政談 / 刑罰の事
徒罪は三代の古も異國の後代も日本の古も之有ることにて、此法なきときは死罪流罪の次に階級なく取捌に足らぬ所ありと知へし、米を搗せ、籾をこなさせ、繩をなわせ、草履を作らせ、薪を割らせ、荷物を運はせ、車を引かせ、其外普請どうつき抔其外のことにも召仕ふこと也、年數の定に階級ある故、罪の階級幾段にもつくこと也、戶籍の法度牒の法立つ時は迯行へき先なく紛もなし、中古より戶籍の法度牒の法破て此法も破たりと見えたり、
新字:徒罪は三代の古も異国の後代も日本の古も之有ることにて、此法なきときは死罪流罪の次に階級なく取捌に足らぬ所ありと知へし、米を搗せ、籾をこなさせ、縄をなわせ、草履を作らせ、薪を割らせ、荷物を運はせ、車を引かせ、其外普請どうつき抔其外のことにも召仕ふこと也、年数の定に階級ある故、罪の階級幾段にもつくこと也、戸籍の法度牒の法立つ時は迯行へき先なく紛もなし、中古より戸籍の法度牒の法破て此法も破たりと見えたり、
書き下し
徒罪は三代の古も異国の後代も日本の古も之有ることにて、此法なきときは死罪流罪の次に階級なく取捌に足らぬ所ありと知へし、米を搗せ、籾をこなさせ、縄をなわせ、草履を作らせ、薪を割らせ、荷物を運はせ、車を引かせ、其外普請どうつき抔其外のことにも召仕ふこと也、年数の定に階級ある故、罪の階級幾段にもつくこと也、戸籍の法度牒の法立つ時は迯行へき先なく紛もなし、中古より戸籍の法度牒の法破て此法も破たりと見えたり、
現代語訳
徒罪(労役刑)は、三代(夏・殷・周)の古にも、異国の後代にも、日本の古にもあったもので、この法がないときは死罪・流罪の次に段階がなく、裁きに足りないところがあると知るべきである。米をつかせ、籾をすらせ、縄をなわせ、草履を作らせ、薪を割らせ、荷物を運ばせ、車を引かせ、そのほか普請の地固め(胴突き)などのことにも使うのである。年数の定めに段階があるので、罪の段階も幾段にもつけられる。戸籍の法・度牒の法が立っているときは、逃げて行く先もなく紛れることもない。中古から戸籍の法・度牒の法が崩れて、この法も崩れたものと見える。
解説
この章句が説くこと
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『政談』刑罰の事偖改易追放のこと古代には之なきこと也、戸籍の法立ては改易追放はならぬことなり、古の中流近流の上に、御暇被下て所々御搆有と御搆なくて、御扶持方被召放と、是にて改易追放と云ことなくとも罪の階級は有へき也、追放は元来戦国割拠の時の法にて、其時分は流罪と云ことならぬ故其代に立たること也、当時太平の代に此法有故、遠国の追放人欠落人抔御城下に集る故、御城下は自から悪人の津となる也、戸籍の法立時は何れの国にても親類知人の添状なけれは、其所に搆はず置くこと故、改易追放は差支ゆることなり、古の流罪には追立の官人と云ことのあるを見れは、今の追放は矢張り流罪の仕形を戦国のとき仕替たるものと見えたり、且又百姓なとは田宅を没入して矢張り其所に置きて水呑百姓にせは追放には及ましきこと也、田地も持ぬ百姓軽き町人は何方へ行きても同しやうなる物なれは追放は何の詮もなきことなり、追放と云ふこと有るより世界に悪人は絶えぬことなれは、徒罪を建立して追放はやめたきこと也、
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『政談』刑罰の事但し三代の古も又府朝の法にも日本の昔も官人には徒罪なし、唐律に官人の罪に徒罪に当るは官当と云こと有て官を一階つゝ奪て是を徒罪の代にする也、其仕形初に居所官を奪ふとて当官を取上る也、任官叙位の時綸旨位記一度〳〵に有こと成故、之を一階つゝ取り上るによりて一官奪れても跡に前の官遺りてあり、譬へは少将より中将を軽て三位宰相に昇りたる人、挍罪を犯すときは三位宰相を解官する故、前の宰相となのることならす前中将となのる、又中将の綸旨を取り上けらるれは前中将となのることならす前少将となのる、又四位の人位記の取り上けらることは四位の位田减少して五位の位田をとるたぐひ、是れ官当の法なり、尽く官位ともに奪ひ尽したるとき庶人に成ことなり、当時武家には役換にかきものなけれは、此法用ひかたし、逼塞閉門役を取り上け、座席を下け、知行を减し、御扶持召放され、其上にも大小を取らるゝと取られぬとにて、矢張り浪人を立ると立ることのならぬ差別あり、又御搆ひの塲所の多少と、御搆ひなきとの差別にて階級幾段も出来て、此等にて大方徒罪の代りになるへし、
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『政談』刑罰の事刑罰の事右三代の時、墨劓輫宮大砕の五刑を、極刑として、五刑を一等宥むる時流罪なり、五刑疑はしきは贖也の罪疑と云ことありて、是後世の従罪也、笞杖罪と云ことは此時はなきこと也、漢の文帝の時より墨劓輫宮の肉刑の代に笞杖を用ひて笞数五百にのほる、罪重くなれは千に及ふ、徒罪も重きは十年に及ふ、此時は笞と徒流と各当り前有て強ちに軽重の次第に非す、宇文周隋唐に至て五刑の名を笞杖従流死と立替て軽重の次第とす、夫より明朝まても此通りなり、日本の古も唐律の通りなり、
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『政談』刑罰の事当時に至ては死刑に張付鋸引梟首斬罪切腹有り、其次は流刑なり、流刑に古は遠流中流近流の三等あり、当時は八丈島を遠流と云、右は其罪人の故郷より遠近を分け遠流中流近流と云たることにて、或は備後出雲土佐伊勢尾張上総伊豆常陸上野陸奥出羽等へ流されたること有り、大島八丈島は江戸よりは遠流にては有間敷也、大島より船にてあさりなと売に来ると云、商人入込て島と云様なることにてはなきこと也、八丈島も殊の外近けれとも、近きと云ことは島代官の秘すること也と云、特に安楽なる所なる由なれは遠流と云ことには当るまじきなり、当時近流中流と云ことのなきも、戸籍の法立たす、人の心儘に日本国中を何方へも先より先へありき居住することなる世界なる故、近流中流といふことは自から絶失たる也、
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『政談』刑罰の事公家大名御旗本なとの遠流にさせらるゝことは其身の罪計のことにあらす、其親類に歴々もある故日本の外なる通路も稀なる所へ遣し置きて、耻辱なる目に逢する有様の聞えぬやうにして、其親類に無念と思はせぬ仕方也、軽者を当時流罪に被仰付こと事の情に合ぬやうなり、町人百姓はても分限なる輩は艱苦をなむること刑にもあたるへし、軽きぼていふり、水呑百姓の類は此方にても元より流人同前の境界なり、艱苦も常なり、大島八丈なとへ行ては江戸に在りし時よりも仕合よき類多しと承はる、常には只何とも〳〵名目計にて刑も実事にはあたらぬやうなり、
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『政談』刑罰の事偖閉門と云うことは古有督の長の靱をかくると云ふことより起る、官人の上にあることなり、当時町人百姓に閉門を申付けるは結構過きたる仕方なり、特に百姓は農作幷に人夫を出すこと公役也、閉門の間は家内の人此業ならぬこと也、あるまじきことなり、偖科料を出さすこと古の贖罪なり、但し古の贖法は五刑の法を立て置き、夫に贖の多少を、割付けて、きりの上にて罪の疑はしきことは、議の人と八九十の老人十才以下の小見と、官人の笞杖罪に贖を出たすことなり、且又大分限なる民の過悪あるとき、過怠として夥しく物の入る普請をさせて罪を贖せぬること明朝に之あり、先年此方にても京都の町人那波屋か奢りの過怠として、橋を架させたること此例なり、是等は苦しかるまじきことなり、当時は苔杖流徒死の沙汰もなく、兼てもりつけの定めもなく、只当分の見はからひにて軽き民より過怠として金を出たさすること、宜しからさることなり、是は只金を出させて困らせて刑にする仕形、先つ第一古へ謂れなきことなり、偖五刑の定めなけれは専ら金を取るへきために成るなり、五刑の定めあるときは金なき人は直に其刑を受け、金あるには金を出して詫言をするなれは刑法の名目立つなり、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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