政談 / 妾を御部屋と號する事
且又大名一年替りに在所に居る故、近年は公家の娘なとを私かに呼寄せて在所に据置き本妻の如くするたぐひ多しと云ふ、此等も妾を重くあひしろう風俗より斯の如くなりたり、されは制度を立てゝ長子を持ちたる妾をは家老抔の同格にして、召使の內の貴人と定め、其召使の女中より衣服器物家店迄も細かに制度を立てすんは此惡風は絕ゆへからす、東照宮の御目掛七人衆とてあり、駿府より毎年御鷹野に東金へ御成のとき七人衆御供なり、女一人も連られす馬にて御供なる故、江戶に暫く御滯留の內は某しか祖母のもとへ女をかりきたり、貸してつかはす、曾祖母も折々七人衆の部屋へ行きとまりなとして東照宮をも見奉ると父祖母のものかたりにて承る、此七人衆と申すは三家の御方に御袋樣にて重き御事なれとも其御代は斯くの如くのこと也、
新字:且又大名一年替りに在所に居る故、近年は公家の娘なとを私かに呼寄せて在所に据置き本妻の如くするたぐひ多しと云ふ、此等も妾を重くあひしろう風俗より斯の如くなりたり、されは制度を立てゝ長子を持ちたる妾をは家老抔の同格にして、召使の内の貴人と定め、其召使の女中より衣服器物家店迄も細かに制度を立てすんは此悪風は絶ゆへからす、東照宮の御目掛七人衆とてあり、駿府より毎年御鷹野に東金へ御成のとき七人衆御供なり、女一人も連られす馬にて御供なる故、江戸に暫く御滞留の内は某しか祖母のもとへ女をかりきたり、貸してつかはす、曽祖母も折々七人衆の部屋へ行きとまりなとして東照宮をも見奉ると父祖母のものかたりにて承る、此七人衆と申すは三家の御方に御袋様にて重き御事なれとも其御代は斯くの如くのこと也、
書き下し
且又大名一年替りに在所に居る故、近年は公家の娘なとを私かに呼寄せて在所に据置き本妻の如くするたぐひ多しと云ふ、此等も妾を重くあひしろう風俗より斯の如くなりたり、されは制度を立てゝ長子を持ちたる妾をは家老抔の同格にして、召使の内の貴人と定め、其召使の女中より衣服器物家店迄も細かに制度を立てすんは此悪風は絶ゆへからす、東照宮の御目掛七人衆とてあり、駿府より毎年御鷹野に東金へ御成のとき七人衆御供なり、女一人も連られす馬にて御供なる故、江戸に暫く御滞留の内は某しか祖母のもとへ女をかりきたり、貸してつかはす、曽祖母も折々七人衆の部屋へ行きとまりなとして東照宮をも見奉ると父祖母のものかたりにて承る、此七人衆と申すは三家の御方に御袋様にて重き御事なれとも其御代は斯くの如くのこと也、
現代語訳
そのうえ大名は一年おきに在所にいるので、近年は公家の娘などをひそかに呼び寄せて在所に据え置き、本妻のように扱う類が多いという。これらも妾を重く扱う風俗からこのようになったのである。であるから、制度を立てて、長子を産んだ妾は家老などと同格にして、召使のうちの貴人と定め、その召使の女中から衣服・器物・住まいまで細かく制度を立てなければ、この悪い風は絶えないだろう。東照宮(家康公)の御目掛け(側室)に七人衆というのがあった。駿府から毎年鷹狩りに東金へお出ましのとき、七人衆がお供した。女を一人も連れられず、馬でお供したので、江戸にしばらく御滞留の間は、私の祖母のもとへ女を借りに来て、貸して遣わした。曾祖母も折々七人衆の部屋へ行って泊まりなどして、東照宮をも拝見したと、父や祖母の物語で聞いた。この七人衆というのは、御三家の方々の御母上で重いお方であったが、その御代にはこのようであった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『政談』國の締り一篇の發端の事総して国の治めと云ふは、譬へば碁盤の目を盛るが如し、目を盛らざる盤にては、何ほどの上手にても碁はうたれぬなり、洪水を静むるには、川筋を付るなり、川筋を付ざれば、禹王再び生れ出たまふとも、水を静むることは叶はざるなり、当時火災の事上の御世話にて塗屋土蔵造に成りたれば、火災自然と少なし、是明かなる証拠なり、其外の御政務には、此訳を申し立る人なきにや、是によりて和漢の古法を考へ愚案の量見を左に記す、
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『政談』右四册大意の事右四册の物語りに瑣細なるまでを記したることは、当時は法の立てやう未熟にて、大なる所に法立たず、末に計り法立ちてある故世界に締り無く、風俗ひたものに移り行き、今は法は法にて有りながら、下は下にて別々になりて、法も詮無きことに成りたることを知らせ奉らんためなり、当時のことなど見及び聞及びたる争などを少々書きたるは、定めて承はり違ひもあるべし、又愚按の違ひもあるべし、政治の道はひきつはなれたることにあらず、世の成行世界の全体を知し召すこと肝要なり、肝心の所は世界旅宿の境界なると、諸事の制度なきと、此二つに帰することなり、是によりて、戸籍を立て万民を住所に有付ると、町人百姓と武家と制度の差別を立ると、大名の家に制度を立ると御買上と云ことの之なきやうにすると、大体是にて世界はすぐなをり豊かに成るへし、
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『政談』諸色直段の事偖又用ゆるもの多き故に高直になる、此用ゆる者多きは制度なきより起れり、元来貴き人は善きものを用ひ、賤きものは悪きものを用ゆるときは、物各々其宜きを得るゆゑ諸色高直にはならぬを、今は賤き者まても善きものを用ゆると云は如何やうの事なれは、御城下に来集る民は素は田舎のものにて、麦粟種等の雑穀を食し、濁酒を飲み、味噌をも食せす、すくも火を焼き、麻木綿を織て着し、席薦の上に寝臥をしたるものか、心儘に御城下に来住する故、米味噌を食し、薪を焼き、炭の火にあたり、衣服も買整へて着し、善酒を飲み、田舎に之なき障子を立て、天井を張り、唐紙を張り、畳を敷き、蚊屋を釣るなとすることは、ぼていふりも皆斯の如し、少しも善き町人は衣服食事家居器物まても金さへあれは大名と同しことにて誰れ制する者なし、是諸物の用ゆる人多き故諸色の高直なること尤なり、
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尉繚子・制談此くの如くんば、戦ひ勝つと雖も国益々弱く、地を得るも国益々貧しきは、国中の制弊るるに由るなり。
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『墨子』尚同中子墨子曰く、方今の時の正長は、則ち本より古者と異なれり。之を譬うるに量るに五刑を以てするが若く然り。昔者、聖王は制して五刑を為り、以て天下を治む。有苗の五刑を制するに逮び至りては、以て天下を亂る。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なるなり。是を以て先王の書、呂刑の道いて曰く、「苗民、練を用いず、折くに則ち刑し、唯だ五殺の刑を作り、法と曰う」と。則ち此れ善く刑を用うる者は以て民を治め、善く刑を用いざる者は以て五殺と為すを言う。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なり、故に遂に以て五殺と為す。是を以て先王の書、術令の道いて曰く、「惟れ口は好を出だし戎を興す」と。則ち此れ善く口を用うる者は好を出だし、善く口を用いざる者は以て讒賊冦戎と為すを言う。則ち此れ豈に口の不善ならんや。口を用うること則ち不善なり、故に遂に以て䜛賊冦戎と為す。
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『政談』當時制度之なき事兼て制度を立てゝこれを安くするときは人々知る故分に過ぎたる奢りは自からなくて世上に費へなし、制度なければ上より奢りをするなと制し玉ふと云ふとも、是までが分相応にて是より上か奢りなりと云ふ「キツカケ」なけれはすへきやうなし、華美を好むは人情の常なる故制度なき故に世は次第に奢りに成行くなり、衣服の制度ある時は是は大名是は大役高官の人と云ふ事坐敷の上にても自から知るゝ故、人々貴きを敬ひ儀式自から乱れさるに、上一人より下は民までも何れも小袖を着上下を着ること同様にて、其衣服の地は金さへあれは何を着ても誰制する人なし、上下の見分けなき故高官大役の人下のものと別の立てやうなく、唯々いかつかましき体をして是にて高下を別のことに成り、我か身の君子の礼儀を失ふことをは知らず、御役人奉行なとの無礼甚しく、下たるものは礼に過ぎて這ひ屈み、諂ふ風俗甚しきも制度なきか故なり、
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