政談 / 御番衆御敷居の外へ搆はさる事
御番衆其座敷ばかりを守りて御敷居の外には何事ありても搆はさること聞えさることの第一なり、東照宮甲州へ御討入りのとき、亂心もの刀を抜きて人を多くなやめたるを御番衆くみ留たること有り、又台德院樣御代に井上主計頭を突き殺したる者を小十人番衆の後ろの御廊下にて小十人くみとめたることあり、御敷居の外には搆はぬと云ふは昔は之なきことなり、今は御敷居の外には何事ありても搆はす、事あるときは御目付の捌きになること不詮議と云ふべし、御番衆は警衞の役なれは間を幾間も受とり御庭まても折々は見まはりて守護すへきことなり、御禮なとの節御廊下につめ居て警衛すへきなり、是れ日本の古も異國にても人禮のときは警衛の役人かたはらに列座すること古よりの法にて仔細あることなり、孔子央谷の會の時に司馬のまうけたると云ふはこのことなり、いか樣にも御衆三河より、江戶つめにて來たるみきり無骨ものともなる故、その行儀を靜めんとて仰せ出さるゝか定法となりたるなるへし、
新字:御番衆其座敷ばかりを守りて御敷居の外には何事ありても搆はさること聞えさることの第一なり、東照宮甲州へ御討入りのとき、乱心もの刀を抜きて人を多くなやめたるを御番衆くみ留たること有り、又台徳院様御代に井上主計頭を突き殺したる者を小十人番衆の後ろの御廊下にて小十人くみとめたることあり、御敷居の外には搆はぬと云ふは昔は之なきことなり、今は御敷居の外には何事ありても搆はす、事あるときは御目付の捌きになること不詮議と云ふべし、御番衆は警衛の役なれは間を幾間も受とり御庭まても折々は見まはりて守護すへきことなり、御礼なとの節御廊下につめ居て警衛すへきなり、是れ日本の古も異国にても人礼のときは警衛の役人かたはらに列座すること古よりの法にて仔細あることなり、孔子央谷の会の時に司馬のまうけたると云ふはこのことなり、いか様にも御衆三河より、江戸つめにて来たるみきり無骨ものともなる故、その行儀を静めんとて仰せ出さるゝか定法となりたるなるへし、
書き下し
御番衆其座敷ばかりを守りて御敷居の外には何事ありても搆はさること聞えさることの第一なり、東照宮甲州へ御討入りのとき、乱心もの刀を抜きて人を多くなやめたるを御番衆くみ留たること有り、又台徳院様御代に井上主計頭を突き殺したる者を小十人番衆の後ろの御廊下にて小十人くみとめたることあり、御敷居の外には搆はぬと云ふは昔は之なきことなり、今は御敷居の外には何事ありても搆はす、事あるときは御目付の捌きになること不詮議と云ふべし、御番衆は警衛の役なれは間を幾間も受とり御庭まても折々は見まはりて守護すへきことなり、御礼なとの節御廊下につめ居て警衛すへきなり、是れ日本の古も異国にても人礼のときは警衛の役人かたはらに列座すること古よりの法にて仔細あることなり、孔子央谷の会の時に司馬のまうけたると云ふはこのことなり、いか様にも御衆三河より、江戸つめにて来たるみきり無骨ものともなる故、その行儀を静めんとて仰せ出さるゝか定法となりたるなるへし、
現代語訳
御番衆がその座敷ばかりを守り、御敷居の外では何事があっても構わないというのは、筋の通らないことの第一である。東照宮(家康)が甲州へ討ち入りのとき、乱心者が刀を抜いて多くの人を苦しめたのを、御番衆が組み止めたことがあった。また台徳院様(秀忠)の御代に、井上主計頭を突き殺した者を、小十人番衆の後ろの廊下で小十人が組み止めたことがある。敷居の外には構わないというのは、昔はなかったことである。今は敷居の外では何事があっても構わず、事があるときは御目付のさばきになるのは、詮議が足りないと言うべきである。御番衆は警衛の役であるから、何間も受け持ち、庭まで折々は見回って守護すべきである。御礼などの際には廊下に詰めて警衛すべきである。日本の古でも異国でも、人が礼を行うときは警衛の役人が傍らに列座するのが古来の法で、わけのあることである。孔子の夾谷の会のとき、司馬(武官)を備えたというのはこのことである。思うに、御番衆が三河から江戸詰めで来たころ、無骨者たちであったから、その行儀を鎮めようとしてお達しになったことが定法となったのであろう。
解説
この章句が説くこと
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『政談』御番衆御敷居の外へ搆はさる事当時は行儀にばかりかゝはりて、御番衆をは御敷居の内にかしこませ置きてつく〳〵ほうしのやうにならへ置くこと何の所用にてかくの如くなすることそや、一ころ水野隼人正か毛利主水に切りかけしとき、毛利次は南部幼少なり、家来三人か付き出つる、隼人万一南部にきりかけば家来もぬき合はすへし、そのとき目付の手にあまるへし、かやうのことあるまじと云ふへからす、所詮のところ御番衆は警衛の役也と云ふ根本を忘れて、行儀をばかりせむる故、武士武用を忘れて公家のやうになるは上のせしむる所なり、警衛役なることを知らは上の御催促なくとも身のかきなれは剣術取り手のやうなることは人々たしなむへきこと也、
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『政談』江戶町中並に武家屋敷の締りの事総して武家屋敷も元来一組を一町に置たることなり、大御番十二組にて番町一番町より六番町まで各々表裏これあり、古は飯田町の上に土手これあるなり、御番衆に与力同心も元来一組一町にあつまり居たることなり、されども役ぬけ御番入り小ぶしん入りより混乱し、特に権威ある人屋敷をえり取りにする故此の法乱れ、今は同組所々に分れ居るやうになりたるなり、これによりて別御役別組の人となりと成り、武家の人から内証の事知るべきやうなし、一町の内のことは家内の微細なることまで何事も知れざることは悪しき事なり、微細に知るれども他役他組の人なれば、一屋敷の面々こうにて、武家ことのほかに我まゝになり、諸事とりしまりなく、埓もなくなりたること、これによりてなり、ことにかろき同心のたくひの一組のうちをひきわけて牛込本郷離れ〳〵にさし置くこと、そのもの平生何をするかも同組も知らぬことにて吟味すべきやうなし、願ふ所は古法の通り御番衆も与力同心も一くみを一所に置き、その頭をも一所に置き、役入り番入り等のとき入り替るやうにするときは、組下の人抦も何も委細に知るゝことにて、盗賊奉行などの下の悪事を知ぬやうなることは決してなきことなり、
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『政談』內曲輪外曲輪御門番の事内曲輪外曲輪の御門番をする侍足軽の己か主人の親類に下座すること謂れなきこと也、仔細は内曲輪外曲輪も畢竟は廓門なり、然れは此番所は公儀の御番所なり、然るに私の下座は門相違なり、御門番は畢竟御城の警衛なれは厳密なるへきことなり、惣下座の仁の外は下座堅く有るましきことなり、町人足を足軽中間に拵へ置くこと一ころ仰出されの趣あれとも、今に内証は元の如し、是は畢竟御城の警衛なりと云ふ本意を忘れて番所に勤め慣れたる巧者ものを搆へ置き、仕落なきやうにとすることなる故、右の如くなる自分のつめひらきをすることを第一とするより起れり、町人足を中間足軽にする事は出替り奉公人と云ふこと己まぬ内は、此紛らかしは止み難し、
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『政談』諸役人に器量を選ふ事偖又人々御役儀に身を踏込まぬこと、上と下との間昔に比すれは特の外に隔りたる故、下たるもの上を親しむ心薄く成て、今の代は身を踏込む人なき筋もあるなり、東照宮台徳院様の御代は申すに及はす、大猷院様の御代までは、御番衆の詰所などへも折々は成らせられ、暫く御着座ありて御咄なども有りたりと承はる、厳有院様御幼少にて天下を知し召す故、未た御心至りも御座なされざる内に、下のことを御存しなれは却て下の難義に成ると其の時の老中料見したるにや、只御行儀をうすたかく仕なしたる風儀つくはりて、当時は上下の分別甚しき故、御旗本の面々は甚た上へ遠く、是に依りて上を親しむ心自然と薄くなる、夫のみならす御老中若老中番頭なども特の外にうすたかくなりたり、昔は御老中若老中も親類又は筋目ある近付とは出て合ひて心安く物語りもしたり、番頭は組子と不断に心安く出て合ひ、又組子の宅へも不時に見まふこと度々也と承はる、
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『政談』使番の事使番と云ふ役無用の役なり、是は軍中の使ひ番をその儘に差置きたる故治世に無用也、軍中の使番は武辺巧者なる人を撰ひ置きて御使に遣はされ、勝負の界をも見さすることなり、治世には左様の人なけれは兼て撰み置すとも然るへし、禁裡の御使は高家なり、三家への御使は御番頭なり、城請取り巡見などに使番参れとも是は臨時に撰みて然るへし、異朝にても臨時の役也、火事等の御使は御側の供頭然るへし、
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『政談』妾を御部屋と號する事且又大名一年替りに在所に居る故、近年は公家の娘なとを私かに呼寄せて在所に据置き本妻の如くするたぐひ多しと云ふ、此等も妾を重くあひしろう風俗より斯の如くなりたり、されは制度を立てゝ長子を持ちたる妾をは家老抔の同格にして、召使の内の貴人と定め、其召使の女中より衣服器物家店迄も細かに制度を立てすんは此悪風は絶ゆへからす、東照宮の御目掛七人衆とてあり、駿府より毎年御鷹野に東金へ御成のとき七人衆御供なり、女一人も連られす馬にて御供なる故、江戸に暫く御滞留の内は某しか祖母のもとへ女をかりきたり、貸してつかはす、曽祖母も折々七人衆の部屋へ行きとまりなとして東照宮をも見奉ると父祖母のものかたりにて承る、此七人衆と申すは三家の御方に御袋様にて重き御事なれとも其御代は斯くの如くのこと也、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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