、
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