政談 / 女中の跡目の事
女中のあとめ立てらるゝこと謂れなきことなり、是も婿養子と云ふことあるより混して出來たるなり、されとも母あることを知りて父あることを知らぬは禽獸にて、田舍にて百姓の家に生れたる父なし子を「かまふたい」と云ひて殊の外賤しむることにするなるに、斯の如く耻辱するわざをして御旗本に列するやうやあれへき、慈母と云ひて子なき女を母分にすることはあることなり、右の女中の親類續きある人を、御旗本にて固より祿ある人の內にてさかして其人を母分にして、法事等は其の家にて執行はせ然るへきこと也、其の女の苗字を名のらせてあとめと號することあるましきこと也、
新字:女中のあとめ立てらるゝこと謂れなきことなり、是も婿養子と云ふことあるより混して出来たるなり、されとも母あることを知りて父あることを知らぬは禽獣にて、田舎にて百姓の家に生れたる父なし子を「かまふたい」と云ひて殊の外賤しむることにするなるに、斯の如く耻辱するわざをして御旗本に列するやうやあれへき、慈母と云ひて子なき女を母分にすることはあることなり、右の女中の親類続きある人を、御旗本にて固より禄ある人の内にてさかして其人を母分にして、法事等は其の家にて執行はせ然るへきこと也、其の女の苗字を名のらせてあとめと号することあるましきこと也、
書き下し
女中のあとめ立てらるゝこと謂れなきことなり、是も婿養子と云ふことあるより混して出来たるなり、されとも母あることを知りて父あることを知らぬは禽獣にて、田舎にて百姓の家に生れたる父なし子を「かまふたい」と云ひて殊の外賤しむることにするなるに、斯の如く耻辱するわざをして御旗本に列するやうやあれへき、慈母と云ひて子なき女を母分にすることはあることなり、右の女中の親類続きある人を、御旗本にて固より禄ある人の内にてさかして其人を母分にして、法事等は其の家にて執行はせ然るへきこと也、其の女の苗字を名のらせてあとめと号することあるましきこと也、
現代語訳
奥女中の跡目を立てられることは謂れのないことである。これも婿養子ということがあるのに混ざってできたことである。けれども、母があることを知って父があることを知らないのは禽獣であって、田舎では百姓の家に生まれた父なし子を「かまふたい」と言ってことのほか賤しむのに、このように恥とされることをして御旗本に列してよいものだろうか。「慈母」といって、子のない女を母分にすることはあることである。その女中の親類続きの人を、御旗本でもとから禄のある人の中から探し、その人を母分の子として、法事などはその家で執り行わせるのがよいだろう。その女の苗字を名のらせて跡目と称するようなことはあってはならない。
解説
この章句が説くこと
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