政談 / 將軍宣下御能の事
將軍宣下の御祝儀とて家々にて能をすること詮もなきこと也、台德院樣將軍宣下のときは未た天下をしろし召さゝれは箇樣のことはあるまじ、大かたは大猷院樣將軍宣下の時分政宗三齋なと云ふやうなる、いきりものゝ仕始めたることが、今は作法のやうになりたるなるへし、されとも公儀を敬ふ筋なれは誰れ止むることも成らす、その仕方を見れは老中を招して喰もせぬ膳を据ゑ、親類近付きより末々出入りの醫者町人まてを呼ひ集め、むさとしたる奢りをし、新に舞臺を建て、その舞臺をは猿樂に取せ、又猿樂に据ゑたる膳椀をかけなかしにするたくひ、きやふがりたる奢り何の益もなきことなり、是仕方あるへし、
新字:将軍宣下の御祝儀とて家々にて能をすること詮もなきこと也、台徳院様将軍宣下のときは未た天下をしろし召さゝれは箇様のことはあるまじ、大かたは大猷院様将軍宣下の時分政宗三斎なと云ふやうなる、いきりものゝ仕始めたることが、今は作法のやうになりたるなるへし、されとも公儀を敬ふ筋なれは誰れ止むることも成らす、その仕方を見れは老中を招して喰もせぬ膳を据ゑ、親類近付きより末々出入りの医者町人まてを呼ひ集め、むさとしたる奢りをし、新に舞台を建て、その舞台をは猿楽に取せ、又猿楽に据ゑたる膳椀をかけなかしにするたくひ、きやふがりたる奢り何の益もなきことなり、是仕方あるへし、
書き下し
将軍宣下の御祝儀とて家々にて能をすること詮もなきこと也、台徳院様将軍宣下のときは未た天下をしろし召さゝれは箇様のことはあるまじ、大かたは大猷院様将軍宣下の時分政宗三斎なと云ふやうなる、いきりものゝ仕始めたることが、今は作法のやうになりたるなるへし、されとも公儀を敬ふ筋なれは誰れ止むることも成らす、その仕方を見れは老中を招して喰もせぬ膳を据ゑ、親類近付きより末々出入りの医者町人まてを呼ひ集め、むさとしたる奢りをし、新に舞台を建て、その舞台をは猿楽に取せ、又猿楽に据ゑたる膳椀をかけなかしにするたくひ、きやふがりたる奢り何の益もなきことなり、是仕方あるへし、
現代語訳
将軍宣下のお祝いといって、家々で能を催すのはつまらないことである。台徳院様(秀忠)が将軍宣下を受けたときは、まだ天下をお治めになっていなかったのだから、このようなことはなかっただろう。おおかた大猷院様(家光)の将軍宣下のころ、伊達政宗や細川三斎などという血気盛んな者たちが始めたことが、今は作法のようになったのであろう。けれども公儀を敬う筋のことなので、誰も止めることができない。そのやり方を見ると、老中を招いて食べもしない膳を据え、親類や知り合いから末々の出入りの医者や町人までを呼び集め、むやみな奢りをし、新しく舞台を建て、その舞台を猿楽(能役者)に与え、また猿楽に据えた膳椀を使い捨てにするたぐいで、度を越した奢りは何の益もないことである。これはやり方を改めるべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『政談』能の事さて御うたひ初は重もき御規式なれは、この節ばかり猿楽を用ゆるやうにし、猿楽は先規の如く御暇下され次第奈良へのほるへきことなり、かの輩も御先々前御代より御暇下されても皆御城下に滞留してのほらす、その節は能はやりたる故渡世も豊かなれとも、今は渡世に殊の外難義するたくひ多し、されとも年久しく御城下に住して、今は御城下を常住に定めぬれは、奈良へものほらす、しちやうにかゝりたるやうなるてい、所を失ひたる有様也、
-
『政談』能の事能と云ふもの費へ夥しきもの也、然れとも当時武家の儀式のやふに成りたれは、外にかへものなくては已むへきやうなし、室町家にても御笙はしめと云ふことありて、其始めは楽を用ひられたり、東山殿より始まりたることなり、東山殿より室町家は衰へたることなれは、衰へたる世のことを武家の法として、今の御代まても儀式のやうに用ひらること如何あるへきや、猿楽の家にて聖徳太子より起ると云ふは大なるひがことなり、聖徳太子のときより猿楽の先祖舞曲のことを掌りたることを混して猿楽の始まりと云ふなり、南都の楽人狛氏のともがら皆な聖徳太子より以来の楽人にて、法隆寺の近所には楽人の苗字の地名皆々これあり、今春か家に天よりふりたる海士の面と云ふものあり、家の宝とす、是れは能の海士にあらす、楽の安摩なり、其面は紙をいためて拵らへたるものなれは、天よりふりたること左もあるへし、能の面は如何にしても天よりは降るましきなり、されは猿楽のもとは楽人の家より分れたるものと見えたり、
-
『政談』御老中への年始の禮を御目付にて觸るゝ事年始の礼に御老中の宅へ参る日限を御目付よりふるゝこと近年始まりたり、是れ亦相違なり、御老中への年始の礼は面々の相対の礼儀なり、御老中なりとも不和ならん人、又は存しよりあらは年始の礼に参るましき也、御老中とても朋輩なる故也、夫を御目付よりふるゝときは相対の礼を公法にするなり、御目付は公儀の役人なり、公儀の役人か相対の礼を差図することあるましきこと也、此等は昔は之なきことなるに、近年御老中の高ぶり強く、御目付なとは覚えす御老中の使ひ者となりて、己か作法を咎かむる職掌なることを忘れたるにより、斯くの如くなる門違は出来たるなり、
-
『政談』能の事当時猿楽に物入り多き故、改めて楽を用ひんとすれは舞楽の物入り亦莫大なり、その上楽にうたひもの絶えたる故人情に遠きものなり、此等を考へ合せて愚案をめぐらすに、後鳥羽帝の御作に宴曲と云ものあり、一二冊は世間にもあるものなり、長門の家中に大内家より持ち伝へたりとて、全部十册余にしたる宴曲の譜あり、その譜のていうたひよりはふしすこし長く、声明などよりはみじかきものなり、間々に調子付けあれはうたひものを重にして楽を付けものにしたるものと見えたり、一番のなかさいつれもうたひの曲舞楽となり、春夏秋冬雑賀神祇釈教恋無常にて、うたの類の如くに一番々々に名を付けたるものなり、折にふれ時にとりてそのことに応して装束は一統にかりぎぬかひたゝれを用ひたらは、能のかはりにして費へも少なく、又文物も調ひて然るへきことのやう思はる、是は巧者なる仁に仰付けられ、二三年も四五年もかゝらは成就すへきことなり、なれとも是等のことは諸事の制度も調ひ、世上も豊によくすわりたる以後のことなるへけれは、急くへきことにもあらす、
-
『政談』諸大名の困窮を救ふ事当時は大方倹約をもすへきやうなくなりて、家中へ物成を渡さぬたぐひ多し、其倹約をすへきやうなき仔細を詮議するに、大名の格と云ふものにつかへて今は石にて手をつめたるやうになりて倹約をすへきやう無なり、其格と云ふものは朝夕の身の持やう衣服食事器物家居人の使ひやう奥方の作法音信贈答使者の次第御城下徘徊の供廻道中の次第より冠婚葬祭の礼迄古の制度にもあらす、又公儀より定め玉ふ法にもあらす、世の風俗にて自然と奢美になりたるあたりを見合はせ、並を見合はせ時の風俗にて出来たることか年久しく取り行ふ故、当時に至りては之を格と名付け、その身も家来もわきより見て一大事のことゝ心得、此格をはつれては大名と云ふ詮なしと思ふ人の心なり、其内に末の考もなく仕まつりたることとも多くは世の奢りに連れて出来たるはやりことなり、年久しくなりて堅まりたる事にてやくたいもなきことゝもなり、されとも是を格と覚え居る故之を少しもぬきさしすることならす、石にて手をつめたるやうなり、
-
『政談』當時制度之なき事御先々前御代に易の御講釈拝聞仰せ付けられ、某登城して御講釈の座に列なりし時熟々とあたりを見廻したるに、御老中若老中も大名も御旗本百官無官ともに某等か衣服と何の変りもなし、之を見て余りのことに涙こぼして茫然と成りたりしなり、兎角金さへあれば賤しき民も大名の如くしても何の咎めもなし、只悲しきは金を持たす手前悪ければ自から人に劣り肩身すほらしくなるは今の世界なり、これによりて人々我れ勝に奢りをして人に優らんとす、夫を見やう見まねに我れ立派をせん立派をせんと思ふより世間次第に奢りになり、其の奢り年久しければ風俗となり、其内に生るゝ人は奢りなりと云ふことを知らす、唯々有へき筈のことなりと思ふ、偖今の代には真の礼と云ふものはなくて、小笠原と云ふ者を礼のやうに覚ゆるなり、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る